加茂さんは頑張り屋
――何が起きたのか、俺にも分からなかった。
屋台通りを駆けて、人混みを抜けた先にあった白い霧。
焦りによって、俺の頭はあまり回っていなかった。だから、躊躇いなくそれに突っ込んだ。
そして、気がついた時には霧はすっかり晴れていて、加茂さんが目の前に立っていた。
「加茂さん?」
「…………(ぱちくり)」
目の前の加茂さんに声をかけるが、彼女は心底驚いた様子で呆然と立ち尽くしている。
辺りを見回す。周りには林と、一軒の建物。それは瓦屋根で、見た目古い作りの木造の建物――神社だった。
「……神社?」
俺は高台の神社とは違う方向に走っていた筈だ。階段だって一度も登った記憶はない。
そもそも、あの霧は何だ。冷静に考えて、あんな場所に霧が生まれる訳がないのに。しかも、どうして霧を抜けた先に加茂さんが居る。
――更に、彼女を追って行った筈のミガトの姿さえ見えない。
「加茂さん、ミガトは?」
「…………(きょろきょろ)」
加茂さんに訊ねると、彼女は我に帰って辺りを見回す。それから、ボードに文字を書いた。
『今まで一緒にいた』
「あいつ、また一人で勝手に……って、何だこれ」
右手の変な感触に気づいて見れば、そこには紙くずが握られていた。
紙なんて握った覚えはない。不審に思いながらも、俺は紙くずを広げてみた。
『こよいはたのしかった
みがと』
「……訳分かんねえよ……」
妙に達筆な平仮名の文を読んだ俺は、軽く頭を抱えた。本当に訳が分からなかったから。
ミガトにこんな紙を握らされた覚えがなければ、彼がこんなことを書いていたところさえ見ていない。
……文から推測するに、これはミガトの別れの言葉なのだろう。それだけは分かった。
「…………(ずいっ)」
「ああ、加茂さんも見るか」
横から紙を覗き込んでくる加茂さんの目線に合わせて、俺は紙を持つ手を下げる。
「…………(ふふっ)」
加茂さんは書かれた文を読んで、クスッと笑った。それから、ボードに文字を書く。
『ミガト君はちゃんと
帰れたみたい』
「みたいだな」
『よかった』
「……そうだな」
柔らかい笑みを浮かべる加茂さんの、ボードの文字を肯定する。無事に帰れたのならよかった……そう思うことにした。
ミガトが迷子になった訳じゃないということが分かったところで、話を変える……否、戻す。
「加茂さん」
俺が改めて名前を呼ぶと、加茂さんも何かを察したらしい。笑みが、少しぎこちないものに変わった。
「もう、平気か?」
「…………(こくん)」
加茂さんはゆっくり頷く。
「…………(すぅ、はぁ)」
そして、胸に手を当てて深呼吸を始める。俺はそんな彼女を、真っ直ぐに見つめた。
「…………」
加茂さんは、ゆっくりと口を開く。
そして――。
「……わ、たし…………っ」
絞り出すように三音を発した加茂さんは、口を片手で塞いで蹲った。
そして、ホワイトボードを地面に置き、右手でペンを持つ。
「…………」
加茂さんは、震える右手を左手で支える。
しかし、右手の震えは止まらない。何故なら、右手を支える左手も、既に震えていたから。
「加茂さん」
そんな彼女に、歩み寄る。
「その気持ちは、凄く嬉しい」
しゃがんで、蹲る彼女の目線に合わせる。
「でも」
彼女は声も出さずに、涙を流していた。
「もう、いいから」
俺は彼女の頭の上に手を置く。
「無理しなくていい。俺に気を遣わなくていい」
加茂さんは打ち明けなければならないと思ったのだろう。
「まだ、辛いんだろ」
説明、しなければならないと思ったのだろう。
「加茂さんのペースでいいから」
でも、俺は、加茂さんにそこまでの無理をさせてまで知りたいなんて思ってない。
「俺、いつまでだって待てるから」
待つのは、簡単だから。
「一年だって、二年だって、十年だって、百年……は分からないけど、何年だって待てるからさ」
喋らない理由を話してくれる日が来るのかすら分からないけれど、それでも構わないんだ。
「頑張ってくれたんだよな」
加茂さんの頑張りは、痛い程伝わってる。
「ありがとう」
だから、今はまだ、言わなくて大丈夫。
「ありがとうな」
彼女の瞳からぽろぽろとこぼれ落ちる雫は、地面に置かれたボードを濡らしていった――。





