120:決戦10
「獲物を待て! そして構えよ! 何人の邪魔だて許さぬ! ……さあ、わしと殺し合えノーラン!」
名を失ったという隻眼、片耳の狼獣人の男の姿に変化したナナシは残った左眼を血走らせながら、声高高に己の好敵手足る男へと告げた。
「ははっ、勝手言いやがる! こっちだってなぁ、不完全燃焼続いて気分悪かったんだよ! ……お望み通り、お前が自滅ぬ前に! 俺が殺したらぁっ!」
「あっははははははは死ぬのはノーランお前じゃああぁあああああっ!!!」
ノーランとナナシが距離を詰める為に駆け出したのは同時だった。
ナナシが両手の刀をノーランへと振り下ろす。しかしノーランはこれを聖剣と黒い短剣で受け止め弾き、そのままナナシへと斬り返し反撃に転じた。これをナナシは寸前で躱した。
狼頭の時とは違い、受ければ足跡が地面に深く刻まれる程重かったナナシの攻撃は随分と軽くなっている。しかし重さが下がった分ナナシの手数は増え鋭利さが増している。躱した筈のノーランの頬や腕の薄皮が裂かれていた。
しかしノーランも両手に武器という本来の戦闘スタイルに戻った事で剣捌きが一段と良くなる。剣と刀で斬り合う剣戟の、風を裂く音と金属のぶつかり合う音の間隔は徐々に短く、耳に痛い程の苛烈さに変わっていった。
肩幅より少し足を開き、足先を地にめり込ませながらノーランは両手の武器を振るっている。明るい緑の瞳を煌めかせたノーランは、太刀筋を見極め刀を受け止めながら逸らし、返す刃を相対する男に向ける。しかしそれはナナシも同様だった。
「「はぁあああああっ!!!」」
ノーランとナナシ、2人の実力に差異はあまり感じられない。そうであるなら、体力が続くかぎりこの闘いは永遠に終わらなかっただろう。しかしナナシの傷の、体の崩壊は続いている。ノーランも度重なる連戦、特に竜種の力の暴走は必要以上に体力を消耗していた。時間は限られていた。
このままの状態が続けば、アオツキの望むナナシの消滅による不戦勝となる……しかし、そんな決着をノーランもナナシも望んでいない。
ギン、ギン、ギンと視認してるだけではなく剣と刀のぶつかり合う音でその様子を正しく理解していたディルムッドは、ノーランの邪魔になる、と剣戟の始まる前にアオツキの襟首を掴むとその背中から引き剥がし距離を取っていた。
冗談では無く、本当に正気を失い暴れるそぶりを見せるアオツキにディルムッドは状態異常、混乱を治す気付け薬の入った小瓶をその口に無理矢理突っ込んだ。うごうご呻きながらも薬を飲み込んだアオツキは、正気に戻った様で大人しくディルムッドに襟首を掴まれたままとなった。
「……面倒かけて、ごめん」
殊勝に謝罪するアオツキに、闘いから視線を逸らす事なくアオツキを肩に座らせる様に抱え直したディルムッドは首を振った。
「にぃねえちゃんはノーラン好きだからしょうがないの。でも、信じて待つのも大事なんだよ? お嫁さんに信じてもらえるなら、男はどんな事でも頑張れるんだから……あれ、でも精霊の時は状態異常ならなかったのに、今はなるの? 体があるからかな?」
アオツキは、闘うノーランの背中を唇を噛み締めながら見詰めていた。横目に映ったその姿に違和感を覚えたディルムッドは己の半身をしっかりと視界に収めた。その顔色は、ノーランを心配しているにしては些か青過ぎた。
「……にぃねえちゃん?」
「ディル……僕、怖いんだ。心が、追い付かなくて。……ああなってるノーランが、僕には凄く遠くて……怖い。それに……」
アオツキの視線の先では、ノーランとナナシは死の恐怖など物ともせずに喜色満面で闘っている。
「なぁディル。僕、怖いよ…………僕は、ナナシを知らない。その筈なのに……この、懐かしさは何処から来るんだ?」
そう、泣き出す寸前まで顔を歪ませたアオツキに。ディルムッドが何かを口にする前に、それは轟いた。
『ギャオオオオオ!!!』
ディルムッド達の居るギルドの正面側とは反対、離れて闘い続けるノーランとナナシの向こう側で取り残された黒い飛龍が大地に尾を叩き付けながら雄叫びを上げた。
黒い飛龍は全身の傷から血と闇色の泥が混じり合ったモノが溢れていたが、よくよく見ればその量が増えている。そしてルシファーと同等程の体躯だった黒い飛龍が、心持ちルシファーより一回り小さくなった様にディルムッドには見えた。
この鳴き声に、サルーの町のギルド長リカルドと双子冒険者のカール、キールが反応し、ディルムッドたちに駆け寄り武器を構えた。
リカルドやカール達も冒険者であり、強者が望む一騎討ちに理解を示していた。しかし彼等は武器を持った……何故なら、今にもノーランとナナシの闘いに飛び込みそうな黒い飛龍が居たからだった。
『る……あの子、飛ぶつもり! ディル、ルシファーの背中に乗るの!』
「分かった! リカルド、にぃねえちゃんとノーラン、お願い!」
「おお! 任せろ!」
「「俺達も居るっつぅの!!!」」
任せろ、と武器を持った手を頭上に掲げる3人に、ディルムッドはアオツキを任せルシファーの背に跨った。
『るるるるカールとキールもお願いなのー! あっ、待てーっ!!!』
『グギャギャギャォオオオオ!!!』
けたたましい雄叫びと共に、黒い飛龍は闘うノーランとナナシの頭上3メートル上空に移動した。ルシファーも追う様に慌てて飛翔するが、しかし黒い飛龍は彼等の戦闘には混ざらず、頭上で1度旋回した途端、猛スピードで空の上へと飛び出した。
「……おおよチビ助よ! さらばじゃ!」
そんなナナシの言葉を聞きながら、黒い飛龍の背中をルシファーとディルムッドは追い掛けた。
サルーの町を覆う≪結界≫は、薄紫だったのがその殆どを白いヴェールを掛けられた様な色合いの空へと変化していた。
そして黒い飛龍は満身創痍であるにも関わらず、自身の上空に向けその口から黒いブレスを吐き出していた。すると、目に見えて欠けた飛龍の角が縮んだ。どうやら黒い飛龍は魔力を使えば使う程にその体躯を小さくしている様だった。
雲の間を縫うように飛ぶディルムッド達は、空から白く小さな雪……聖属性の魔力の粒が地上に向けて落下していくのを驚きながら見送った。その魔力の気配に誰の仕業なのか、そして黒い飛龍が何に向けてブレスを撒き散らしているのかを理解したディルムッドはルシファーに風魔法≪ゲイル≫を使用した。
「にゃぅう、俺、今走れないけど……」
それでも、今度こそ。
何が何でも間に合わせる。
ディルムッドは空の何処かに居る己のツガイに、心の中でそう宣言した。




