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現実世界

生きる意味が見出せない僕は

作者: 羽鳥藍那

 その日僕は、交通事故によって帰らぬ人になるはずだった。

 両親の所に行けるとまでは思わないが、死んでさえしまえば寂しさを感じる事は無くなる。

 それなのに、医学の進歩は残酷にも僕の命を繋いでしまった。

 (まぶた)のひとつも動かす事の出来ない、生きる意味も持たない人形のような状態で、この魂を地上に引き留めてしまったのだ。


「彼は遠藤充(えんどうみつる)君で間違いないですね」

「はい。確かにうちのクラスの遠藤君です」

「ご両親と連絡を取りたいのですが、緊急連絡先を教えていただけないでしょうか」

「実は彼、昨年ご両親を交通事故で亡くされていて、ご親戚が遠方に居るようです。こちらが学校に提出されていた連絡先になりますが、あの連絡は……」

「それは本署に戻った後、警察の方からさせて頂きます」


 どうやら、警察官と担任の大原先生が話している様だ。

 辛うじて耳からの情報だけは入ってきていて、意識もわりとしっかりとある。あちらこちらに痛みも感じるので生きていることは確かだが、眉ひとつ動かせないので意思の疎通も出来やしない。

 両親が亡くなっている今、父方の叔父夫婦が唯一の親類になるのだが、九州に住んでいるうえに会ったのは数回のみと、両親が生きていた頃から疎遠であった。いくら後見人に指名された甥が事故に遭ったとは言え、両親の四十九日にも顔を出さなかった人達だから、関東まで出向いて来るとは到底思えない。


「先ほど担当医から聞いた話では、脳波に異常は見られないものの一切の反応が無いので、場合によってはこのままの可能性もあるとか。学校側でも親類の方と相談なさってください。それでは我々はこれで」

「ご苦労様でした。――はぁ。いくら友達を庇ったとは言え、面倒な事をしてくれたもんだ。教頭に話しても『お前が連絡しろ』って言われるだけだろうし。同じ打ち所が悪いならば、いっその事死んじまってくれてた方が良かったのになぁ」

 先生の言い分には腹も立つが、せっかく走馬灯も見られて両親の所へ行けると思ったのだから、『俺の方が死ねなかった事が悔やまれるんだ』って言ってやりたい気分だ。

 ほんと、なんで助けられちゃったんだろうな。なんか惨めだ。

 でもあの言い方だったら、尚也は助かったんだよな。それなら思い残す事も無いから、成行きに任せて死ぬのを待つか。


 光の変化をわずかしか感じないので、朝晩の認識さえも怪しい。

 たまに瞼を開けられているようだけど、うすぼんやりとしか見えずに眼球も動かせないでいる。

 それでも、廊下のざわつき加減なんかで一週間は経ったと感じていて、大部屋だから面会謝絶になっているとは思えないけど、見舞いに来た人は一人もいない。

 あの後は大原先生も来やしないし、クラスメイトだって来た様子がない。一日一回の看護婦さんからの声掛け以外、話し掛けられることは無い日が続いている。

 尚也は見舞いにも来れない状態なのだろうか。それとも身代わりになってしまった僕を、見るのが辛くて来られないのだろうか。

 それは、物凄く寂しい。


 そんな事を考える日が続いていたら、そばで椅子を引く音と腰掛けた様な軋み音が耳に届く。

 渋々でも叔父が見舞いに来たのかと思ったが、特に話しかけてくる様子も無く、ずいぶん長い間ただ黙って座っていて、看護婦さんが来たので席を外す様だ。

「ごめんなさいね。検温の時間だから、少し席を外してもらえる?」

「はい」

「終わったら声掛けるね」

 看護婦さんの話し方と聞こえた声で、見舞いに来ていたのが女の子なのは分ったけど、その声に聴き覚えがある様な無い様な。誰だったろう。


「遠藤さ~ん。熱測りますね~」

 検温のついでに何かされていたようだが、痛み意外の感覚が無いので何をされたのかが分からない。それでも点滴の交換や、何か身の回りの事をされている様なのは分る。

「終わったわよ。どうぞ」

「ありがとうございました」

 看護婦さんと入れ替わるように、あの子はまた椅子に腰かけたようだ。やはり声に覚えがあるが、それが誰なのか思い出せない。クラスメイトではないと思うが、ではどこで聞いた声だろう。

 結局、面会時間ぎりぎりまで黙って座っていて、看護婦さんに促されてその日は帰って行った。

 そして翌日以降も朝から晩まで、毎日ただ黙って枕元に座り続けている。途中で席を立つことも有るけれど直ぐにもどって来るし、お昼や学校はどうしているのだろうかと心配になる。

 学生では無いのだろうか?

 加害者かその家族なのだろうか?


 朝食の慌ただしい音が聞こえる中、看護婦さんたちのヒソヒソ話しが聞こえた。

「あの子、どう見ても学生よね。学校も行かずに毎日来ているけど、親御さんとか知っているのかしら」

「その辺は知らないけど、健気じゃないの。何の反応も返してくれない相手の手を握り続けて、涙しているなんてさ」

「それでも、一時の感情で人生を棒に振るってどうなの? この子は何の反応も示さないし、点滴で繋いでいるだけよ。次の恋でも見つければいいのに、あんなに痩せ細っちゃって。昼も食べてないじゃない」

「そうみたいね。『病院内で倒れられても困るから』って言われてからは、水分は取っている様だけど」

「あえて行かないのかな。学年とか変わんない様に」

「さぁ、無駄口は終わり。次に行きましょう」

 彼女がいた事もないので、看護婦さんの話は的外れなのだけど、そこまで想ってくれていた子がいたのだろうか……。もしそうであったなら、看護婦さんの言う通りに次の恋を見つけてほしいと思う。


 もうすでに日数の感覚が無いが、あの事故から二ヶ月くらいは経ったのだろうか。

 痛みも引いて触れられている感覚が分る様になっているので、居る間はずっと左手を握ってくれているのは知っている。持ち上げられて、涙にぬれた頬に触れさせられることも有った。

 それでも、相変わらず眉のひとつも動かせないのだから、早く死ななければと考えてしまう。死んでしまえば、この子は普段の生活に戻れるだろう。死んでしまえば悲しい思いをさせずに済むだろう。

 それでも最後に、一言で良いから伝えたい。

「ありがとう。そして、ごめんね」

 そう、毎日来てくれた感謝や悲しませた謝罪を伝えたい。


 とうとう季節も変わってしまったようだ。

 彼女はコートを着て来ているようで、その微かに柔らかい感触が心地良く、握る彼女の指先が逆にカサカサしている事に、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。

 すると始めて、彼女が僕に向けて語りかけてきた。

「遠藤君、ごめんなさい。貴方をこんな目に合わせたのは私の両親です。その両親は貴方を助ける事もせず、償う事もせずにあの世に逃げてしまいました。もうあの日から半年が経ちます」

 そうして、いつもの様に涙にぬれた頬に左手を導く。いつにも増して涙は多く、その手も頬も震えていた。

「本当にごめんなさい。ちゃんと元気になった貴方に、直接謝りたかったけれど、私ももう限界みたいです。向こうで会えたなら気が済むまで罵倒してかまいません。だから、先に行くことを許して。さようなら」


 それを聞いて、僕は生きなければと初めて思った。このままでは彼女の人生を狂わせてしまう。

 いや、すでに狂わせてしまっていて、その償いをしなくてはいけない。

 なにより、償う機会を失う訳にはいかない。

「え? 遠藤、君?」

 離すまいと込めた力で、離れそうだった彼女の手を握る事ができた。力など入ってはいないだろうが、彼女に気付いてもらえて滲んだ涙が頬を流れ落ちる。


 気持ちの問題だったのか、あの日を境に筋力以外は問題なく回復してきた。さすがに半年も寝たきりだったので痩せ細ってしまい、直ぐに歩けるようにはならないのが悔やまれる。

 やっとベッドに体を起こせるようになった頃、幼馴染の同級生がやって来た。

「遠藤君、久し振りだね」

「三島さんのいたずらっ子の様な顔、ほんと懐かしいよ。ところで尚也は、元気にしているのかな。会いにも来ないからちょっと心配で」

「元気とも言えないかな。あの事故で右足を負傷して、選手生命は断たれてしまったの。それで荒れちゃってね」

「そっか。見舞いにも来ないから、何かあったんだろうとは思ってたけど」

「見舞いの件は別。大原が植物人間だから行っても無駄だって言ったし、あの子が毎日来ているのも知っていたから私が止めていた」

「新島さんが来ている事、知っていたんだ」


「まあね。真理ちゃんには少し遠慮してもらったから、今日は午後から来ると思うよ」

「新島さんとは仲良かったんだ」

「そうね、過去形になってしまうけど。すこし、彼女のいない所で遠藤君と話したかったんだ。だから遠慮してもらったの」

「彼女には聞かれたくない話なんだね」

 人の悪口とかを言う子じゃないけど、事故の事で彼女の事でも責めた話しなのだろうか。それとも別の何か、か?

「登校もせずに毎日来ているけど、遠藤君は真理ちゃんのこと、どう思っているの?」

「申し訳ないと思っている。ご両親のしでかした事とはいえ、彼女がここまで尽くす必要はないのになって。でも学校にも行き辛いのかもしれないし、無理強いも出来なくて困っている」

 新島さんは事故の日以降、学校には行ってはいない。

 行くようにとは言ったのだけど、困った顔ではぐらかされてしまったので、苛めとかがあるのかもと思っていた。留年は確実だろうし、このままでは退学だってあり得るはずだ。


「でも、嬉しさもあるんじゃない? 彼女の事、ずっと好きだったんでしょ?」

「それって話した事ないよね。いつから知っていた?」

「委員会に出れば、真理ちゃんの方をでずっと見ていたからね。たぶんそうなんだろうなって。で?」

「あぁ、好きだよ。でも、好きだからこそ嬉しくない。彼女は罪悪感から僕の面倒をみていて、自分の幸せを放棄している。それは僕の望む事じゃないんだよ」

 そう、事故は彼女のせいではないのだから、ここまで気に病む必要はない。さらにご両親は、逃げた先でも事故を起こして亡くなっているそうだから、先ずは自身の事を大事にしてほしい。

「現在進行形なんだ。じゃ、束縛しちゃえば? 負い目に漬け込んじゃえばいいじゃん。いまなら何でもしてくれると思うよ。キスでも、その先までも」

「あのなぁ。幼馴染の縁を切るぞ!」

 いくら幼馴染とは言え、僕への侮辱だけでなく、新島さんへの侮蔑が込められている言葉は許しがたい。

 それなのに、三島さんは相変わらずいたずらっ子の様な笑顔でいる。まるで何かをたくらんでいるかのように。


「じゃぁ帰る前にひとつ。真理ちゃんと私は、遠藤君を奪い合うライバルだったの」

「ちょっ!」

 真っ赤な顔で慌てて入ってきた新島さんは、ひらりと躱した三島さんに突き飛ばされて僕のベッドに倒れ込む。

「やっぱり私には荷が重いわ。あとは二人でちゃんと話し合うんだよ」

 そう言い残して三島さんは帰ってしまった。

 ずいぶんお騒がせな幼馴染に、呆れながらも感謝を送りたくなった。そして「ごめん」と心の中で詫びる。

 残された面会時間、僕たちは気持ちを確かめ合って、これからの事を相談した。

 まぁ、時間をかけなくてはいけなかったのは、彼女の本音を引き出すまでのところ。罪悪感に染められてしまった感情を砕くのが、思いの外大変だった。

 それでも最後は、涙を流しながらも少し恥ずかしそうな笑顔を見せてくれた。


 真理が毎日リハビリを手伝ってくれるおかげで、医者が驚くほどの回復力を見せていて、一年振りに今日から登校する事になる。不安が無い訳ではないけれど、真理と同じクラスにもして貰えたので、楽しみの方が大きい。

 そこで大原先生のあの発言をネタに、無理強いした事は彼女には言うつもりは無い。

「充君、そろそろ出ないと」

 玄関で待つ真理は、好きになった頃と同じ笑顔が戻って来ていた。それが僕らの距離が近付いたからなのだと思うと、あの日の三島さんに感謝するしかない。

 そして、命を繋ぎとめてくれた人にも感謝をしたい。

 こうして生き延びたからこそ、真理と四六時中一緒にいる事ができるのだから。



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