3話 中秋の名月
今日は『中秋の名月』でございます。ちなみに、中秋の名月は必ず仏滅となることから『仏滅名月』ともいわれております。
おや、何やら左足が暖かくなってきましたね。小坊主さんこと私『楽念』は足元を見ますと『甘露』が私の左足にマーキングをしております。
「これこれ『甘露』、私は電柱ではありませんよ。黄金水は別の処で散水しなさい」
『甘露にも困ったものです。普通のお寺さまであれば13時から17時の間、それも作務の後にお風呂と如常の差定で決められておりますので、勝手にお風呂に入ることは許されないのですが、ここ楽楽寺は24時間いつでもOK。有り難いかぎりです。では早速足を洗いに参りましょう…』
「ザブー!」「ふぅー極楽、極楽…」『あっ、いけない私としたことが典座(台所)の手伝いをすっかり忘れておりました。』
小坊主さんこと私『楽念』は急いでお風呂を出て作務衣に着替え、典座(台所)へと向います。
『げげっ…なぜに和尚様が…典座におられるのか』と下品な言葉を思い浮かべておりますと和尚様が
「これ…楽念、どこに行っておったのだ、皆、昼食のカレーを楽しみにしているのだからな…」
「これはこれは和尚様、大変申し訳ございません。直ぐにカレーをご用意いたしますので、しばしお時間を頂きたいのですが…」
「頼んだぞ…楽念…」
「トントントン…ザック、ザク…シャー…グツグツ…」
『ふぅー後はご飯が炊き上げるのを待つだけですね。何とかお昼まで間に合いそうです』と小坊主さんこと私『楽念』は『ほっ』とします。
通常のお寺さまでは、ご飯に味噌汁と漬物といった精進料理を食するのが一般的ですが、ここ楽楽寺ではタンパク質補給のため、やむを得なく肉を食します。
迷える方と同じ目線でなければ、真に迷える方をお救いすることができるでしょうか?かの一休禅師も奥様がおり、飲酒や肉食をされていたと言われております。
人を救うのは人、ゆえに人間臭くて良いのでは…
高みの悟りより、明日を生きる糧となる言葉が必要なのでは…
と小坊主さんこと私『楽念』は自分を甘やかし正当化してしまいます。
甘露は、ここ楽楽寺の山門前に捨てられていた雑種のお犬さんです。日々人々を救いたいと思い休まることのない私『楽念』の乾ききった心を潤してくれるよう『天のお酒』という意味や全ての苦しみを救済する甘露門というお経にかけて、甘露と名付けたのですが…
私の心ではなく足元を潤すとは…
いやいや、全ての事には意味がある。これもまた真成なのですね…
今日は中秋の名月なので、晩は和尚様達とお月見です。冒頭申し上げましたが中秋の名月は必ず仏滅となることから『仏滅名月』とも言われております。
不吉と捉えるのか。それは心次第かと、水を飲むことができない餓鬼はガンジス河を見て火の川と思い、私達人間は水の川と思い、天人は甘露の川と思う。
同じ水なのに…高級なグラスに入っても安いグラスに入っていても水は水…丸い容器に入れば丸くなり四角の容器に入れば四角くなる…でも水の本質は何ら変わらない…
悟りを開く根源とは、多くの人や自分を幸せにするために悟りを開きたいという想いのだったはず…であれば悟りを開かずとも幸せになることができれば、それもまた意味があることではないでしょうか。
常に清くなくともいいのです…時に間違いをおかしてもいいのです…正しく清く生きようと思う心があればいいのです…だって人間ですから…
今日の私は満月が近いせいか、オセンチになっているようですね。ちなみに中秋の名月は必ずしも満月ではないのですよ。2018年はほぼ満月ですが…
「焦げくさいですね…あっあ―――少し焦げている!」
『ノンノン自分に『喝!』焦ってはいけません。少し『ビターテイストなカレー』にしたのだと皆さんに御伝えすれば良いのです』と私『楽念』は高鳴る鼓動を鎮めました…