加茂さんと無防備の理由
「……加茂さん?」
加茂さんの思わぬ行動に、俺は戸惑った。
「光太に何か言いたいんじゃね?」
秀人はそう言うが、加茂さんは無反応のまま。
彼女は俺の腕を両手で力強く腕を掴み、離さない。加えて、いつものことだが何も喋らない。
「九杉っ」
遅れて、神薙さんがこちらに駆け寄ってきた。そして、俺と加茂さんを交互に見て、目をぱちくりさせる。
「えっと、どういうこと?」
「俺にもさっぱり」
神薙さんに訊ねられるが、俺に彼女の望む答えは出せなかった。
しかも、加茂さんは顔を俯かせていて、俺からは角度的に表情が見えない。だから、何を考えているのか推測することも叶わない。
「加茂さん、どうした?」
何も喋らないし、顔は上げないし、腕も離さない加茂さん。動けない俺は、彼女の応答を待つことしかできなかった。
「……え、九杉!?」
突然、加茂さんの顔を下から覗き込んでいた神薙さんが声をあげる。
「顔真っ青じゃない! 気分悪いの!?」
「何?」
神薙さんの言葉を聞いて、俺も体を少し屈めて加茂さんの顔を覗き込む。
彼女は神薙さんの言った通り真っ青な顔で、心なしか涙目にもなっていた。
「とりあえず、どこかに座らせた方がよくねえか? ベンチなら駅に来る途中で見かけたけど」
「ナイス秀人。加茂さん歩けるか?」
「…………(こくん)」
加茂さんはゆっくり頷く。
それから、俺達は秀人の案内で駅の近くのベンチに向かう。そして、加茂さんをそこに座らせて、話を聞いてみることにした。
「九杉、大丈夫? 文字書ける?」
『大丈夫』
神薙さんが訊ねると、加茂さんは文字を書いてボードを俺達に見せてくる。
いつもより文字を書く速度は遅いものの、意思疎通を取れることに安心した。
『心配かけてごめんね』
「それはいいのよ。それより、気分は平気?」
「…………(こくん)」
加茂さんは頷くと、顔を上げて俺を見る。神薙さんと秀人も、彼女の視線に誘導されるように俺を見てくる。
しかしながら、俺はその視線の意味を察せなかった。首を傾げると、加茂さんは文字を書き始める。
『怖いから家まで
送ってください』
ボードに書かれた文字は少し小さめ。だからこそ、加茂さんの控えめな思いはよく伝わった。
* * * *
俺と加茂さん、神薙さんの三人で、加茂さんの家に向かって歩く。秀人は塾に通う妹の迎えに行かなければならないらしく、先に帰った。
時刻は午後の六時半を過ぎる。六月なので、まだ完全に日は沈んでいない。
「わんっ」
「…………(びくぅっ)」
すれ違う散歩中の犬に吠えられ、加茂さんは驚いて体を震わせた。
いつもなら、この程度で驚いたりしないのだが……かなり参ってしまっているようだ。
「だから無理するなって言ったのに」
俺はため息を吐いてから、加茂さんに言う。
彼女は恥ずかしそうに顔を俯かせるが、顔色は先程に比べればかなり良くなっている。
「……なんか、負けた気分」
「俺に言うなよ」
神薙さんのジト目で俺を見てくる。
――加茂さんが俺を指名した理由は、安心できるからだそうだ。映画の時に握った手が凄く安心したらしい。
しかし、それが一人で家に帰れない理由でもあった。映画が終わって俺の手を離してから、ずっと不安だったらしい。
だから、俺は今も加茂さんに手を握られている。神薙さんのジト目の理由もこれだった。
「神薙さんは駄目なのか?」
「…………(こくん)」
神薙さんの手では安心できないらしい。
その言葉の攻撃力が結構高いことには、加茂さん自身も気づいてなさそうだ。
「ねえ、私泣きそう」
「頼むから泣くな」
暗に「頼りない」と言われた神薙さんは胸を押さえる。
ここで神薙さんに泣かれてしまうと、いよいよ俺一人の手に余る。泣くなら、せめて加茂さんを家に送り届けてからにしてほしい。
「ほら、着いたぞ」
加茂さんの家に着くと、彼女はすぐにインターホンを押す。
……しかし、反応はなかった。家の方を見ると、家の中は明かり一つない。加茂さん母はどこかに出かけているみたいだ。
「九杉、鍵は?」
「…………(がさごそ)」
加茂さんは自分の鞄の中に手を突っ込み、鍵を探す。しかし、いつまで経っても鍵は見つからなかった。
『忘れた』
「えっ」
「……つまり、家に入れないと」
「…………(こくり)」
加茂さんは頷く。顔は強張っている。
そんな彼女を横目に、俺は神薙さんに確認する。
「神薙さんって門限とかあるのか?」
「い、一応。でも、家近いし多少過ぎても怒られるだけだから平気よ?」
「平気な要素どこだよ」
神薙さんの言葉を聞いて、俺がこれからすべきことは決まった。
「神薙さんは門限近いなら帰れ」
「九杉はどうするのよっ」
「加茂さんのお母さんが帰ってくるまで、俺もここで待てばいいんだろ」
「え?」
驚く神薙さんの横から、加茂さんとホワイトボードが出現する。
『赤宮君も帰っていいよ
帰るの遅くなっちゃう』
「別に平気だ。俺の家は門限なんてないし、もう母さんには連絡したから」
「早っ!」
連絡と言っても、[今日は帰るの少し遅くなるかも]とライナーでメッセージを送信した程度。
母さんには迷惑をかけることになるが、それ以上に、今の加茂さんを放っておけなかった。
その後、無理にでもここに残ろうとした神薙さんを半ば強引に帰らせて、加茂さんと玄関前の段差に並んで座る。
手は、また握った。
日は沈んでしまっている。神薙さんは無事に帰れただろうか。
そんなことを考えていると、加茂さんはホワイトボードを俺に見せてくる。
『ありがとう』
「……別に」
むしろ、俺が勝手に「一緒に待つ」と言ってしまった手前、迷惑していたら言ってほしかった。
でも、俺に礼を言ってきたということは、迷惑はしていないのだろう。それが分かって、少し安堵する。
しばらく、お互い沈黙する。加茂さん母の帰りを、ただただ待った。
――そこで、俺はあることを思い出して口を開く。
「今日はありがとな」
俺が礼を言っても加茂さんは無反応。返事の代わりに、右肩に重みがかかった。
「加茂さん?」
「…………(すー)」
加茂さんは俺の肩に寄りかかって、眠ってしまっていた。きっと、疲れてしまったのだろう。
「こんなところで寝たら風邪引くぞ」
「…………(すー)」
加茂さんに声をかけても、聞こえるのは寝息の音だけ。
仕方なく、俺は加茂さんを起こさないように、肩に寄りかかる彼女の頭を膝の上に移動させる。
そして、上に羽織っていたパーカーを脱いで、彼女の体にかけた。少し肌寒いが、これぐらいは我慢しよう。
俺は膝の上で呑気に眠っている彼女の寝顔を眺めて――思わず苦笑した。
「もうちょっと警戒心持ってくれよ」
無防備に眠る加茂さんに向けて言っても、反応は当然ない。
加茂さんには、女の子としての倫理観が致命的に欠けている。だから、俺も放っておけないのだ。
……それとも、無防備になるのは俺の前だけなのだろうか。そんな自意識過剰な考えが脳裏を過ぎる。
彼女に俺はどう見えているのだろう。俺を信頼してくれているのだろうか。柄にもなく気になってしまう。
でも、もしそうだったら……一人の友達として、とても喜ばしいことだと思う。
まだまだお互い恋愛感情はありません。
のんびりゆっくり進みます。