11. 青い屋根 ①
ラーク・モスコットという青年は、漁港のあるシャロン南部地区の外れ、近隣の住民もあまり近づかない崖の上に居を構えているとのことだった。クリエンツェ達から命令を受けた次の日には、ファインは早速ながら家へと向かう準備を整えていた。大きな鏡の前に立って、身だしなみに手落ちがないか念入りに見回す。奇妙な任務への不安感からか、鏡に映る自分の顔には若干影が差しているようにも見えた。ファインはピシャリと自分の頬を叩いて気合を入れなおしてから、薄く霧の立つ朝の街へと繰り出していった。
出立に当たって、クリエンツェはファインにいくつかの追加の情報を与えていた。ラークという青年は崖の傍の青い屋根の家に一人で住んでいて、滅多に街に顔を出さないこと。普段彼が何をやっているのか近隣住民ですら知らないということ。そしてクリエンツェとの間で交わされた手紙のやり取りによれば、現状彼は警察隊との協力を拒否しているということ――要するに、クリエンツェのもたらした情報はファインにとって不安を増大させる以上の効果を与えなかった。彼女の足取りは重かった。
「人智を越えた遺物、ねえ……」
彼女は結局任務を引き受けはしたけれども、ルビやクリエンツェのいう不思議な力とやらに対ついては、未だに半信半疑のままだった。身に着けるだけで莫大な力が手に入る不思議な服――そんなものが本当に実在するのだろうか。
「もしそんな便利なものがあるなら、うちにも一着くらい欲しいものね」
ファインは街を行き交う雑踏を眺めながら、強がるようにそう呟いた。
ラークの家はその南部地区の末端、小さな森に囲まれた崖の上にあった。賑やかな港の周辺から離れ、昼間でも薄暗い小さな森の中を一人で歩く。やがて森を抜けて視界が急に開けると、ファインは崖沿いにひっそりと建っている青い屋根の家を見つけた。
その二階建ての一軒家は遠くからでも分かるほど凄まじく老朽化しており、長年放置された空き家にしか見えない風体をしていた。家の周りに立っている木製の柵も所々壊れ、崩れているし、郵便受けは支柱が曲がって傾いている。浜風のせいで錆びてしまったのか、表札の名前も変色してもはや読むことが出来ない。崖の下から聞こえてくる波の音が、その場に立ち込める寂寥感をより一層煽っていた。
ファインは警戒心から腰の長剣に手を添えて、恐る恐るその家の玄関へと近づいた。それから木製の扉に近寄ると、耳を澄ませて中の気配を窺った。
「……誰もいない?」
家の中で生物が動いている気配は無い――ファインは直感的に思った。しかし一方で、何か得体の知れない存在が息を潜めて待っているような感覚もあった。痛いほどに脈打っている心臓を宥めるように彼女は一度大きく深呼吸をした。そして目を閉じ、決心を固めると、その大きな木製の扉を軽くノックした。
――と、彼女の戸を叩く動作が終わらぬうちに、突然玄関が勢いよく開け放たれた。ファインは吃驚して仰け反り、土の地面の上に尻もちをついた。
「痛ったあ……もう、何よ急に……」
ファインがすぐさま視線を上に向けると、開け放たれた扉の前に一人の青年が佇んでいた。青年はまるで珍しい動物でも見るかのような表情で、土の上のファインに静かな眼光を投げかけていた。
「んんっ? その制服は……」
青年はファインの着ている濃緑色のコートに気が付くと、少し眉を吊り上げた。
「……君は、警察隊の人だね。君たちには『来なくていい』と伝えてあったはずだけど?」
ファインは立ち上がって服の埃を払いながら、
「ラーク・モスコットさんで、お間違えないですね?」
と青年に告げた。
「私、ファイン・レントレインと申します。シャロン警察隊の隊員です。我々の隊長から既に連絡が行っていると思いますが、例の爆発事件についてのお話しを伺いたいと思いまして」
「……だから、前もって言っておいただろう。君たちに話を聞かせたところで何も……」
青年ラークは迷惑そうな感情を隠すことなくそう言ったけれども、ファインが彼を見るまっすぐな、意志の強そうな瞳に、彼は瞬間たじろいだ。彼は、むう、と小さく唸り声を上げると、
「……まあ、折角来たんだ。珈琲でも飲んでいくといい。飲み終わったら帰ってくれよ」
と言って踵を返し、部屋の中へと戻っていった。
「ありがとうございます」
ファインは一瞬だけ笑顔を浮かべると、彼を追って薄暗い部屋の中へと入っていった。