加茂さんと初めてのウォータースライダー
俺達は階段を上り、ウォータースライダーの待機列に並ぶ。
このプールの顔と言うだけあり、列はそこそこの人が並んでいた。
「…………(ぎゅっ)」
「……加茂さん?」
加茂さんが俺の腕を握ってくる。彼女の唐突な行動に驚きつつ目を向ければ、彼女は俺に微笑みながら口を開く。
「…………(ぱくぱく)」
そして、口パクで俺に何かを言う。前にもこんなことがあった。きっと、今回もまともに伝える気のない言葉なのだろう。
――俺はその口の動きを見て、憶測で言葉を返してみることにした。
「どういたしまして」
「…………(ぱちくり)」
「……当たってたか?」
驚き、目を瞬かせる加茂さんに確認する。
「…………(さっ)」
彼女は何も答えず、恥ずかしそうに伏し目がちに俺から顔を背ける。
どうやら当たっていたらしい。自意識過剰にならずに済んで、俺は内心安堵した。
その後、特に会話もせずに、俺達は二人で列に並んでいた。
別に気まずいとかではなく、特に話すことがなかったのだ。でも、おかげで心の準備は万全である。
「次の方、どうぞー」
ようやく俺達の番が回ってきた。係員さんに呼ばれて、ウォータースライダーの滑り口の前に立つ。
「では、彼氏さんが先に座って頂いて、彼女さんはその前に。彼氏さんは彼女さんをしっかり掴んであげてくださいねー」
「……はい」
男女で滑るのだ。そう見られたって仕方ないのは分かってる。だから、一々否定はしなかった。説明するのも面倒臭かったし。
俺が先に滑り口に足を伸ばして座る。足を左右に軽く開いて、彼女が前に座るためのスペースを空けておく。
――しかし、俺の準備ができても、彼女はその場で立ち尽くしたままだった。
「加茂さん?」
彼女は強張った表情で、ウォータースライダーの下を見つめていた。
「……怖いのか?」
加茂さんは緊張した面持ちのまま、指で"少しだけ"という意のジェスチャーを返してくる。
まあ、初めてだもんな。俺も初めては小学生の頃だったが、最初はやっぱり怖かった。
あの時は父さんに半ば無理矢理滑らされたっけ……思い出したら腹立ってきた。あの野郎……って、今はそんなことどうでもいい。
「大丈夫だから」
俺はそう言って、加茂さんに手を差し出す。
彼女は俺の手を見つめて息を呑むと、その手を握ってくれた。
控えめに握る彼女の手を、俺はしっかりと握り返す。
「こうやって、ちゃんと掴んでるからさ」
絶対に離さないから、安心していい。
「…………(こくっ)」
加茂さんは俺の言葉の意味を理解してくれたようで、多少は安心できたらしい。頷きの後、柔らかい笑みを見せてくれた。
「あの〜」
係員さんに声をかけられ、俺達はそちらに目を向ける。
「後ろがつかえてしまうので……」
「っ、すみませんっ」
「…………(ぺこぺこ)」
俺達は慌てて係員さんに平謝りをする。
それからの加茂さんの行動は速かった。加茂さんは恐怖心以上に急かされて焦ったのか、躊躇いなく俺の前に座ったのだ。
ピタッと、加茂さんの背中と俺の胸元がくっつく。
――俺の心臓の鼓動は、途端に速まった。
加茂さんに抱きつかれたことや触れられたことは、過去に幾度もあった。
ただ、今回は直に肌が触れ合っている。しかも広範囲。
如何なる時も平静を保とうという事前の心構えも、無駄だった。
「…………(ちらっ)」
加茂さんは驚いた様子で、軽く振り向いて俺の顔を見る。彼女の頰は少しだけ赤くなっていた。
当然だった。
加茂さんは俺の胸元に背中を預けているのだ。嫌でも俺の心臓の鼓動を感じてしまう。速くなっていれば尚のこと。
――この状況は非常に不味い。申し訳なさやら恥ずかしさやらで、彼女に何と声をかければいいか分からない。
更に言えば、俺は彼女のどこを掴めばいいか分からなかった。どこを選んでも彼女の地肌であり、直接触れることになってしまうのだ。
「彼氏さん、ヘタれてないでさっさと彼女さんを捕まえて! ほら!」
「えっ」
「…………(びくっ)」
痺れを切らした係員さんの手によって、俺の手は加茂さんの腹部に強制的に回される。
彼女自身も突然触られたことに驚いたのだろう。体が一瞬跳ねたのが分かった。
「ご、ごめんっ」
「…………(ふるふる)」
加茂さんは首を横に振っているが、顔は俯き気味。更に、髪の隙間から見え隠れする耳は心なしか赤く染まっていた。
それでも、彼女は俺の手の甲に乗せるように、優しく握ってくる。嫌がってはいない……と都合よく解釈してもいいだろうか。
「では、いってらっしゃーい!」
「うぉあっ!?」
「っ……!?」
――係員さんに背中を押された後のことは、俺もよく覚えていない。
滑る体勢の準備は完了していても、心の準備はしていなかった。だから、俺は咄嗟に手に力を入れて、加茂さんを離さないように必死だったのだ。
ただ一つはっきり言えるのは、純粋にウォータースライダーを楽しむ余裕はなかったということだった。





