加茂さんの傘
六月、梅雨の季節。この時期に天気予報を見逃して、軽く後悔する人も少なくないと思う。
俺もその一人だった。
「マジかよ」
学校の下駄箱で靴を履いて外に出ようとすると、急に大雨が降りだしてきた。
朝は晴れていたので、平気だろうと高を括った結果がこのザマである。
そして、こういう時に限って、俺は折り畳み傘を鞄に入れていない。
「……走るか」
駅までは大した距離ではない。鞄持って走っても数分で着く。勿論、この雨の中に数分もいれば、びしょ濡れになること間違いなしだろうが。
これから自分がどうなるかを想像して、内心でため息を吐く。そして、俺は騒々しい雨音を聞きながら、軽く足首を回して準備運動を始める。
――いきなり、後頭部を何か固いもので叩かれた。
「いてっ」
いや、実際はそこまで痛くない。叩かれたといっても、本当に軽くだったから。
少し大袈裟に反応してし過ぎたと思いつつ、俺は後ろを振り向く。
「……加茂さん」
「…………(ふりふり)」
俺の頭を叩いたのは加茂さんだった。
「あのさ、頭は叩くなよ」
『何してたの?』
「いや、だから」
「…………(ぐいぐい)」
「分かった、答える。答えるから」
加茂さんは『何してたの?』と書かれたボードを、執拗に押し付けてくる。
「準備運動だよ」
『何 の?』
「器用かよ」
加茂さん、ついに文字の再利用まで習得したらしい。文字を書くに限らず、消すことで会話を成立させるとは。
「…………(ぐいっ)」
「……分かったから」
感心していると、加茂さんは再びボードを押し付けてくる。
正直な話、俺は言いたくなかった。特に加茂さんには。
理由は、"面倒な予感がしたから"という酷く漠然としたものだった。
しかし、こういう時の予感ほどよく当たってしまうものだ。逆に良い予感はまるで当たらない。
「これから駅まで走ろうかと思ってな」
『傘は?』
「忘れた」
誤魔化しもできず、俺は観念して正直に話した。
すると、加茂さんは自分の鞄の中を漁って、可愛らしいデザインの折り畳み傘を取り出す。それをどうするのかと思えば、俺に差し出してきた。
「自分はどうやって帰る気だ?」
俺が問いかけると、加茂さんは固まる。
加茂さんは今、普通の傘を持っていないのだ。折り畳み傘を二つ持ってるとも考えにくい。
「…………(はっ)」
「アホか」
加茂さんの反応を見て、本当にその傘一つしか持っていないことが判明する。
何故、一つしかない傘を俺に貸そうとしたのかは謎だ。まあ、本人も出してから気づいたっぽいので、ただの天然だとは思う。
俺が呆れた視線を加茂さんに送る。
すると、俺の視線に気づいた彼女は、慌てた様子で鞄や傘を持ち直す。そして、器用にバランスを取りながら文字を書いた。
『家近いから平気』
「いや、駅の方が近いからな?」
加茂さん、本日は頭が弱いらしい。距離の比較もできていない。
……でも。
「ほら、加茂さんはその傘、自分で使え。俺のことはいいから」
その善意は、素直に嬉しかった。俺にはそれで十分だ。
加茂さんが、俺のために自分の傘を差し出す必要はどこにもない。
「俺は適当に他を当たるから。加茂さん、また明日な」
俺は加茂さんに手を振って、下駄箱の方に戻ろうとした。すると、すれ違いざまに、彼女に腕を掴まれる。
「……まだ何かあるか?」
俺が足を止めると、加茂さんはボードに文字を書き始める。それを無視もできないので、俺は彼女の返答を待った。
――待った結果、俺は彼女に負けた。
『一緒に帰ろ!
昨日のお礼の権利
残ってるならここで使う!』
「……そう来たか」
頭が弱いと思ったのは、訂正しよう。
* * * *
「凄い雨だな……」
シャツが濡れて、冷んやりする。
一応、俺は傘に入れてもらっている。せめてものお礼に、持つのも俺だ。
しかし、折り畳み傘だからか、とにかく傘が小さかった。俺の体の半身は、既にぐっしょり濡れている。
とはいえ、入れてもらってる身分なので文句は言えない。言えないが……ここまで濡れると、もはや傘に入れてもらってる意味もない気もする。
「…………(むすっ)」
「……あ、その、これはだな……」
加茂さん側に傘を傾けていたことに気づかれてしまった。
不満げに俺を見る彼女に対して俺は上手い言い訳も思いつかず、前を向くことで目を逸らす。
すると、傘の持ち手を掴む俺の手に、彼女は自分の手を添えてくる。
それに驚いたのも束の間、俺側に傘を押し付けるように、横から思いっきり傘の持ち手部分を押してきた。
「…………(ぐいぐい)」
「押すな、濡れるぞ」
「…………(ぐいぃぃぃ)」
「押すなって」
執拗に傘の持ち手をこちらに押し込もうとしてくる加茂さんを濡らさせないよう、俺も手に力を込めて抵抗する。
――その攻防は駅に着くまで続き、結果は俺の完勝だった。
相合傘に抵抗のない人種の二人に作者も頭を抱えています。
あと、赤宮君の過保護感が極まってきてる気がしなくもない。





