婚約解消された皇女様
「あなたとの婚約を解消した」
何を言っているのか、さっぱりわからなかった。
いや、本当はわかってる。いつかこんな日が来ると、知っていた。だって、あなたは私を見てくれてないでしょ?地位だけで私を見ていたあなたに女の子が付き添っているのを一度見た時から、こんな日がいつか来るのではないのかと怯えていた。
「アルメル様…」
あなたのそばにいる擁護欲をそそられる女性が私の名前を痛ましげに呟く。そのように呼ばないでほしい。あなたに名前を呼ぶ許可を下ろした覚えはない。
泣きたい。泣き叫びたい。初恋は実らない。分かっていた。だって、私はだれからも愛されない、必要とされてない。今日は父に婚約者の心も掴めないグズと呼ばれ折檻を受けるだろう。また、あの日々に戻るのか。兄弟姉妹に側妃の娘は愚鈍だなと蔑まれるのだろう。
肩が震える。怖いし悲しい。逃げたい。もう、いやだ。俯いて口を聞かなくなった私に何を思ったのか、元婚約者はそばの女の子を守るように前にスッと出る。
「婚約解消ですか?ですが、私は了解した覚えはありませんが…」
「婚約破棄だとお互い傷がつくだろう?」
「…そう、ですか…。マティアス様、そちらの方が新しい婚約者ですか?」
にこりと笑顔を貼り付ける。伊達に皇女をやっていない。きっと彼らにはわからないだろう。私の怒涛など。だっていつもお淑やかにと正妃様に言われてきたもの。私は役者が向いているだろうと鼻で笑いたくなる。
「あ、あぁ。リュクレア伯爵令嬢だ。両親に許可は取っている」
マティアス様はほっとしたように隣の愛しい人を蕩けるような目で見る。ああ、その目で私を見て欲しかった。愛でて欲しかった。もう、口が裂けても言えないけれど。
「…そう。そうですか。お幸せに、マティアス様。わたくしは国王陛下にお伝えしないといけないので、ここで失礼します」
「陛下にはもう既に伝えてある」
……あぁ、仕事が早いのですね。今日は寝れるのだろうか?牢屋に入れられるのだろうか。あの、黒々とした禍々しい場にまた入るとは。
「アルメル皇女殿下、陛下が執務室にお呼びです。至急来てください」
大袈裟なぐらい家臣の礼をして無慈悲なことを伝えるこの人物は、陛下の手駒の一人で唯一、私が折檻を受けていることを知っている人物だ。
この時、私の目はどす黒く濁ったのだろう。私の絶望の色を司った目をみたマティアス様がびくりと肩を揺らした。
「お二方、さようなら」
私はひとつ礼をして家臣の方に行く。
「アルメル、すまない…」
マティアス様の謝罪の声が聞こえた気がする。きっと気のせいだろう。公爵であるあの方が人に謝るということを知っているはずがない。すまないといっても、何に対して謝っているのだろう?
しばらく歩いていたら前を歩いていた家臣が、先ほどの王家に使える忠実な者ではなく冷徹な目でこちらを睨む。ここには誰もいないから、家臣の態度に眉を潜める人は誰もいない。
「よくそんな顔でここを歩けるな。っは。貴様も一応は王家の人間ということか」
私はずっと笑顔の仮面を貼り付けている。もう、何も感じない。
「えぇ、王妃様から最高の教育を施されていますので」
私はさらに深い笑みで彼を見る。ふんっとつまらなそうに彼は前を向いてまた歩き出す。しばらくすると重厚感のある扉の前に着いた。家臣が扉を叩くと、中から国王陛下の返事が返ってきた。
「アルメル皇女殿下をお連れして来ました。アルメル様、中にどうぞ」
中に誰がいるかわからないため、家臣は様付けで私を呼ぶ。吐き気がする。気持ち悪い。
「第三皇女アルメル、陛下がお呼びと聞き急いで来た次第であります」
家臣がする最高の礼をしながら私は一言一句間違えないよう気をつける。
「アルメル、お前、私に何か言うことはないのか?」
陛下の太い声が部屋の中に沈む。私はこの声が嫌いだ。上から押さえつけられている気分になる。
「申し訳ありませんでした。全て、全てわたくしの責任であります。処罰は如何様にでも…」
「……ふっ、ふはははは。それで良い。実はお前に渡したいものがあって呼んだのだ。こちらに来い」
ゆっくりゆっくり顔を上げ、足音を立てずに陛下の目の前に行く。
「これだ。綺麗な箱だろう?さあ、それを持って部屋に戻れ」
箱を受け取り私はさっさと自室に戻った。あの国王陛下が何もしないわけがない。この宝石が散らばったような箱には何が入っているのだろう。毒を持っている生き物は入っていなさそうだ。
箱を開けるとまず目に入ったのが真ん中に置かれている綺麗なガラスの瓶だった。中に透明な液体が入っている。それを守るかのように枝付きの赤黒い薔薇やスノードロップが敷き詰められている。瓶を取ろうとすると薔薇のトゲが刺さるが気にしない。
「これは…」
あぁ。やっと私は解放されるのね。
母親から女子だからという理由で殴られ続けた幼い日々。母が死んでからは正妃様が毎日私の背中を鞭で打つ。側妃の娘の私に専属の使用人がいるわけもなく、身の回りのことは全て自分でやった。異母兄弟姉妹からは居ないものとして扱われ、私にぶつかった時などは痕が残らない程度の力加減で頬を打たれた。やっと現れた婚約者は、他の女性と結婚する。
なんて、なんてつまらない人生だったのだろうか。
泣くな泣くな泣くな
私は皇女私は皇女私は皇女
気高く、気高くしていなければ私のプライドが許さない
仲良し王家を演じる彼らを何度殺してやろうと思っただろう。
でも、もういいのだ。
あぁ、あなたが婚約を解消しなければ…。
そんな恨み言が私の頭をかすめるが、解消しなくても変わらない運命だろう。どうせ私は要らないお荷物皇女だ。
外は綺麗な星が瞬いて、月は優しく夜を包み込んでいる。
「さようなら、ラン…。私の最愛の方……」
もう決して呼ぶことのない彼の愛称をつぶやき、私はゆっくり瓶の中身を飲む。徐々に体に力が入らなくなってくる。涙が込み上げる。
『皇女は気高く生きなければならないのです。決して弱みを握られたり泣いたりしてはいけませんよ』
そんな正妃の声が、聞こえた気がした。
花言葉
スノードロップ→(贈り物の場合)あなたの死を望みます
薔薇の枝→あなたの不快さが私を悩ます
赤黒い薔薇→死ぬまで恨みます