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1. プロローグ ①

 一人の少女が小さな岩の上に立ち、夜を見つめていた。


 その日の空は、雲の一片もなく澄み渡っていた。暗い海の彼方からやってくる風は、海岸沿いに群れるように並ぶ家々の屋根を越え、彼女が立っている小高い丘の上へと流れ着く。辺りに生い茂る背の高い雑草たちはその緩やかな潮風に煽られて、シャラシャラと乾いた音を響かせていた。


 もうすっかり秋の気配だ――その少女、ファイン・レントレインは、肌を刺すような風の冷たさに少しだけ身を強張らせながら、そんなことを思った。


 ファインは暗闇の中に一人だけだった。周囲に生物の気配はなく、夜の静寂が辺りを支配していた。彼女は静かに海の方向を眺めながら、退屈な表情を浮かべていた。


「遅いなあ、あの人……」


 ファインは星空を見上げ、呟くように言った。口から洩れる息はかすかに白みを帯び、すぐに闇の中へと散っていく。吐息の行末を目で追いながら丘の麓に視線を移すと、そこには夜の街が放つ白や橙色の明かり、緩慢に動き回る車のランプ、あるいは海に浮かぶ夜釣り船の煌々とした輝きが明滅し、地上にもう一つの星空を作り出していた。


 ファインが丘の上に佇んでいる理由は、星の観測でも夜景の観賞でもなかった。彼女は人を待っていたのだ。それは、ネイド・メイスという名前の男だった。


 ファインとネイドは、『シャロン警察隊』という仰々しい名前の組織に属していた。シャロンというのはファインが生まれ育った街の名前であり、彼女の眼下に広がっている夜の街の呼称である。警察隊の隊員たちは、シャロンの治安維持を目的とした警備や護衛をその主な生業として、日夜活動を続けていた。そしてファインは、この年の春から新しく加入した新参隊員の一人であった。


 この日、ファインとネイドの二人は警察隊隊長クリエンツェ・グイ―ドの命令で、街外れの丘の上に建つ古城と、その傍にそびえる宝物殿へと招集を受けていた。召集の目的は、宝物殿周辺の夜間警備である。宝物殿の中には前時代の王族が集めた歴史的遺物や宝物が数多く保管されており、普段はシャロンの役人たちによって管理と警備が行われていた。クリエンツェから二人に言い渡された任務は、警備の役人たちに加わって、宝物殿を無法者の手から守るというものだった。


 二人は夕方にシャロンの中央街で落ち合うと、日が沈むのを待ってから、古城へと至る坂道を登り始めた。ところがネイドはその道中、自宅に何やら忘れ物をしたと言って急に街へと引き返してしまったのだ。ファインは丘の中腹辺りに一人取り残され、街灯一つない真っ暗な闇の中、することもなくひたすら暇を持て余していたのだった。


「あーあ、ここで待っていますから、なんて言わなきゃよかった。一人で先に向かってしまえばよかったんだ」


 ファインは過去の自分に後悔しながら小さくぼやいた。それから、ゴツゴツとした岩の上に体を横たえ、夜の空を見上げた。満天の星空。彼女は幼い頃に眺めた星座の早見表を頭の中に思い浮かべた――今は初秋の頃だから、あの辺りにアンドロメダがあるはずだ……ほら、見つけた! 彼女は無秩序な星の輝きの中から星座を探し出しては、星の連なりを指でなぞっていった。そんな細やかな戯れで時間を潰しながら、ファインは相棒が戻ってくるのをただ静かに待っていた。


 ネイドが姿を現したのは、それから数分後のことだった。ファインはふと、丘の下から橙色に揺らぐ光が上ってくることに気が付いた。その光がネイドの持つランプの明かりであると気付くまで、それほど時間は掛からなかった。


「済まなかった。思ったよりも探すのに手間取ってしまって……」


 大柄の男ネイドは、苦笑いを浮かべながらそう言った。ファインは非難を込めた目つきでネイドを見た。


「……それで、一体何を忘れてきたんです? 前回は支給品の長刀でしたけれども」


 ファインは腰に着けた長刀にわざとらしく手を掛けた。その白い鞘の剣は、警察隊の隊員に渡されている支給品である。


「いやなに、大したものじゃないんだ。身分証だよ」


 ネイドはそう言って、懐から警察隊の隊章の刻まれた手帳を取り出した。ファインはそれを見るや否や眉を吊り上げて、


「いやいや、大したものじゃないですか! 隊長から常に携帯するように口うるさく言われているでしょう?」


と嗜めるように言った。


「まあまあ……」ネイドは宥めるように言った。「俺が悪かった。機嫌を悪くしないでくれ。後でコーヒーでも奢るからさ」


「まったく……」


 ファインは気が抜けたように溜息を吐いた。


「くれぐれも気を付けてくださいよ。もう少し遅ければ集合時間に遅れるところだったんですから。さあ、出発しましょう」


「了解だ」


 ネイドは締まりのない顔でそう答えると、ファインは呆れ笑いを浮かべながら、


「……ああ、それと、どうせ奢ってくれるなら紅茶がいいですね」


と付け加えた。


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