加茂さん宅で夕食
最初ちょこっと加茂さん視点。
ぼんやりとした意識の中で、私は体を起こした。
私、何してたんだっけ。何かしていたような気がするけど、思い出せない。
部屋を見回すと、絨毯の上に服が散乱して……る?
「あっ」
意識が覚醒する。そうだ、服を選んでたんだ。でも、あれ? どこかに行く予定、あったっけ。
……何か重大なことを忘れているような気がしてならない。一旦、落ち着こう。
「…………(ちらっ)」
時計を見やると、7時半を過ぎている。夕食時だ。
そもそも私、何時間寝てたんだろう。服を選んでた理由も思い出せないし、これ以上考えても無駄かもしれない。
お母さん、帰ってきたかな。
とりあえず、一階に下りてみよう。そう思って、ベッドから降りて立ち上がる。
まだ寝起きの感覚が消えていなかった私は、眠い目をこすりながら部屋を出る。
「……おはよう。調子はどうだ?」
「…………」
自分の部屋に戻って扉を閉めた。
――何で? どうして赤宮君? why赤宮君?
って、そうだ。思い出した。赤宮君が居るから服選んでたんだ。どうして今まで忘れてたんだろう。
……待って。私、どれだけ寝てた?
もう一回時計を見ると、針は7時40分を示している。帰ってきたのが5時ぐらいだから、少なくとも二時間は寝てることになる。
「準備できたら、降りてきてくれ」
扉越しから聞こえた赤宮君の言葉。それに対して、私はすぐさま扉を開けて土下座した。
▼ ▼ ▼ ▼
「ビビった……」
階段を下りながら、独り言ちる。いきなり土下座されるとは思わなかったので、驚いて変な声まで出してしまった。
でも、割と元気そうな姿を見られて安心した。あれなら、食欲の方も大丈夫だろうか。
「九杉、どうだった?」
「起きてましたよ。もうすぐ下りてくると思います」
リビングに戻り、加茂さん母に報告する。
――ドッタンバッタン、ドタドタバタバタ。
「落ち着きがない子でごめんなさいね」
「ははは……」
足音が一階まで響き、加茂さんが慌ただしく動いていることが分かる。急かした記憶はないのだが、「ゆっくりでいい」と一言言っておけばよかったかもしれない。
「これ、美味しいわ」
「口に合ったなら良かったです」
加茂さん母は俺が作った"卵とじ焼き鳥丼"を美味しそうに食べてくれている。
使ったものはインスタントのご飯、焼き鳥の缶詰、卵、玉ねぎ、その他調味料である。卵と玉ねぎは家に置かれていなかったため、俺が買いに行った。
「味噌汁も美味しい」
「ありがとうございます」
加茂さん母は、今度は味噌汁を啜りながら頰を緩める。
流石に、何回も褒められるとむず痒い気持ちになる。でも、悪い気はしない。むしろ嬉しい。
味噌汁で使った具材は、丼で使った卵と玉ねぎの余りだ。因みに、味噌も俺が買いに行った材料の一つである。
余った味噌は俺が引き取ることになっている。普段はお湯を注ぐだけの即席味噌汁らしく、家で味噌汁を作ることがないのだとか。
――ダダダダダダダダダ、ブォン!!
階段の方から凄まじい足音が響いたと思えば、リビングの扉が勢いよく開かれる。
そして、先程見た服とは別の服を着た加茂さんが入ってきた。
「あら、九杉、着替えたの?」
「…………(きょろきょろ)」
「……全くもう、落ち着きなさい。ボードなら向こうの机よ」
「…………(ばびゅんっ)」
加茂さんは目にも止まらぬ速さで、机の上のボードを取りに走った。
……俺の記憶違いじゃなければ今の走り、体育祭の時より速かったぞ。本当に病人か? 本当はもう治ってるんじゃないのか?
俺が唖然としていると、加茂さんはボードにペンを走らせた。
『ごめんなさい
寝てました』
加茂さんは謝罪文を書いたボードで自分の顔を隠す。
「別に気にしてないから。ほら、加茂さんも座ってくれ」
「…………(ちらっ)」
ボードの横から控えめに顔を出す加茂さんは、加茂さん母が食べているものを見て固まる。
そして、目を瞬かせた後、無言で加茂さん母の隣に座りに来た。
「…………(じー)」
「美味しいわぁ」
「…………(ごくり)」
加茂さんは卵とじ焼き鳥丼をじっと見つめ、唾を飲んでいる。
……加茂さん母よ、煽るのは止めてくれ。これから言いづらくなるだろ。
「…………(じー)」
気がつけば、今度は俺のことをじっと見つめてきている。
いつまでも期待させるのも悪いと思い、俺は大変言いづらいことを加茂さんに告げた。
「加茂さんはお粥だからな」
「…………(がーん!)」
「……食欲あるのか?」
「…………(こくこく)」
ミスった。こんなに元気なら、加茂さん母と同じメニューでもよかったな。
俺はお粥の入った小鍋とお椀をキッチンから持ってきて、加茂さんの前に出した。
「ごめん。今日はこれで我慢してくれ」
謝りつつ小鍋の蓋を開ければ、白い蒸気と共に中身が顕になる。
「…………(ぱちくり)」
「一応、卵も入れてみた。口に合わなかったら本当にごめん」
ただのお粥では味気ないと思い、勝手にアレンジして作ってみた"卵粥"。お粥自体作るのが久々だったから、上手くできている自信も半々である。
お椀によそい、加茂さんの前に出す。彼女は俺が机に用意していた蓮華を持つと、迷うことなくお粥を口に含んだ。
「…………(もぐもぐ)」
――僅か二秒後、加茂さんの目が見開く。
「…………(あむあむあむあむ)」
「お粥は逃げないからゆっくり食え」
加茂さんは次に次にとお粥を口に運ぶ。反応を見るに、気に入ってもらえたらしい。
そんな彼女を見ていた加茂さん母は、欲しがるように言った。
「美味しそうね。そっちも食べてみたいわ」
「…………(がるるる)」
加茂さん、なんと加茂さん母を威嚇し始めた。例えるなら、自分の縄張りを守ろうとするチワワだろうか。
「年頃の女の子が食い意地張るんじゃないの」
「…………(がるるるっ!)」
「……はいはい、食べないから」
加茂さんはお粥の入った小鍋を守るように腕で囲い、加茂さん母に威嚇を続ける。
お粥より人間としての尊厳を優先するべきだと思うのは俺だけか?
……まあ、それほど気に入ってもらえたというのは嬉しいことでもある。正直、照れ臭い。
彼女の反応も見ることができたところで、俺は加茂さん母に言った。
「じゃあ、俺は帰りますね」
「一緒に食べていけばよかったのに」
「家で母さんが夕飯作っちゃってるので」
「それなら仕方ないわね」
「すみません」
俺が一言謝ると、加茂さん母は「いいのいいの」と言って、微笑む。そして、言葉を続けた。
「赤宮君、今日はありがとう。それと、明日からお願い……してもいいのよね?」
「はい」
「…………(こてん)」
加茂さん母の確認に答えると、何の話か分かっていない加茂さんが首を傾げる。
加茂さんも関係ある話なので、ここで彼女にも話しておくべきだろう。
「明日から、加茂さんの――」
「ストップ」
俺が加茂さんに話そうとすると、加茂さん母に止められた。
「言っておいた方がよくないですか?」
「明日のお楽しみ、サプライズにしましょう」
「でも」
「しましょう?」
「……分かりました」
俺は加茂さんに驚かれる必要はないのだが……ここは素直に依頼人に従っておくとしよう。
何故なら、加茂さん母の笑顔――無言の圧が怖い。サプライズに本気すぎる。
「…………(じー)」
「そういう訳だ。答えられなくなった」
「…………(じーっ!)」
「……明日には分かるから」
俺がそう言っても加茂さんは納得いかないようで、俺に執拗に視線を送ってくる。彼女の瞳が"教えて!"という思いを訴えているのがよく分かる。
思わず答えてあげたくなるようなあざとい視線に、俺は目を背けた。直視し続けたら、本当に答えてあげてしまいそうだったから。
――それから加茂さん宅を出るまでの間、俺は延々と加茂さんの視線を浴び続けることになった。





