117:決戦7
終わらなかった。
もう少しの間、気長にお待ちください。
食べる云々で気持ちの悪い表現が追加されてます。
第三者視点で進みます!
『グギャグギャギャギャ!!!』
『ぐるるるがぁああああ!!!』
ディルムッド達がその姿をしっかりと視認出来たのと、竜種達の咆哮が彼等の耳に届いたのは同時だった。
所々を赤黒い血で染めながらも、ルシファーの神々しいまでの白銀の鱗は虹色の魔力で美しく煌めいている。ルシファーは大蛇に似通った長大な体を空の中くねらせながら、その大きく裂けた口から白銀のブレスを何度も何度も放っていた。対して、ルシファーと変わらない体格の黒い飛龍もその身からぼたぼたと黒いモノ……おそらくは闇色の泥や血を撒き散らしながらブレスを避け、ルシファーへと接近を試みていた。
モンスター同士の空中戦に見入ってしまったディルムッドは、その背に愛しいツガイの姿がない事に絶望した。
「にゃっ……マイがっ居ないっ!? ルシファー、ルシファー! マイは!? マイはどうしたの!!?」
しかしディルムッドの叫びは虚しく響くのみで、ルシファーには届かない。ルシファーのブレスを全て避け切ったらしい黒い飛龍は、腹から無数のいばらの蔓をルシファーの胴体への伸ばし、その身に絡めて自由を奪いながらルシファーの喉元に噛み付いていた。
ルシファーの雄叫びが空気を震わせる。
「ちぃっ、今はあんまし使いたくねぇけど……! おらディルムッド! 耳塞げっ!」
「みっ!?」
そう言いながら聖剣を鞘に戻したノーランは、≪心眼≫を発動させながら動揺しているディルムッドの虎耳をばちん、と音が立つ程に押さえつけた。そうして、勢い良く息を吸い込みながら自身の喉元に魔力を集める。ノーランの視線は空で闘うルシファーのその向こう、黒い飛龍へと向けられた。
「―――――――――――――――――――っ!!!」
ノーランに虎耳を押さえられたディルムッドはそれでも至近距離だった為にきぃんと頭に響く衝撃に身震いした。この時ノーランは、自身の喉から金属に爪を立てた時の様な、ヒトとは思えぬ高音を大音量で発声していた。
竜種や竜人は口からダメージ伴う高威力のブレスを放てる。しかしノーランの様に翼や角など竜種の身体的特徴、特にその丈夫さを受け継がなかった者は使用出来ず、無理をすれば喉が潰れ最悪命を落とす。しかし代わりに聴力に優れた相手を一瞬怯ませる超音波、通称スタン・ブレスが使用出来る。
ノーラン自身、竜種の能力を嫌っているがスタン・ブレスはとても有用に思っており、モンスターに囲まれた時などに重宝していた。
『る、るりゅおおおおおおっ!!!』
『グギャヴっ!!?』
黒い飛龍はノーランのスタン・ブレスに怯み、この隙を見逃さなかったルシファーは胴体を捻りながら自身の尾を黒い飛龍の顔面へと叩き付け、そのまま白銀のブレスを放って直撃させた。そのまま落下していく黒い飛龍を見たディルムッドは次いで、勝利に喜ぶ様なルシファーの雄叫びを聞いた。ディルムッド達へと急降下しながら、彼等にルシファーの念話が届いた。
『るるる助かったの! ノーランありがとう! ……ディル、マイは無事なの! 北門からアイツを追い掛けて来た2人がマイと一緒に居るから、大丈夫! ≪聖結界≫もうちょっとだからね! ……ルシファー、もう捕まらないの!』
そうして最後のルシファーの言葉は咆哮となって空気を震わせ、落下した黒い飛龍へと向けられた。
『グギャア! グギャギャア! グギャアア!』
数メートル手前で態勢を立て直したらしく、地面との正面衝突は免れた黒い飛龍はルシファーの威嚇も無視し、『団長』ナナシの姿をした闇の精霊、暴食のグラトニーに甘える様に頭を寄せていた。
「…………久し、ぶり……もうちょっと、だけ……頑張れ、る?」
『グギャギャ!』
黒い飛龍はアンデッドの腐敗臭を周囲に漂わせ、今もぼたた、と水音混じりに腐った肉と闇色の泥を全身の裂傷から溢れさせていた。剥き出しだった頭蓋骨は左の眼孔を残し叩き割られ、腑から覗いていた内臓もどす黒く変色しルシファーと同じ程度の体格にまで縮んでいた。
ルシファーに追い立てられ現れたのはノーランと北門で相対していた腐敗王……≪闇結界≫の要、ダンジョンの核と思われる存在だった。北門で見た時と異なる弱々しい姿に、ノーランは弱体化している事に気付いた。
「……ディルムッド、アオツキ。その黒いの、俺が北門で闘ってた奴だ。アオツキの仮説が正しけりゃ、ダンジョンの核本体だろうよ! ……まぁ、俺が最後に見た姿より、かなり小さくなってるが」
『サーリーが! 皆と頑張ったの!』
その光景を見たわけでも無いが、想像だけでルシファーは誇らしげに胸を張った。
「成る程……瀕死のダメージを受けて、守ってくれる守護者の所に逃げて来たか」
「にゃうぅうルシファー、マイ大丈夫? ほんとにほんとに大丈夫? 怖がってなかった? 痛がってなかった? ねぇねぇねぇ!」
「うるせぇ!」
『る、るるるぅマイも大丈夫なの〜』
剣を鞘から構え直すノーランと、その剣を握った拳で力一杯側頭部を殴られ無傷のディルムッドに迫られたルシファーは若干怯え、その様子を横目にアオツキは呆れながら前を向く。
「……それで、これからどうするんだ。グラトニー?」
アオツキの問い掛けにナナシ、否グラトニーは返事をせずそのまま立ち上がりながら腐敗王の砕けた頭蓋を撫でた。
「もう直ぐ、サルーの町を覆う≪結界≫は聖女の≪聖結界≫となる。この場はもうダンジョンで無くなり……ダンジョンの核、その役割そのものの価値は無くなる。……それこそが鍵で、お前の目的か?」
「……」
撫でるその仕草は誰が見ても、愛と慈しみに満ちている。
「ナナシの肉体を持つグラトニーに、役割の無くなった核……グラトニー……お前、その存在を……」
「うん。……望まれて、食べた。…………でも。望まれて、吐き戻した」
グラトニーの言葉は、喜色に染まっている。
「僕の、望みは…………今日、今、この時、叶った……! ……だから、……だから、今度は君の番。……さあ、終わりを始めようか……ノーラン・ホーク!」
グラトニーは、腐敗王の頭を撫でながらノーランを呼ぶ。ノーランはグラトニーの言葉に眉間のシワを深くした。
「凡そ、千年…………永かった、永かった……でも、ようやっと見付けたんだ……世界樹の精霊と、腐敗王に呪われたノーランが……僕が食べても、良かったけど……今の状況なら…………そのままの、ノーランが相応しい……!」
「ノーランは! もう僕のだ!」
必死の形相でノーランは渡さない、とノーランの背中にしがみ付いたままなアオツキの態度に、空気を読んだルシファーがアオツキの襟首を噛んで無理矢理引き剥がそうとしたが離れず、ノーラン本人が構わないとルシファーの鼻先を撫でで事なきを得た。
その間にも、グラトニーの高揚したような声は続いた。
「……その苛烈な、闘争本能……愛する者に対する、執着……! 無意識に、死を望み、生を望む相反する魂の、その有様……! ……だから、……ノーランが、……一騎討ち、してあげて?」
「「はぁっ!?」」
グラトニーの言葉に、ディルムッドとアオツキは揃ってノーランを見た。
「……へぇ? そりゃあ、誰とだ?」
そのノーランは、背中にアオツキをくっ付けたまま3歩前に進む。その表情は、怪訝よりも喜色に染まっているだろうとアオツキは考え、それは正しかった。ノーランの背中にディルムッドも駆け寄る。
ルシファーは中空で漂いながら、ノーラン達に続いた。
ノーランの言葉も無視したグラトニーは、腐敗王を撫でながら残った左眼をゆっくりと瞼で隠す。それを見た腐敗王は、眼球の無い眼孔から血と泥の涙を流しながら鳴き叫ぶ。
『グギャギャアア!!!』
「ぁあ……泣かないで、スエキチ……僕は、君に泣かれるのが……1番辛くて……僕の為に、泣く君が、……1番嬉しい、んだ。…………それに、君と彼の望みが、これで叶う、から…………もっと、喜んで?」
『ギャオ、ギャオ、オオオオォォ……』
腐敗王は鳴き続ける、喜ぶ様に。それでいて涙を伴う咽び泣きにもアオツキには見えた。
「ふふ…………うん。…………忘れない、忘れないで。僕は君で、君は僕。…………君を食べたあの日から、何も変わらない。……スエキチのお願いは、……僕にとって、とても辛くて……苦しくて…………でも、楽しかったん、だよ」
だから笑って、静かにその言葉を落とした瞬間、グラトニーの体から誰の目にも見える程の高密度の闇の魔力が噴き出した。
『ぎゃああああああああおおおおおおおおおおおおおおっ!!!』
ベキベキと全身の骨が砕けながら隆起し、二足歩行の巨大な狼が縮んでいく。武器は投げ捨てられ、爪を立てながら抉れた頭を、顔を、喉を掻き毟る。血が噴き出そうが泥が溢れようが、その声音が断末魔であってもグラトニー……否。
「…………は、はははは、ぁははははははははははははははははっ!!!」
誰かの顔は笑っていた。
右耳と右眼が抉れている所は同じだった。しかし黒い狼の毛で覆われていたその体は耳と尻尾を残し浅黒い人肌となっている。全身に裂傷や刺し傷、サーリーの手のひら程の大きさのケロイド跡も腕や脇腹にちらほら見受けられるが、確かに人肌だった。
「あははははははっ! あははははははっ! あははははははっ! わしの体……わしの声……やっとやっとやっと…………殺せる……! ああ! 殺せる! わしの手で! 殺せる! 殺してやるぞっ! ノーラン・ホークっ!!!」
大口を開けて笑う顔は、ヒトの姿であっても獲物を狙う狼そのもの。太い眉に鋭い眦、少し分厚めの唇は黙っていれば色っぽく見えた事だろう。しかし今その顔は邪悪としか呼べない事にノーランは苦笑した。
「アオツキ、ディルムッド、ルシファー…………邪魔、するなよ?」
そう言って、薄青い炎を纏う聖剣を右手に握りながら、ノーランは笑った。
その表情は、高笑いを続ける男にとても良く似ていた。




