加茂さん達とプール当日
――開幕。
8月5日、ついにこの日がやってきた。
待ち合わせ場所は、プールの最寄駅の改札付近。集合時間よりも少し早く着いた俺は、一人そこで待つ。
「おはよう、赤宮君。早いのね」
待ち始めて数分もしないうちに神薙さんが来た。
「おはよう。俺も今来たばかりだからそんなに待ってない。それより、加茂さんとは一緒に来なかったのか?」
俺は挨拶を返しつつ、ふと浮かんだ疑問を神薙さんに投げかける。
「九杉も一緒よ。今はトイレに行ってるだけ」
「そっか」
加茂さんも既に来ているらしい。
……彼女が居ないうちに言ってみるか。後回しにすると、言い出しづらくなりそうだし。
「なあ、神薙さん。一つ頼みたいことがある」
「何よ、急に改まって」
神薙さんは訝しむように俺を見る。俺は一息入れてから、神薙さんを真っ直ぐに見据えて言った。
「水着に着替えたら一枚だけ写真撮らせてくれ」
「は?」
「秀人に頼まれた」
「……そういうことね」
神薙さんは事情を察してくれたのか、呆れた様子でため息を吐く。
秀人からライナーが送られてきたのは昨夜のこと。突然頼まれた俺も、最初は今の神薙さんと全く同じ反応を返した。
「……じゃ、私の方で適当に撮って送っとくから、赤宮君がわざわざ撮らなくていいわ」
「いいのか? それなら俺も助かるけど」
「私、カメラ向けられるの苦手なの」
「成る程」
確かに、人に撮られるよりは自分で適当に撮った方が気は楽かもしれない。
俺も写真は苦手で、撮られるよりは撮る派だ。写真撮影の時に笑顔を作ろうとすると、毎回何故か引き攣った笑みになってしまう。自然な笑顔って難しい。
「来たみたいね」
集合写真の時のことを思い返していると、神薙さんの声で我に帰る。
改札の方を見れば、加茂さんがこちらに駆け足で向かってくるのが見える。
「赤宮君」
こちらに向かって歩いてくる加茂さんに手を振り返していると、少し抑えた声で神薙さんに名前を呼ばれた。
「今日はよろしくね」
「……了解」
謎の緊張感と共に、神薙さんからの極秘依頼が幕を開け――。
「…………(ずるっ)」
「加茂さん!?」「九杉!?」
――る前に、加茂さんは躓き、勢いよくすっ転んだ。
* * * *
プールに着いた俺達は、更衣室で着替えてから入り口付近で合流する運びとなった。
といっても、俺は下に水着を既に着ていたため、着替えもすぐに終わった。なので、一足先に合流予定地で二人を待つ。
加茂さんが転んだ時は本当に焦った。幸いだったのが、怪我が何もなかったことだ。
擦り傷で出血でもしてしまえば、今日のプールは中止になってしまうところだった。本当に危なっかしい。
……やはり、今日はいつも以上に目を光らせておかなければなるまい。
「赤宮君、待たせたわね」
「ん」
俺が心の中で気合を入れていると、神薙さんの声に振り返り、俺は後ろに立つ人物を見て固まった。
「……? どうしたのよ」
「あ、神薙さんか」
神薙さんは当然の如く水着姿で、いつもの長い黒髪を今日はポニーテールにまとめていた。
「それ、競泳水着か?」
「違うわよ」
神薙さんの水着は、よく見る競泳水着のような形で、黒地にピンクと白の線が数本入ったシンプルなデザインだ。彼女らしいといえば彼女らしく思う。
「そんなに変?」
神薙さんの格好を眺めていると、彼女は不安げに俺に訊ねてくる。
「いや、変じゃない。水着も似合ってる。ただ……」
「ただ?」
「一瞬、誰か分からなかった。ゴーグルしてるし」
「……あ、ごめんなさい」
それが、振り向いた俺が固まってしまった理由だった。
髪型も格好も違う上、目元まで隠れていたのだ。あまりにビフォーアフターが別人過ぎて、目の前に居ても声を聞くまで全く分からなかった。
「このゴーグル、度が入ってるから外せないの」
「ああ、神薙さんって普段眼鏡だったな」
「そ。私、結構目悪いから」
それなら既にゴーグルを装着している理由にも頷ける。視力の問題なら仕方ない。
こうして神薙さんと合流できた訳だが、ここで一つ新たな疑問が生まれた。
「加茂さんは?」
「え?」
そう、先程から加茂さんの姿が見えないのだ。
更衣室には神薙さんと二人で一緒に行ったと思ったのだが、違ったのだろうか。
「いるじゃない」
「どこに」
「いや、ここに……って九杉? 何で隠れてるの」
居た。確かに居た。神薙さんの後ろに。身長の関係で、綺麗に隠れていて見えていないだけだった。
というか、何故隠れているのだろう。加茂さんの水着は既に見ているので、特に恥ずかしいことは何もないと思うのだが。
「九杉、場所取りもしなきゃいけないから、いつまでも隠れてないで、ほら」
神薙さんはそう言って、後ろに隠れる加茂さんの更に後ろに回る。
「…………(ぴたっ)」
突然遮蔽物を失い、俺と直接目が合う。
――加茂さんは、途端に顔を赤く染め上げた。
何故、彼女がここまで恥ずかしがっているのか。
一緒に水着を買いに行った時だって、最初はノリノリだった。羞恥心を感じるには今更な気もする。
俺は彼女の視線を一旦スルーしてそのまま視線を下に下げる。
加茂さんが着ていたのはあの、白のフリルがあしらわれた水色の水着である。二度目だし、今日は先に神薙さんの水着を見ている。だから、彼女の水着姿に対する準備も万全。そう思っていた。
「赤宮君、目、泳ぎすぎじゃない?」
「……そんなことはない」
「嘘つくならもう少しマシな嘘つきなさい」
――俺も俺で、加茂さんの水着に全く耐性なんてついておらず、気恥ずかしくてしばらく直視できなかったのだった。





