ミゼラブル
京都と奈良に行きました。
私にとって京都とは、闇夜に光が揺らめく感じで、奈良は安閑として湿り気を帯びた感じ。
どちらも宝石を隠し持っているような、そんな土地だと思うのです。
桜の時期に合わせた積りが既に葉桜が多く、枝垂れる桜が時折、見られるくらいでした。まだ生き延びてくれている風情に感謝しました。
生き延びる。
それはとても大事なことです。
知人に案内されて行った、大きな洋館のような喫茶店。
紅茶とケーキを頂きました。
ケーキの名前はミゼラブル。
私は皮肉に苦笑いしつつ、それを食べました。
美味しかった。
甘味と塩気が絶妙に効いたクリームがサンドされていて、「これが無情の味?」と不思議に思いました。ああ、塩気がそんなイメージだったのかな。
由緒ある骨董品店の並ぶ通りは、どこかおっかなくて。恐る恐る、ショーウィンドウを眺めました。
染物屋さんは比較的、入りやすく、私は一枚のストールを買いました。春とは思えぬ肌寒い空気に、薄手のコート一枚を羽織った私は慄いていて、買ったストールを首に巻き、早速、暖を取りました。紫とピンクと茜が混ざったような、美しい色合いのストールでした。
ある宝飾品店の前で私は足を止めました。
カットされた宝石が、標本のように箱に収められて展示されていました。
お洒落だとも変わっているとも思い、気づけば扉を開けていました。
アメジストの標本に、殊に惹かれた私は、それで指輪を作ってもらうことにしました。幅が厚いと石が出っ張ったようになるのだと、店主の方から説明を受け、石の選別はお任せすることにしました。使う素材はホワイトゴールド。菫の意匠をつけて欲しいと注文しました。それから、一頭の馬が孤高に立つカメオも買うことにしました。あとで送ってくださるそうです。カメオの名前は風雅と決めました。音は音楽用語のフーガにも通じます。
翌日は雨に降り込められました。
私はホテルでじっとして、何かの植物みたいに動きませんでした。
雨は容赦なく降り続け、風を伴い不機嫌なようでした。
明くる日、奈良に移動しました。
奈良公園の中にある、離れ形式の宿に泊まりました。離れそのものが奈良を凝縮したうような温かな趣ある宿で、鹿が周りにたくさんいました。
本当であれば一人では泊まれないその宿に、私は無理を言って一人で泊めてもらいました。
二人で泊まる筈だった宿で、お風呂に入り、食事をしました。
美味しくて悲しかった。
だってあの人はもうどこにもいませんから。
菫の花が似合うねと言ってくれた、あの人は。
広い空のどこか、一部になってしまったから。
翌日の空は晴れていました。
昨日よりは少し穏やかな天候でした。
けれど、ミゼラブル。
レ・ミゼラブル。
彼がもういないことの無情を知らせる青い空。