10. 容疑者 ③
「……その話を信じるとするならば」ファインは口を開いた。「今、その『茜の雪』という服は、一体どこにあるのでしょう。お話を聞いている限り、そのマネさんと弟子という人が、爆発を引き起こした犯人の様に思われるのですが」
「マネは近くの林で倒れているのが見つかり、近くの病院へと運ばれた。奇跡的に彼女は軽症で、数日の内に意識を取り戻した。目を覚ました彼女に、我々は色々と質問をした。しかし奇妙なことに、彼女は何一つとして当時のことを覚えていなかったのだ。宝物殿のカギを持ち出したことも、クリエンツェに同行して宝物殿の内部に入ったことも、中で何をしていたのかも。そして、クリエンツェが宝物殿に一緒に入っていくのを見たという、彼女の『助手』なる人物のことも。私たちは嘘発見器まで使って調べたが、どうやら記憶を失っているのは本当のようだった」
「なるほど」ファインは目を閉じて唸った。「しかしそうなると、助手という人の存在が大きな鍵になりそうですね。確か宝物殿内部の調査では、遺体は見つからなかったとか……」
「私の知る限りでは」ルビは遠い風景を眺めるような目つきでファインを見た。「クラウス・マネという人物は実に誠実な人間で、変な考えを起こすような人間ではない。今回の事件の原因は、その正体不明の助手とやらにあると私は考えている。いつ二人が出会ったのは不明だが、その人物が宝物殿から『茜の雪』を盗み、そして宝物殿を爆破していったのだと、我々は推測している。そいつが犯人であるならば、焼け跡から遺体の痕跡が見つからなかったのも辻褄が合う。……現在我々は街で目撃情報を集めながら、その人物の行方を追っている」
ファインはいよいよ興味津々にルビの話を聞いていた。しかしそれと同時に、別の疑問が心の底から湧き上がってくるのを彼女は感じていた――なぜこんな裏の話を私に、私だけにするのだろうか。人払いをした隊長室に、わざわざ私を呼び出しまでして。
そんな彼女の疑問は、瞬く間にその回答を得た。ルビの隣で暫く黙っていたクリエンツェが、ゆらりと顔を上げて喋りだした。
「さて、ファイン。私は現警察隊隊長として、君に一つ特別な任務を与えたいと思っている」
「特別な、任務ですか?」ファインは首を傾げた。
「君に頼みたいのは、とある男の調査だ。名前を、ラーク・モスコットという。シャロン南部地区の崖沿いに、長いこと一人で住んでいる男だ」
クリエンツェはそう言うと、書類の束の中から一枚の写真を取り出して、ファインに手渡した。写真には、一人の青年の横顔が映し出されていた。青みがかかった黒の短髪、全身を覆う黒いコート、それからまっすぐ前を見詰めている鋭い眼光――彼を構成する要素の一つ一つは別段妙なところは無いのだけれども、写真全体から受ける印象は、その人物だけが妙に世界から浮いているような、不思議な印象をファインに与えた。
「この男は、『茜の雪』について深く知っているはずの人物だ。今回の事件に関しても、我々には知りえない情報を持っている可能性がある。君の任務は、彼と接触して我々の調査に協力を願い出ること、そして彼の動向を我々に逐一報告することだ。どうかね。任務を受けてはくれないだろうか?」
「ちょ、ちょっと待ってください! あまりに話が急すぎます!」
ファインは写真に向けた顔を上げ、二人を見た。
「その……『茜の雪』という遺物に関しては、極秘事項だと先ほど伺いました。ではこの人は、なぜそのことを知っているのですか? 何者なんです、この人」
「何者、か……」ルビは呟くような声を発した。「……奴が何者なのかは、私も知りたいところだ。奴の背景には謎が極めて多いのでな。しかし唯一はっきりしているのは、奴が『茜の雪』に関して深い知識を有しているということだ。奴から情報を聞き出せれば、今回の事件の犯人探しにも大きく寄与するものと考えられる」
いまいち釈然としないルビの返答に、ファインは眉を顰めて言葉を続けた。
「……もう一つ。なぜ私なのでしょう。私が適任ということでしょうか? 警察隊は他にも大勢いますけれど」
「それに関しては、いくつか理由があるのだが……一番の理由は、君の剣の腕だ。君の警察隊としての実力は、隊員の中でも特別に抜きんでている。不測の事態に対応できる機転も十分にあると私は評価している」
クリエンツェはそう言ったが、彼の妙に含みを持たせた言い方がファインには気に掛かった。
「剣の腕を気にしている……ということは、剣が必要となるような事態も想定されうると考えている。そういうことですね?」
ファインの問い掛けに、ルビが静かな口調で返答した。
「……私の記憶の限りでは、奴はいきなり襲い掛かってくるような奴ではない。しかし、用心することだ。奴が潜在的に極めて危険な男であることは、疑いようがない」
ルビはそう言い切ると、口を真一文字に結んで黙ってしまった――俯き加減の彼の表情の中に、若干の恐怖と不安の色が浮かんでいることを、ファインの目は見逃すことが出来なかった。