加茂さんの小さな変化
落ち着かない様子で視線を右往左往させる加茂さんに、俺は相対する。
まず、俺自身が落ち着くべきだろう。そのためにも、まずは冷静な分析を開始する。
いくら神薙さんの水着の方が露出度が低いからといって、ここまで違うものなのだろうか。
けれど、歩いている女性の水着の人を見ても何も思わない。こんな変な気持ちになるのは加茂さんだけで、その理由は自分でも分からない。
……冷静な分析って何だろう。結局何も分析できてないし。もう少し頑張れよ俺。
「…………(もじもじ)」
加茂さんは手は後ろにしたまま、頰を赤く染めている。
今思えば、この加茂さんの反応も原因の一つだと思う。加茂さんが全く気にせず、いつもの調子なら俺も平静を保てたのに。どうして今になってそんな反応を見せるんだ。
「……ほら、赤宮君、九杉の水着を見て感想は?」
何故か神薙さんに加茂さんの水着の感想を催促される。
神薙さんは関係ないだろなんて思ったが、彼女には感想を言って加茂さんに言わないのは確かにおかしい。
俺は加茂さんを真っ直ぐに見据えて、彼女を呼ぶ。
「加茂さん」
「…………(ぴくっ)」
加茂さんは肩を一瞬震わせてから、身長と俯き気味だった顔が理由で、上目遣いで俺に視線を返してくる。
「…………」
「…………」
「……スゴイ、ニアッテル」
はっきり"似合ってる"と言うつもりだったのに、物凄い片言の感想になってしまった。
「…………(てれてれ)」
加茂さんは頰に両手を当てて、顔を俯かせる。
……勝手に解釈させてもらうなら、俺の感想が気に入らなかったようには見えない。むしろ、嬉しそうに頰が緩んでいる……そんな気がした。
彼女から視線を軽く逸らして、思う。
俺、気持ち悪いな。二度目の筈なのに、全然平静を保っていられない。その上、都合のいいようにしか彼女を見ていない。
軽い自己嫌悪に陥っていると、加茂さんにちょんちょんと突かれ前を見る。
『ありがとう』
「……おう」
彼女の感謝に、俺は一言、そう返すことしかできなかった。
「「…………」」
その後、お互い何も話せず、沈黙してしまう。
――そんな沈黙は、神薙さんの一言によって破られた。
「私、先に場所取り行ってるわね」
「待ってくれ」「…………(ぶんぶん)」
俺達と少し距離を取ろうとする神薙さんを、俺達は全力で引き止めた。
* * * *
荷物置き場を決め、レジャーシートやテーブルを設置し終えた俺達は、早速プールに足を踏み入れた。
久々の冷たい水に浸かる感覚。少し寒いなと思いつつ、暫く浸かれば慣れるかなんて楽観的に考えてみる。
「それで? 赤宮君がここに最初に連れてきた理由は?」
「ああ、それはな」
神薙さんの言葉の通り、まずは普通のプールに行こうと言い出したのは俺だ。
ここのプールにはウォータースライダーや流れるプール、波が一定間隔で発生するプール、飛び込み台……等々、様々なプールが存在する。
そんな種類があるのにも関わらず、何の特徴もない普通のプールに連れてきたのは、ちゃんとした訳があった。
「加茂さんの泳ぎを一回見てみたい」
「…………(きょとん)」
「ああ、そういうこと」
俺の言葉に加茂さんは目をぱちくりさせて、浮き輪でぷかぷか揺られている。
そう、俺はまず、加茂さんがどれほど泳げるのか確認したかった。神薙さんの話を聞く限りでは、泳ぎが苦手なのは分かる。しかし、その程度は実際に見ないと分からない。
「まず、その浮き輪から出ようか」
「…………(こくっ)」
加茂さんは頷き、浮き輪の中にスルッと沈んだ。
……沈んだ!?
「加茂さ――」
ばっしゃーん。
大きな水飛沫を上げて、加茂さんは水面に浮上する。俺はその水飛沫をもろに顔から浴びた。
「…………(ぴーす)」
「加茂さん、勢い考え――ぶふっ」
再び、今度は狙いすまされたように水をぶっかけられた。
「…………(にやり)」
加茂さんは挑戦的な笑みをこちらに向ける。
……そっちがその気なら仕方ない。俺も誠意を持って反撃しよう。
別に俺を見て勝ち誇った顔をする彼女にイラついたからとか、そんな子供っぽい理由ではない。これは俺なりの誠意だ。誠意といったら誠意なのだ。
「おらっ!」
「…………(わわっ)」
俺は両手を使って、出来るだけ大きく水を掬い上げて加茂さんにぶつけた。
彼女は俺の反撃に反応できず、盛大に水を被った。
「けほっ、けほっ」
水を少し飲んでしまったのか、加茂さんは噎せるように咳をする。
「っ、悪い、強すぎた。大丈夫か?」
「…………! …………(さっ)」
そして、自分の口を押さえる。
……そうだ、加茂さん、咳も駄目なんだっけ。なら、これから顔に水をかけるのは控えた方がいいか。
「九杉、平気?」
「…………(こくこく)」
神薙さんも心配そうに近寄ってくるが、加茂さんはそんな彼女に笑みを見せ――。
「…………(ばしゃっ)」
「わぷ」
彼女にも水をぶっかけた。
「やったわね……!」
神薙さんも負けじと反撃する。
二人が水をかけ合う姿を見て、安堵半分、ほっこり半分といった気持ちになった。
「――ぶぁ!?」
二人をぼんやり眺めていると、先程以上の水量が顔面を襲ってきた。
ぼーっとしていたせいで思いっきり水を飲んでしまい、噎せる。そして、正面の二人に目を向けた。
「何一人だけ観戦してるの。九杉、もっとやるわよ」
「…………(了解!)」
「え、ちょっ、ぶっ、や、やめっ、やめろっ!?」
俺の制止の声など全く耳に入っていないのか、それとも無視しているだけなのか。二人は俺に集中砲火で水をかけてくる。
何故か、二対一という構図が出来上がってしまっていた。
「このっ……!」
「きゃっ」「っ……!」
やられたままというのも納得いかない。俺は多少手加減をしつつ、二人に水をかける。
「けほっ」
「あ」
うっかり加茂さんの顔にかけてしまい、彼女は再び噎せてしまった。
顔にかけないように反撃するのって難しい。なにせ、加茂さんはただでさえ身長が低いせいか、彼女は水面から顔しか出していないのだ。
俺がどうすればいいかと考えていると、加茂さんが俺に視線を送り――。
「…………(ばっしゃーん!)」
「ごばっ」
――笑って、勢いよく水をかけてきた。
不意打ちを食らった俺は、バランスを崩して後ろから倒れるようにプールに沈む。
水面に上がるまでの間に、俺は思わぬ彼女の変化に笑みをこぼす。
加茂さんは、俺の前で咳をすることが平気になっていた。
たったそれだけと言ってしまえば、そうかもしれない。抵抗だって、まだあるのかもしれない。
それでも、俺は嬉しかった。
彼女の小さな変化が。
その変化が、確実に良い方向に進んでいることが。
自分の頰の緩みを両手でほぐして直しながら、俺は再反撃のために水面に浮上した――。





