97:ギルド前広場10
血溜まりと闇色の泥に汚された大地から、泥と同じ色の異形が溢れ出る。
丸い頭と首、2本の腕、胴体、2本の足と辛うじてヒト型と呼べるパーツは揃っているが、両腕両足の長さや大きさは左右で異なり、満足に二足歩行出来る異形はほぼ居らず匍匐前進する者が殆どだった。
『『『『ぁああぇえいぃぃあああいいいいいぃ!!!』』』』
異形の頭には鼻や目といった部位や凹凸は無く、漆黒の、のっぺりとした顔部分に口だけがあった。漆黒に染まった中に見える血に染まった真っ赤な口内は誰の目にも付く。歯は抜け落ち歯茎のみ、舌も切り取られているらしく数多の異形達は満足に言葉も紡げていなかった。
人形と呼ぶには生々しく、ヒトと呼ぶにはおぞましい。この異形達は、マイ達の目に醜悪な……それでいて、とても哀れな存在に映っていた。
そう思わせるのは、異形達の絶叫に宿る感情が……憤怒と呼べるものが欠片も無く。
只々、切なさと哀しみが宿る絶望だけだったからだろう。
「嫌や……何なんよ、これ……」
ぼろり、とマイの黒い瞳から涙が溢れる。
「…………あ……ぅう……っ」
目も鼻も耳も無い異形達に出来るのは、舌の無い口から発せられる絶叫のみ。……絶叫しながら地面を這い、マイ達の居るギルドへと近付く事だけ。
闇色の泥といばらの蔓に追い立てられギルドへと向かう選択しか出来ない異形達。
マイの涙は止まる事なく溢れ続けた。
「う……うぅあ、ああああっ!?」
「にゃう!?」
そうして、這いながらギルドに近付く異形達に気を取られていたディルムッドは、唐突に泣き叫んだマイが暴れ出すのに驚いた。マイを抱き締める力を強めて阻止したが、放っておけば陸屋根から飛び降りそうな勢いだった。
「にゃ、マイっ落ち着いて!」
「ぅううっ、うわあああああん! ……ああああああああん!」
『……マイ……まさか……!?』
泣き叫びながら暴れるマイを前に、ディルムッドの片割れは自身で仮説を口にしながら……苦悶に表情を歪めた。
一方、ギルドの中へと後退しながらリカルドは自身のスキル≪査定≫を発動させていた。
『種族名:――の奴隷 弱点―――― 補足事項:使い古された――――成れの果て。磨耗し尽くしている為――も――もほぼ残されていない。――願望があり、己が――の――を迎える為に――――。個別での意思疎通――』
ギルドの正面入り口。そこからリカルドは歯抜けのある≪査定≫結果を数秒眺めた後、眼前の蠢く存在を注視した状態で拳を握った。マイの≪結界≫で守られている状態で無ければ、リカルドの手のひらは血で染まっている程に、その拳は固く固く握り締められていた。
リカルドは幼い頃からステータス魔が高く、将来有望視されていた。しかし、どれだけ成長しレベルを上げてもMPが上がらなかった。ならばと魔法剣士を目指そうも、ガタイが良く目に付く筋肉が付いただけでステータス魔以外は並み以下だった。
リカルドの、現在の最大MP値が50。初期値からほぼ変わらなかったのも悪かった。アイテムを補充していようと、不測の事態は必ず訪れる。窮地を救えず、仲間を危険に晒した事も多かった。
だから、まだ若かったリカルドは大切だった仲間達に『お前は要らない』と見捨てられたのも当然だったと理解していた。
眼前の異形達を見ていると、リカルドは若かった自身の姿が重なって堪らない気持ちになっていた。
異形達から、強い怒りの感情は感じられない。それどころか、リカルドには眼前の異形達が全てを諦め絶望している事が何故か分かった。冒険者の勘と言ってしまえばそれで終わってしまうが、それでも自身の勘は当たっているだろうとリカルドは考えていた。
……そう。この勘が正しかったなら……それは、何と救いの無い現実なのだろう。
勘違いであってほしい、とほんの少し願ってしまったリカルドは……年甲斐も無く泣き叫びたい衝動を、歯を食いしばる事で何とか抑え込んだ。
「……リカルド」
そんなリカルドの背に、感情の薄いヒューリッヒの冷静な声が掛かる。
「その顔は止めておけ。……どうしてもと言うなら、また私の人形で慰めてやろう」
背中越しで顔が分かる訳が無い。……それでも長い付き合いだった為に、リカルドはヒューリッヒの言葉に食いしばっていた口元を緩めた。
カールとキールは違うが、その他の年若い冒険者達には昔ながらの偏屈で冷徹なエルフと思われがちなヒューリッヒは……リカルドにとっては今も昔も、不器用な優しさを持つ男だった。
『こんな所で蹲って泣くな、邪魔だぞ。………………仕方がない。慰めに私の人形をやろう』
『……ぐすっ、ぉれみたいな男が、人形なんて要るかよっ! ほっと、け…………ひぃいいみみみミみみミ』
『ん? 気付いたか、良く出来ているだろう? 現物を使わずにこの質感を出すのに苦労して』
『何で俺サイズのミミズ持ったんだアンター!!?』
他者と相容れず一匹狼を貫いていた有能な冒険者が、将来有望なパーティーから追放された男を連れ歩くのは格好の噂とネタにされたが……今となっては笑い話である。
「……、……はっはっはっ! 冗談抜きで要らん!!!」
「そうか」
ヒューリッヒの変わらず熱の無い返事にいつもの調子を取り戻したリカルドは、背後を振り返りながら己の相棒に視線を向けた。
「……ヒューリッヒ、些か情報が足りん様だ」
リカルドのその言葉に納得した様に頷くヒューリッヒの背中を、ギルドの中で毛布に包まりながら見ていた双子は揃って首を傾げた。
「この魔力量だ……相応に高位な存在なのだろう。……偶然か必然か、この場にはそれぞれの属性を持つ精霊と幼くとも能力高い竜種、あらゆる武器に精通した物理特化の冒険者に『聖女』までが集っている。……空白を埋める手段は多い」
リカルドのスキル≪査定≫は、スキルポイントと自身のレベル、自身の体験、経験によって一定の情報が開示される。開示されていない情報は自身と仲間達で調べ、情報の空白を埋めていく。
本来なら相応の人手が居るが……今なら、この場に居る人手で十分賄える。ヒューリッヒの脳裏に、自身の祖先の血を引くであろうダークエルフの少女の後ろ姿が浮かんだ。
「……リカルド、お前は『夢視る少女』を見つけたのだな」
「ああ〜……そりゃあバレるか。まぁ、巻き込んで悪かったなぁ」
リカルドの、余り悪いと思っていないだろう満面の笑みを見たヒューリッヒは、目元だけ緩めてギルドの中……休む双子に近付いていく。
「構わん。我等エルフは総じて……引き篭もりの暇人が多い。たまの誘いには乗ろう」
「はっはっはっ! そうか!!!」
そうしてリカルドの高笑いが響いた直後、ディルムッドが泣き叫ぶマイを抱えて飛び降りリカルドの眼前に着地する。
ディルムッドの背後には勿論、精霊達も居る。
「リカルド! ヒューリッヒ! 何でだろ、マイが変なのっ……ステータス異常で混乱してるみたいなの!」
ナナシ率いる≪名無しの軍団≫の完全勝利まで、後1時間と45分。




