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今回、人によっては少し残酷な描写が含まれます。それでも宜しかったらどうぞ。
リカルドさんから渡された魔法契約書にサインしてから、明日の朝の段取りの話し合いを終えた私達は、ある場所に向かった。
実は西区域にあったシスター・ミラを代表としたミラ教会。騎士の寝泊まりする宿舎と教会裏にある孤児院もあって敷地は思ったより広い。そして教会正面にはちょっとした広場があり、普段は子供達が憩いの場として使ってんねんけど……今はそれとは程遠い、騎士団の詰所と化していた。
どうやら祈りを捧げる神聖な礼拝堂で作戦会議するのは嫌やったらしく、騎士達の寝泊まりする宿舎と広場に物資を集めて今も段取りと作戦を考えてる様や。
ギルド職員の制服の人も混ざってるから、冒険者と騎士との共同戦線やな。
ギルド職員と話していたシスター・ミラが私達に気付いてこちらに寄って来てくれた。
「あら、サーリーちゃん達。今日も来てくれたの?」
「……うん! 皆の明日の勝利を願って、お祈りしたいの!」
「すいません、忙しいのに」
「まぁ、そんなの良いのよ……好きなだけどうぞ!」
シスターも普段の修道女の服装を脱ぎ、軽装の鎧でその背中に弓、腰にはクナイの様な形をした短刀を3本ぶら下げてる。さながら、職業レンジャーなスタイルや。
シスターはすぐにギルド職員に呼ばれて行ってしまったので、私達はそのまま、礼拝堂に続く大きな扉を開いた。
―――――
緊急依頼が発令される前日。
新しい装備に身を包んだ私達は、ノーランに話があると言われ新しい我が家の1階リビングに集められた。
三角屋根、3階建てのこの家は2階と3階それぞれに部屋が3つあり、2階はベッドのある部屋2つと本棚に占拠された書斎1つ。3階にはベッドのある部屋1つとバルコニーと繋がる広めの部屋、2階と同じ様な書斎がある。ちなみにノーランは3階、私達夫婦とサーリー達は2階で寝てる。
リビングは勿論、キッチン、トイレ、お風呂(久し振りの湯船っ!!!)は1階に固められ、正面玄関と裏口、鍵付きの大きな窓とかは住人の魔力を登録する事で施錠可能やねんて。便利な世の中や。
そんで、キッチン内の床にぱかっと開く扉があり、続く階段を降りれば地下室も完備されてた。水石(水の魔力が込められた魔石)で作られた氷室へと続く扉と、ちょっとした空間……寝袋や毛布があって、ちょっとしたシェルターっぽい。
「改まってどうしたん?」
8人座れるテーブルセットに陣取った私達を確認したノーランは、懐から取り出した件の本を、ダイニングテーブルの上に静かに置きながら私達の向かいに座った。
「ああ。リカルドから大昔の資料を貰ったって言っただろ? ……読み終わったから、お前らにも……特に、サーリーに聞いてもらおうと思ってな」
「……私?」
ルシファーを抱き上げながら着席していたサーリーは、ルシファーと共に首を伸ばして本を覗き込む。
リカルドさんから渡された本。辞書の様な厚みのある、少し古ぼけた皮の背表紙の、この本やな。誰かの手記だと思うってノーランが言ってたけどもう読んだんか?
……あ、そっか。大昔の本やもんな。もしかして、サーリーに関する事が書かれてたんか?
ちなみに表紙には文字が書かれてるんやけど、どうやらディルには読めないらしくふにゃふにゃ困った顔で鳴いてる。ああ可愛い!
ノーランが言うには今は使われていない古い言葉らしい。……大丈夫やで、ディル。私はツクヨミ様のお陰で言葉の不自由はないから、余裕で分かるよ!
デキルお嫁さんやろ!
『願わくば、どうか誰も憎む事なかれ。恨む事なかれ。我ら皆、神に愛されし者。故に救いは、終わりは必ず訪れる。幼き、≪夢視る少女≫と共に』
この文字の最後、見覚えのある模様が刻まれていた。三角形の中に世界樹の葉と三日月をモチーフにした、これは……!
「リカルドは≪ユートピア≫に住んでる恩人からこの本を預かったと言っていたが、ご覧の通りこの本の出自は≪デスペリア≫だと思う。そんで、色々調べてみたんだが……どうやらこの本、魔力が込められて作られてるらしくてな。まぁ今はその魔法も弱まって、俺にも読めるが……正しい所有者がこの本を持った時、魔力は充填されて本来の姿に戻ると思う」
ノーランのその言葉に、ぺたりとサーリーが本に手を置いたのを見て私とディルはおっかなびっくり様子を伺う。……あれ。ノーランの前振り具合でサーリーが所有者と思ってんけど。変化、無いよな?
「うん。やっぱサーリーじゃ無いな」
「「紛らわしい!」」
「にゃんにゃう!」
私達の期待と不安、返せ!
「あーあー揃って拗ねんなって。……まぁ、予想通りだな」
ノーランの言葉に、私達は揃って首を傾げた。
ノーランはテーブルに置かれた本を、不思議がる私達に向けてぺらりとめくって見せた。
「冒頭は『さあ、何から書き始めよう』から始まる。コイツは今から旅に出る事、そしてその道中を書き記してる。時代は千年前……≪デスペリア≫国内は戦乱の真っ只中。コイツはどうやら男で、魔法を使えなくなった薬師だった。魔法を使わずに煎じた薬で戦乱で傷付いた人々を救っていたが、旅を初めて1年程で、コイツは怪我を理由にあっさり死んだ」
え……そんな。書いてる人が死んだのなら、こんな分厚い本にはならんよな?
「男が死んだ日付からおよそ15年後。旅先で知り合った女が産んだ、死んだ男の子供がこの本を手に取ったと書き込まれている。『ああ、やっとここに辿り着いた。また最初から始めなければ』……この言葉の後、男と同じ様に子供も旅を始めたらしく、その旅の様子をこの本に追記していった。この子供も、魔法の使えない薬師だった」
しかしこの子供も、数年国を渡り歩いた所で死んでしまったらしい。
……そして、その子供が亡くなった15年後。
また旅の途中で知り合った女が産んだという子供が、この本を手に取った。『こんな事では駄目だ。足りない。私の贖罪の旅はまだ始まったばかりなのに』と。書き記しながら親と同じ旅を始める。
魔法が使えないので、薬師として。ほぼほぼ無償で、人々を救いながら。
……私は背筋から腕にかけての鳥肌が酷くなるのを感じた。
それは私だけじゃ無くディルとサーリーも同じやった。顔色が、すこぶる悪い。
「……この本……代々、子供に受け継がれて来たって事……やんな?」
そう口にしながら、私は違うと思ってしまった。
そうじゃない。この奇妙な違和感はそんな事で説明つかない。
……だって、どうして?
旅先で知り合った人との間に生まれた子供が……一緒に旅していた訳でも無いのに、どうして、自身の父親の正確な死亡日時を知ってるの?
そもそも、どうしてこの本を手に取れるの?
当時、内乱で荒んでた国。その真っ只中で亡くなった本人が所有していたなら……一緒に埋葬されるか、誰かに持っていかれそうなもんやのに?
私達の青ざめた顔を見たノーランは、首を大きく横に振って私の口にした言葉を否定した。
「……この本を書いてるのは、1人だろうよ」
「……嘘……」
1人。ノーランは、そう言った。
つまりノーランが言いたいのは……この本を書き記し、書き続けたのが……同一人物だって、事?
「死んじゃったのに、また書けるの……? この人、アンデッドなの?」
「……その方が、なんぼか救いがあったかもな」
サーリーの怯えた声に、ノーランは首を横に振った。
「この男は……いや、女の時もあるな。兎に角コイツは、死んでは自身の血縁に生まれ変わって贖罪の旅と言っては戦乱の真っ只中を練り歩いて、傷付いた者達を救い続けてる。勿論記憶を失う事もなく、持ったままでな。……自身が女の時は、腹の子が産まれると同時に生き絶え、己の産み落とした子として産まれている。……何度も、何度もだ」
……そうでなければ。
遺体と共に埋められただろう本も、不測の事態で自身が死亡する寸前に発動する、隠匿魔法で隠された本を見つける事も出来ないだろう。ノーランはそう言って、分厚い本のページをまたぺらり、とめくる。
ノーランが言うには、この本を書き続けた人物は、神々の怒りを買う様な罪を犯した。
その罪が何なのか、理由は書かれていないらしい。
でもこの分厚い本には、何度も何度も謝罪する描写が書き込まれてるねんて。濡れて乾いた跡があるから、物凄く後悔と反省を繰り返してたのが伺える。
流浪の薬師として生活しながら、時に勇者とも肩を並べ、この世界の異変を正す手伝いをしながらこの人物は生きていた。
……でも、この人物は短くて15年、長くても30年という短いサイクルで、何度も繰り返し生き返ってる。
内乱で巻き込まれた時に負った怪我で死に。
自身が助けた患者に敵と間違えられて殺され。
正気を失った、ゾンビとなったモンスターに喰われて。
私の生まれ故郷、日本の物語の定番にもなってしまった転生……それも、記憶を持ったままの。
この人物は、自身の血縁……それもおそらく自身が死んだ後に産まれる血縁の子供に、タイムラグも無く転生し続けてる。……もしかしたら、乗っ取りに近い状態、なのかも……?
信じられない私達に、ノーランも最初はあり得ないと否定していたけど、読めば読む程確信してしまったらしい。
どうやらこの手記は、万が一、記憶の伝達が正しく行われていない場合の保険であり、また思い出させる鍵となっているらしい。本に掛けられた破損や本人以外の使用を防ぐ魔法、自身が突然死亡した時に発動する隠匿魔法を維持する為に多量の魔力を必要として……だからこの本を持ち続けた人物は魔法が使えなかったのでは、がノーランの考えや。
「そうしてコイツは長い事、こんな事を続けて来たが……500年程経ったある日、生まれ変わった時から様子が変わった」
『また私が産まれた。目の前に、数分前まで息をしていたわたしが横たわってるのに。愛してくれた人を、絶望に叩き落としてまた産まれてしまった』
歪に歪んだ、辛うじてそう読めるこの一文以降、この人物は死ぬ事と産まれる事に恐怖する描写を書き記す様になる。
『産まれる為に死ぬのか。死ぬ為に産まれるのか。もう分からない。どれだけ人々を救おうと、我が神からの応えが無い。私は、どうすれば良いのか』
『ごめんなさい。あなたは愛してくれたのに。私はもう死んでしまう。贖罪の旅を続ける為に。……私を身篭ったから、もう死んでしまう。ごめんなさい、ごめんなさい、あなたは何も悪く無いのに。泣かせてごめんなさい』
この描写で、この人物が女性として生まれた場合には妊娠=死だったのが分かる。
それなら、そういう行為を拒否したら良いと思うけど……何故か必ず、そういう機会が、出逢いが訪れるんや。
そうしてまた、この人物は、この世界に産まれる。
全てが、予定調和である様に。
「……にゃぅぅ……」
うん。そうやね、ディル。
きっと元々は、優しい人やったんや。自身が死んだ後、子供を産み、育ててくれた多くの伴侶だった人の悲しむ姿に……この人物の心は病んでしまったんや。
この頃の手記の内容も書き殴りが多くなり、情緒不安定さが伺える、とノーランが説明してくれた。
『止まってはいけない。贖罪の旅を続けなければ』
伴侶となってくれた人々に謝罪しながら、それでもこの人物は何度も、何度も繰り返し産まれて来た。そして自身の心を病み狂わせながらも、贖罪の旅として人々を救い続けた。≪デスペリア≫だけでなく、≪ユートピア≫と≪デカラビア≫へも足を向けての旅をおよそ千年、この人物は続けた。
「……そして、最後に書き記されたのは31年前。≪ユートピア≫の教会で……おそらく、リカルドにこの手記が託される前に書き込まれた」
この時の人物は女性として産まれ、教会のシスターとして在籍していた。
本に掛けられた魔法が綻びかけていたのかそれ以外の理由か分からないが、この女性は聖魔法を使う事が出来たらしくほぼ無償で教会に訪れる人々を癒していたそうや。
『明日、私はあの方に嫁ぐ為に教会を去る。妾としてあの方にお仕えする事になるのでしょう。表情も動かぬ、人形の様になった私の何処をあのお方は気に入ったのか……私があの方と一度でも交われば、1年後に私は死ぬ。何も変わらない。私の罪は……贖罪は、まだ終わらないのだから。……ああ。私がこの旅を始めて、もう千年になる』
「ぁ、ぁ……ぁあっあ、」
開かれたページをノーランが私達に読み聞かせ……聞き終えたサーリーは、大きな紫紺の瞳から大粒の涙を零し、テーブルに乗せられた分厚い本にしがみ付いた。
『我が神よ、……私の、愛しい子と……私の、友は……今、どうしていますか?』
勝手に流れる涙を止める事が出来ないまま、私もサーリーに覆い被さる様に抱きついた。
ディルは椅子から立ち上がり、ノーランを見つめたまま微動だにせず。ルシファーはテーブルの上に座り込みながら……静かに、サーリーの腕の中にある本を見つめていた。
『私の魂は歪み、壊れ、この愛はもう狂っている。記憶の伝達に不備がで始め、この≪記憶の書≫を所持していても思い出すのに数年が必要となっている。……今回の嫁ぎ先の事を考慮し、≪記憶の書≫を冒険者に託す。不安は無い。その時が来れば、私はまた必ず≪記憶の書≫をこの手にするのだから。我が神の望むまま……これからも贖罪の旅を続け、人々を、世界を救い続ける。それが私の命の意味。存在を許される理由。…………だから、我が神よ。どうかあの子に慈悲を、お与え下さい』
書き込みのある最後のページ、その文字の間、間には水分で滲んだ様な跡がある。
『…………精霊達に守られし、永い時を眠る孤独な少女に。私の唯一、愛しい娘に。どうか、幸福をお与えくださいます様に……』
「ああ、ぁ、と……と、ぅさま……? とうさ、……? ……と、どうざまあっ! どゔざまああああ!!!」
サーリーが喉を裂く勢いで泣き叫ぶ声を、私は、私達は聞き続けた。




