4. プロローグ ④
宝物殿の火が消し止められたのは、謎の爆発が起こってから数時間後の事だった。
荒れ狂っていた炎が鎮火すると、辺りには夜の暗闇と鼻を衝く不愉快な焦げ臭さ、そして疲労感だけが残された。ファインは放水でぬかるんだ地面にへたり込んで、所々まだ火種が燻ぶっている宝物殿の残骸を見上げた――石造であったお蔭かその外郭こそ形状を保っているけれども、壁には所々に砲撃でも受けたかのように大穴が空いていたし、窓枠を飾っていた美しい意匠も、燃え落ちて無残な姿を晒しているのが暗い中でもはっきりと分かった。
火が消えてしばらくの後、隊長クリエンツェはその場にいた隊員たちに、屯所への一時帰還命令を出した。一体何が起こったのか、彼はその場では隊員たちに語らなかったけれども、ファインにはそれを問い詰めるだけの気力が残っていなかったし、他の隊員たちも同様だった。隊員たちは素直に隊長命令に従って、未だ白煙の上がる宝物殿を背に丘を下った。ファインは負傷して歩けない隊員を背中に負い、警察隊の屯所内にある簡易医療室へと運び込んだ。
屯所の簡易医療室には、怪我を負った警察隊の同僚たちが運び込まれ、数人の医務官から怪我の治療を受けていた。何人かは包帯に巻かれてベッドに寝かされていたが、隣人と話が出来る程度には元気であるらしかった。彼らは包帯と絆創膏だらけのお互いの顔を茶化して、笑い合っていた。
「幸いにして、命に別条がある隊員はいないようです。頭を打った人もいますから油断はできませんけれど……」
医務官の一人アンヌ・バレンスは、ファインの腕に出来た傷を診察しながらそんなことを呟いた。彼女が消毒液をたっぷりと染み込ませた綿を傷口に押し付けると、ファインはピリピリする痛みに思わず眉根を歪めた。
「ううっ、染みる……でも、みんな無事ならよかったです。あの爆発じゃあ、もっと酷いことになるかと一瞬ぞっとしましたよ」
「本当に!」アンヌはくわっと目を見開いて言った。「街からも見えましたよ、あの爆発。よくもまあ、大した怪我人を出さずに済みましたよねえ」
「普段から体を鍛えていたことが生きたと思いたいですな」
近くに座っていたネイドが口を挟んだ。アンヌは一瞬やれやれという表情を浮かべてから、再びファインの顔を見て尋ねた。
「それで、一体何が起こったんです? 不発弾でも爆発したんですか?」
「それが、傍にいた私たちにもよく分からないんです」ファインは困り顔でそう言った。「多分この後隊長から、詳しい経緯についての説明があると思いますけれど……」
ファインの心には隊長クリエンツェへの巨大な疑念が募っていた。何故隊長は自分たちに宝物殿の警備を命じたのか、一体あの場所で何が行われる予定だったのか、そして、実際何が起こったのか――疑問に思っていたのはファインだけではなかった。その場に居合わせた隊員たちも、あるいは屯所内で待機していた人たちも、みなクリエンツェによる説明を心待ちにしていた。
ところがその晩、クリエンツェは屯所へと戻ってこなかった。ファインを始め多くの隊員たちが屯所内の待機室で隊長の帰還を待っていたのだが、日が変わる頃になっても彼は帰らなかった。やがてやってきた副隊長のエヴァンスという男が、
「隊長は重傷を負った人たちを聖シャングトリネ病院に搬送している最中で、今夜は多分帰ってこれない。軽症者は一旦帰宅して、明日の昼に再度集合するように」
と皆に連絡すると、待機室に残っていた隊員たちは蜘蛛の子を散らすように退散していった。ファインも不満げな表情を浮かべたが、仕方がないので自宅へと戻った。
「まったく、なんて酷い姿!」
ファインの母親、ベーゼは真夜中に帰宅した娘の姿を見るやいなや、青ざめた顔でそう言った。制服は爆風と飛来物のせいで所々裂け、おまけに泥と煤だらけで酷い有様だった。その上、腕や足、あるいは顔には凄い数の包帯と絆創膏である。吃驚するのも無理はないと、ファインは少しだけ申し訳なく思った。
「すみません、お母さん」
ファインはベーゼに軽く頭を下げた。怒れる母親は憤然として言葉を続けた。
「ここからでも見えましたよ、丘の上の城が真っ赤に燃えるのを! あの辺りで特別任務があるって言って出ていったから、何だか胸騒ぎはしていたんです。それが、案の定! これだからシャロン警察隊に入るなんて私は反対して……」
「あー、詳しいことは後で説明しますから……」
ファインは疲れ切った声でそう言うと、凄い剣幕のベーゼを必死に宥めた。そして声の調子が若干の落ち着きを取り戻した頃合いを見計らって、ファインは自室へと逃亡した。
ファインはボロボロになった濃緑色のコートを床に脱ぎ捨てると、ベッドの上に身を投げた。天日干しされた布団の柔らかな感触に思わず表情を緩めながら、彼女はその瞼を静かに閉じた。そして数分も経たない間に、彼女の意識は眠りの世界へと落ちていった。