加茂さんの上で
※赤宮君の家庭事情に少し触れます。
インターホンが鳴り、俺は画面に映る彼女を確認した後に玄関に向かう。
ドアを開けると、制服姿の加茂さんがそこに居た。
「学校帰りか?」
「…………(ふるふる)」
加茂さんは横に首を振る。
見れば、彼女が持っているのは、いつも学校に持ってきている鞄ではなくトートバッグ。学校の荷物は家に置いてきたみたいだ。
彼女はそのトートバッグからホワイトボードを取り出し、文字を書く。
『家、誰もいないの?』
「母さんは仕事。帰ってくるのは七時ぐらいだと思う」
俺が言うと、加茂さんは他にも何か言いたそうな顔になった。
俺はそんな彼女に気づかないふりをした。それが無駄であるということを知りながら。
「わざわざ来てくれてありがとな。持て成しはできないけど、茶ぐらいは出すから入ってけ」
「…………(ぺこり)」
ひとまず、加茂さんを中に入れて玄関ドアの鍵を閉める。
彼女は玄関で靴を脱がずに立ち止まると、ボードに文字を書き始めた。
「加茂さん、そこで立ち止まられると――」
『お父さんは?』
俺の言葉を遮るように、加茂さんは文字を書いたボードをこちらに向ける。
それは、今まさに俺がスルーした話題。気になる気持ちも分かるが、できれば聞かないほしかった。
俺は今、加茂さんと玄関ドアに挟まれている。つまり、逃げ場はない。だから、俺は彼女に仕方なく打ち明ける。
「父親なんていねえよ」
加茂さんは一瞬驚いた顔を見せた後、ボードに文字を書く。そして、ボードをおずおずと俺に見せてきた。
『ごめんなさい』
「謝るなら最初から聞くな」
加茂さんは悲しそうに俯く。
……今のは俺の言い方が悪かった。加茂さんは何も悪くない。
「とにかく、先に上がれ。通れない」
いつまでも玄関で突っ立ってる訳にもいかず、俯く加茂さんに声をかける。
「…………(ぺこり)」
「っ」
すると、彼女は申し訳なさそうに俺に頭を下げてから、ゆっくり靴を脱ぎ始める。その反応に俺の胸はチクりと痛んだ。
「……リビングはそこを真っ直ぐ進んだところにある。適当にソファにでも座って待っててくれ」
「…………(こくり)」
加茂さんは頷くと、素直にリビングに向かってくれた。
その後ろ姿を見送ってから、俺も靴を脱ぐ。そして、靴を無駄に綺麗に揃えながら、父さんと過ごした日々を思い出す。
「……くそ」
思い出しても、苛立ちが募るだけだった。これ以上はやめるべきだろう。
このままでは、加茂さんにまた冷たく当たってしまうかもしれない。それは絶対駄目だ。
自分の両頰を叩き、気持ちを切り替える。
いつまでも彼女をリビングで待たせる訳にもいかない。早く行こう。
そう思って立ち上がり、リビングに向かおうと振り返ると――ボードを持った加茂さんが立っていた。
「リビングで待っててくれって言ったろ」
『遅かったから』
ボードをこちらに向けて心配そうに俺を見てくる。
そんなに時間が経っていたのか……時計を見るが、そもそも何分前に加茂さんが来たのか分からなかった。
「ごめん、今行く」
そう答えて、俺は加茂さんの方に向かって歩き出す。
――視界が歪んだ。
「っ……」
「…………(ぎょっ)」
不意に、治まっていた筈の頭痛が再び襲ってくる。先程まで軽かった体が急に重く感じ、途端に足に力が入らなくなる。
歪んだ視界の中で、加茂さんが俺の方に駆け寄ってくるのが分かる。俺はそんな彼女を頼るように前のめりに倒れると、彼女は俺の体を支えてくれた。
しかし、俺の体が重かったのだと思う。彼女は俺を支えきれず、一緒に倒れてしまう。
「……ごめん……」
「…………(ふるふる)」
「……重い、よな……すぐに退くから……」
加茂さんが首を振っているのが分かる。けれど、表情は見えない。
とにかく、まずは立ち上がるべきだろう。そう思って足に力を入れるのだが、体が言うことを聞いてくれなかった。
それどころか、瞼はどんどん沈んでいく。頭もぼーっとして、思考が定まらない。
――そうして、加茂さんの上から退くこともできないまま、俺の視界は暗転した。





