加茂さんと夏休み最終日
8月31日、夏休み最終日。
昨日の約束通り、俺は加茂さん宅にお邪魔していた。夏休み二度目の加茂さんの部屋である。
『ここ教えて!』
「そこはな……」
加茂さんがボードと宿題のプリントをこちらに向けてくる。
宿題の進みは案外順調なものだった。加茂さんが物凄い集中力を発揮してくれているので、溜まっていた宿題が次々消化されていくのだ。
この調子なら今日中に全ては終わらなくとも、提出期限には間に合いそうである。
……まあ、あの勉強嫌いな加茂さんがこれほどの集中力を発揮してるのには、夏休み最終日の焦り以上の理由が一つあるのだが。
「あ、くそっ、また死んだっ」
「あんた、馬鹿正直に突っ込みすぎでしょ」
宿題をやっている俺達の隣で、秀人と神薙さんが仲良くテレビゲームに奮闘していた。
まず、そもそも何故この二人が居るのか。
神薙さんは言わずもがな、加茂さんの宿題の手伝い要員である。
去年も手伝いを頼んでいたらしく、今年も頼んだらしい。
秀人は俺が誘った。勿論、誘う前に加茂さんに予め許可は取った上で。
――彼はコツコツやるということができない人間である。そのため、いつも宿題を溜め込み、最終日は消化に追われていた。
因みに、俺は毎回手伝っていない。俺が手伝えば、秀人の駄目人間さに磨きがかかるだけというのが分かっているからだ。
けれど、今回は加茂さんのついでという形で、仕方なく手伝おうと思った。
しかし、今回の彼は一味違った。なんと、しっかり宿題に手を付けていたのである。
彼にどんな心境の変化があったのか分からないが、これは良い変化だ。
一人の友人として、今後も続けて欲しいと思う。
……と、話が脱線してしまった。加茂さんの集中力の話に戻ろう。
加茂さんの集中力の理由はこの二人……というより、この二人がやっているゲームが理由だった。
そのゲームというのは、前に俺と加茂さんが二人で挑んだホラー風味の脱出系アクションゲーム、"ゾンビ大発生"。
早めに宿題を終わらせた秀人が暇を持て余し、加茂さんがテレビゲームを勧めたのである。
そして、やり始めたのが、よりにもよってこれだった。
――加茂さんはホラー系が大の苦手だ。
そのため、わざわざテレビからテーブルを離し、俺達はテレビに背を向ける形で、粛々と宿題に取り組んでいた。
……加茂さんが迂闊に振り向けない状況がこうして完成したために、彼女は宿題に集中せざるを得なくなったのである。
始めは、神薙さんも俺と一緒に加茂さんに宿題の補助をしていた。
けれど、しばらくやって、教える人は一人でいいということになり、今は交代制で加茂さんに教えているのだ。
「…………(ばたん)」
「……加茂さん?」
突然机に突っ伏した加茂さんに声をかけると、彼女はその体勢のまま器用にボードに文字を書く。
そして、書き終わると、力尽きるように顔も伏せてしまった。ボードをこちらに向ける気力もないらしい。
『つかれた』
ボードを横から覗けば、疲れを訴える言葉がよろよろの平仮名で書かれている。
時計を見れば、宿題を始めてから2時間半が経過していた。
「休憩入れるか」
「…………(こくり)」
顔を伏せたまま、頷くような動きを見せる加茂さん。
俺も少し疲れたので、足を伸ばして楽な体勢を取る。
「だぁぁぁっ! くっそムズいなこれ!?」
秀人の声が後ろから聞こえて、軽くそちらを見やる。
テレビ画面には"GAME OVER"の赤い文字。どうやら苦戦を強いられているらしい。
「ぐふっ」
仰向けに倒れる秀人の腹を、神薙さんが軽く手ではたく。
「九杉の邪魔になるでしょ。声の大きさ考えなさいよ」
「ごめん」
「……あんたね……」
秀人が顔だけこちらに向けて、寝っ転がったまま謝罪してきた。神薙さんは、そんな彼に呆れの眼差しを向けている。
謝る気あんのかと思わなくもない。が、タイミングが良かったので、大目に見てやることにした。
「別にいい。俺達も今休憩入ったところだから」
「おー、そっかー」
「……何でだろう、すっげームカつく」
「それは理不尽じゃね?」
秀人は起き上がり、真顔で俺に文句を言ってくる。
間延びした声が絶妙にイラッときてしまったのだから、仕方ないと思う。
「九杉、開けるわねー」
声の後に扉が開き、加茂さん母が顔を覗かせる。
「お昼できたけど、ここに持ってくればいい?」
「…………(こくこく)」
「あ、手伝いまーす」
「私も」
「じゃあ俺も」
「あらあら、皆ありがとうね。でも、そんなに要らないから……そうね、二人来てくれる?」
加茂さん母に人数を指定されると、神薙さんが俺に言う。
「なら、赤宮君は九杉と部屋で待ってて。疲れたでしょうし」
「……分かった」
疲れていることは事実なので、ここはお言葉に甘えておこう。
「九杉、テーブルの上は片付けておきなさいね」
『りょーかい』
加茂さん母に、加茂さんはよれよれの文字で返答する。
そうして、三人は部屋を出ていった。
部屋で二人きりになると、加茂さんは再びテーブルに突っ伏して睡眠体勢に戻ってしまう。
「加茂さん、テーブルの上片付けるんだろ。起きろ」
「…………(うー)」
加茂さんは眠そうな顔をこちらに向ける。
そのまま、瞼が落ちた。
「寝るな」
放っておくと熟睡してしまいそうなので、俺は加茂さんの肩を掴んで軽く揺さぶる。
「…………(ぶるっ)」
すると一瞬、加茂さんはスマホのバイブのように震える。
「冷房、弱めるか?」
「…………(ふるふる)」
冷房が効きすぎて寒いのかと思って提案するも、加茂さんは軽く首を横に振る。
それから、徐にボードに文字を書き始めた。
『平気』
柔らかい笑みをこちらに向けた後、彼女は再び文字を書く。
『夏休み
終わっちゃうね』
「……だな」
夏休みが終わるのが早く感じる……なんてことは俺の場合はないのだが、加茂さんは違うんだろうな。自然と、そう思った。
『今年の夏休みも
楽しかった!』
「よかったな」
加茂さんは充実した夏休みを過ごすことができたらしい。にこにこ顔の彼女に、俺は少し微笑ましい気持ちになった。
『ありがとう』
「……?」
しかし、次に見せられたお礼の文字に、俺は首を傾げる。礼を言われるようなことをした記憶がなかったからだ。
加茂さんはそんな俺を見て、慌てて書き直して、また、こちらにボードを向けてきた。
『花火大会の時は
ありがとう』
「……ああ。礼なんていらねえよ」
加茂さんにそう言って、花火大会の時のことを思い返す。
あの日は、本当に色々あった。充実とはまた違う。
加茂さんについて、俺は未だに知らないことが多い。だからこそ、もっと彼女のことを知りたいと思う。
でも、それは"加茂さんの親友だから"なんて綺麗な理由じゃなく、俺の単なる好奇心……エゴに過ぎない。
そして、加茂さんを知ることは彼女の傷口を開くことにもなる。
それは決して、避けては通れないものだ。それも分かっている。
『二学期も
よろしくね』
加茂さんはホワイトボードをこちらに向けている。
そんな彼女が浮かべている笑みに釣られて、俺も笑みがこぼれた。
……避けては通れないのなら、知らなくていい。今はそう思っている。
「よろしく」
続けて、俺は加茂さんに言う。
「早く片付けるぞ。そろそろ戻ってくるだろうし」
「…………(こくっ)」
そうして、俺達は机の上の整理を始めた。





