後輩は自称有名人
「その、本当にすみません」
階段を上りながら、何故か彼女は謝ってきた。
「何が」
「何がって、こんなこと手伝わせちゃって……」
「……別に気にすんな」
どうやら申し訳なかったらしいが、これは俺が好きでやっていることだ。申し訳なくなられても困る。
「あの、先輩」
「何」
「……その"何"とか"何が"って返されるの、正直言って怖いです」
「……ごめん。そんなつもりじゃなかった」
無意識に圧をかけてしまっていたらしい。
俺としては普通に受け答えていたつもりだったが、言葉選びが悪くなるのは俺の悪い癖だ。もう少し気をつけよう……。
「ふふっ」
彼女の言葉を素直に受け止めて反省していると、彼女は俺を見ておかしそうに笑う。
「何だよ」
「いえ、少し可愛いなーと」
「は?」
「……だから先輩、それ怖いですって」
「……可愛いなんて言うからだろ」
今のは彼女にも非があると思う。すると、彼女は不思議そうに俺に訊ねてきた。
「嬉しくなかったですか?」
「可愛いって言われて喜ぶ男とか、少し特殊な部類だと思う」
「そうなんですか?」
そう言って、彼女は目を瞬かせる。
どうやら、本気で褒め言葉として言っているつもりだったらしい。それが分かって、俺は少しだけむず痒い気持ちになった。
「じゃあ、格好良かったです」
そして、彼女は新しく言い直してきた。俺は彼女の意図が読めないまま、一応お礼を言っておく。
「お世辞ありがとう」
「バレましたか」
彼女は悪戯っ子のように笑う。
……そんな彼女の顔を見ていて、先程から気になっていたことが一つあった。
「どっかで会ったことある?」
――俺が訊ねると、彼女はピタッと動きを止める。そして、ぎこちない動きで俺に顔を向けてから、言った。
「私のこと、ご存じないですか?」
「会ったことあるならごめん。覚えてない」
「そ、そうですか」
反応からして、やはり俺と面識があるのだろうか。
しかし、俺は全く思い出すことができない。後輩となんて普段話さないから、話したとすれば簡単には忘れないものだとは思うが……。
「やっぱり、会ったことあるのか」
「あ、いえ、初対面です。先輩が私を見たことはあると思いますけど」
「どういう状況だよ」
意味が分からない。本当にどういう状況だそれ。
「本当に分かりませんか?」
「……分からん」
「えー……ちょっとショックです。私、学校では有名な方だと思ってたんですけど」
……有名人?
「テレビにでも出てるのか?」
「違いますから。学校ではって言ったじゃないですか」
ジト目を俺に送りながら、彼女は続けて訊ねてくる。
「午前中、私のこと体育館で見てる筈なんですけど……もしかして、先輩寝てました?」
「いや、起きて……あっ」
ようやく思い出した。
「軽音楽部か」
「それ以外の何に見えるんですか……」
彼女はため息を吐くと、再び歩き始める。俺も止めていた足を再び動かす。
軽音楽部のステージ発表は学年ごとに一組ずつ。
その中の一年生枠で、一番前でギターを弾きながら歌っていたのが彼女だったのだ。
「私達のバンド、どうでしたか」
「……凄かった」
「語彙力ゼロですか先輩」
「悪かったな」
本当にそれしか出てこなかったのだ。けれど、凄いと思ったのは嘘じゃない。
彼女達のバンドには、一年生と思わせない迫力があった。歌いながらのパフォーマンスも凄いと思った。
……そうだ、パフォーマンスと言えば、聞いてみたいことがあった。
「途中でギター入れ替えてたのって、何か意味あったのか?」
「違います! 入れ替えてたのはギターとベースです! ギターとベースは全くの別物なんです!」
気になっていたことを訊ねてみれば、人が変わったように勢いよく捲し立てられる。
「わ、悪い」
「楽器二種類弾き分けれるんですよ! 凄いですよね! 褒めてください!」
「お、おお、凄い凄い」
言われたとおりに褒めれば、彼女は憑き物が落ちたかのように静かになる。
「でもまあ、そうですよねぇ……ギターとベースの違いなんて、やってる人しか分かりっこないですよねぇ……あのパフォーマンスは失敗だったかぁ……」
それから、大変分かりやすくへこんでしまったのだった。
「悪かったって……」
「いいんです……私もすみません……」
彼女に何か声をかけてやりたいものだが、思いつかない。
……こういう時は、考えすぎない方がいいかもしれない。加茂さんに倣って真っ直ぐに、正直な気持ちを伝えよう。
「なあ」
「何ですか」
「バンド、格好良かった」
「ああ……そうですか格好良かったですか…………え?」
俺の言葉に、彼女は固まる。
不味いことを言ってしまっただろうか。そんな不安な気持ちに駆られていると、突然彼女の口元が緩んだ。
「そ、そうですか。えへ、へへへ」
声を抑えるように手を口元に持ってくる彼女だが、にやけた口元を隠しきれていない。
急に不気味な笑い声を出し始めた彼女に、俺は安堵よりも困惑が勝ってしまった。
「どうした」
「いや、その、へへ、格好良いって言われること、あんまりないので」
「……そうなのか?」
意外だ。彼女のバンドを見て、俺が"凄い"の次に浮かんだ感想がこれだったのに。
「普段、何て言われてるんだ? 流石にバンドやってて何も言われないってことはないだろ」
「恥ずかしながら、可愛いって言われることが多いですね……」
そう言って、彼女は照れ笑いを浮かべる。
改めて彼女の顔を見ると、確かに格好良いというより可愛い系の顔立ちをしている。顔も整っている方だと思う。
声質も大人か子供かで言えば、少し幼い。きっと、これも理由に関わっているのだろう。
「あの、先輩、見過ぎです」
「ごめん」
気づけば彼女の顔をガン見してしまっていた俺は、スッと目を逸らす。
そして、お互いに暫し沈黙しながらも歩みは止めず、五階に辿り着いた。
「……改めて、どう思いました?」
そこで、彼女はおずおずといった様子で訊ねてくる。俺は少し迷った後、言った。
「カッコ可愛い……だな」
「……そうですか」
彼女はそう言うと、俺の前に立って言った。
「先輩、ここで大丈夫です。ありがとうございました」
「あ、ああ」
俺が持っていたギターケースを返すと、彼女はすぐさま視聴覚室の方に向かって早足で歩いていってしまう。
――しかし、数メートル先で彼女は立ち止まり、俺の方を振り返る。
「先輩!」
前に抱えるギターケースの横から顔を出して、花が咲いたような笑顔を見せながら彼女は言った。
「格好良かったって言葉は、私の本心ですから!」
不意打ちの言葉に、俺は呆気に取られてしまう。
その間に、彼女は今度こそ行ってしまった。
「……俺も本心しか言ってねえよ」
言い逃げした彼女の背中に、俺は一人呟くことしかできなかった。





