4話 あるがままに
「楽念、これ楽念…」
『この声は和尚様の声ですね。私は今本堂にて一切の煩悩を捨て、生きとし生けるもの全ての幸せのために読経しているというのに…』
『お経とは本来、今、生きている方の幸せを願うためのお釈迦様の教えなのですから…』
と何時になく小坊主さんこと私、楽念は真摯に一切の煩悩を捨てお経を唱え続けていると、また和尚様が
「楽念…どこにおる楽念…」
『はぁ…和尚様にも困りましたね。一切の煩悩を捨て、私が愛すべき檀家様、日本の皆さんの幸せを願い、お経を唱えているというのに、ここはガツンと言わねばなりませんね』
と小坊主さんこと私、楽念は作務衣を整え、返事を済ませると和尚様の部屋へ向います。
「失礼いたします。楽念にございます。襖を開けて宜しいでしょうか…」
「よいぞ…」
私こと、楽念は和尚様にガツンと言うべく、いつもよりきちんとした挨拶を行いながら部屋へと入ります。
「あのぉ…和尚様!…」
「楽念、これで今晩の夕飯の買い物をしてきておくれ…いつも楽念に買い物に行ってもらっているから、お釣りは好きに使って構わんぞ…いつもありがとう…」
「はい!この楽念。和尚様の言う事なら例え、火の中、水の中…買い物に行って参ります」
私こと楽念、和尚様の気持ちを踏みにじってまで抗議を行う無粋な真似は致しません。
『つーと言えば、かぁーの以心伝心、和尚様の私への慈しみの心が伝わりましたから。さぁジャージに着替えて、帽子は毛糸の三角帽子に寒いから「ちゃんちゃんこ」っと』と思いつつ支度を整え『楽楽寺』を後にします。
それに、お釣りが尋常でなく多いため、私こと楽念、嬉しさのあまり足取りは鳥のように軽やかです。
「るん、るん、やぁほーい、るん、るん…」
私こと、楽念は『楽楽寺』から歩いて20分に位置するスーパーマーケット『ベラク』へと向います。
『今日の夕飯は、鍋焼きうどんにしましょう。和尚様も皆も喜びますからね』と思いつつ、ベラク店内に入ると、長ネギとうどん玉、卵にかまぼこ、メインの海老の天ぷらを購入していきます。
すると、3mほど離れた通路で話をしていた2人組の女子高生の声が、耳に届いてきました…
「何…あの人…ジャージで『ちゃんちゃんこ』って変態かも…」
「そうよね…変態よ…絶対…」
『これこれ、女子高生のお二人さん、私は変態ではありませんよ。ただのお坊さんです。お坊さんがジャージで「ちゃんちゃんこ」を着てはいけないのですか。それに陰口は本人に聞こえないようにするものです…はぁ…悲しい時代になったものです…』
と思いながら、私こと楽念は、愛犬の『甘露』を連れ、楽楽寺への帰路につきます。
『はぁ…何か心の中のモヤモヤが消えないですね…』と小坊主さんこと、私、楽念は楽楽寺に到着すると台所に買い物袋を置き、精神緩和のためのお堂である『柔和堂』に入ります。
『このざわついた心を沈めるにはこの方法しかありません…』私は『ちゃんちゃんこ』を脱ぐと堂の中に設置してあるフックに掛け、両手にグローブをはめます。
「シュ‥シュ…」私こと楽念はヘビー級ボクサー最強であったある方を思い浮かべながら、軽やかなステップで、お堂の真ん中に吊るされているサンドバックを無心で叩きます。
「シュ…シュ…何が変態ですか…シュシュ…私は断じて…変態ではない…シュ…シュ」
20分後。私は爽やかな汗と共にお堂から出て、茜色に染まった空を見つめます。
『私もまだまだ修行が足りないよです。それにしても怒りを解消するにはシャドーが一番!私は変態でも生ぐさ坊主でもありません。世俗のように他人を『やっかみ、妬み、馬鹿』にする。だけれども他人のために親身になることができ無償の愛を注ぐことができる。間違いを犯しながらも反省し正しく生きようとする。そんな普通の人々を幸せにしていきたい…』
『聖人となり、間違いを犯したことのない人間だけを救うことが救済なのですか。世俗の人々のように怒りたい時に怒り、悩み、一緒に笑い、ともに感動できる。私はそんな人間臭い人々を救っていきたい…』
「楽念…これ楽念…台所に買い物袋を置きっぱなしにして、どこに行っているんじゃぁ」
「はぁーい、和尚様!今行きます…」
『肩の力を抜いて、ほんわりとした『ありまのまま』で…』私こと楽念は台所へと向います…。