加茂さんはホラーが苦手
映画の始まりは高校の飼育小屋。
そこでは、様々な種類の動物達が飼育されている。まるで小さな動物園のようだった。
主人公はそこの動物達の飼育係の男子生徒だ。動物達と戯れる仲睦まじい様子は、正直羨ましさもある。
「……?」
突如、スクリーンに映っていた空は雲に覆われ、不穏なBGMが流れ始める。そして、画面の端には赤目のネズミが一匹。
そのネズミは、主人公が通う学校の飼育小屋に忍び込むと――。
「えっ」
――スクリーンが突然、赤い血に染まったのである。
唐突なゴア表現に驚き、俺は思わず声を漏らしてしまった。
それから、ネズミに噛まれた飼育小屋の動物達は、目が赤く染まり、暴れ出し、飼育小屋から脱走してしまう。
その動物達が向かった先には、一人の女子生徒。嫌な予感がした。
「うわ……」
俺の嫌な予感は的中した。悪い意味で。
――その女子生徒が殺されてしまったのだ。まさかの展開である。
その後、暴走する動物達……げっ歯類達は、人を襲い、他の動物を襲い、どんどん殺戮を繰り返していく。
加茂さんからの話では、飼育係の男子と動物達のハートフルな日常を描いた映画と聞いていた。しかし、これはまるでゾンビ物のパニック映画である。
……そこでようやく、あのポスターの違和感が分かった。
あのポスター、動物がげっ歯類しかいなかった。それに、全て目が赤かった。【もふもふはざーど】という題名も平仮名のせいで油断していたが、直訳すれば"もふもふ危険"だ。ハートフルとは程遠い。
――これは所謂、初見殺しの告知詐欺映画というものだろう。
しかし、話自体は結構面白い。急展開に思考停止しかけたが、そういうものだと気持ちを切り替えれば普通のパニック映画だ。
流石、映画熟練者のオススメ。俺は加茂さんのチョイスに感心しながら、ふと、隣に座る彼女に目を向ける。
加茂さんは涙目で、カタカタと体を震わせていた。
「……え、加茂さん?」
「…………(びくぅっ!)」
小声で加茂さんに声をかけると、加茂さんは体を大きく震わせる。
そして、今にも泣きそうな顔をこちらに向けた。その表情から伝わるのは、怯え一色の感情。
「もしかして、苦手なのか?」
「…………(こくん)」
小声で訊ねると、加茂さんは弱々しく頷く。
まあ、反応から察してはいたが、加茂さん自身も告知に騙されていたらしい。
予め知っていれば、この映画を見たいなんて言わなかっただろう。わざわざ苦手なジャンルの映画を見ようとする人なんて、ごく少数の人間だけだ。
「大丈夫か……?」
「…………(ぷるぷる)」
「だよな」
返事はないが、大丈夫ではないことは分かる。今も涙を堪えられているのが不思議なくらいだ。
――キャァァァアア!
「…………(びくっ!)」
大きな音に驚き、加茂さんの体が大きく跳ねる。
スクリーンに映し出されたのは、体を肥大化させた赤目のモルモットが人を襲うシーンだった。感想を一言で表すと、とにかくグロい。
「…………(ぷるぷる)」
「……出るか? 途中だけど」
普通、途中退席は映画館のマナー的に良いものでない。それは知っている。
……だが、今回は状況が状況だ。加茂さんが明らかに無理をしている。正直、見ていられない。
「…………(ふるふる)」
しかし、俺の提案に対して、加茂さんは首を横に振った。
そして、今にも泣きそうな顔でスクリーンを見つめ直す。あくまで映画は見たいらしい。
何が彼女をそこまで駆り立てるのかは分からないが、彼女が見るというなら俺はそれを止められない。
――だから、俺は何も言わずに加茂さんの手を軽く握った。
「…………(びくっ)」
「ごめん、嫌だったか」
安心……というのも変かもしれないが、何かしてあげたかったのだ。
しかし、驚かれてしまったので、俺はそっと手を離そうとした。
すると、今度は逆に加茂さんから手を握ってきた。俺より一回り小さな手で、強く、しっかりと。
「……我慢も程々にしろよ」
加茂さんに小声でそう告げて、俺もスクリーンに視線を戻す。
そして、映画が終わるまで、俺は彼女の手を握り続けた。
* * * *
「まさかラスボスがあのカピバラだったとは……」
「面白かったなー。思ってたのと違うけど」
俺と秀人は映画の感想を言い合う。映画は久々に観たが、大いに楽しめた。満足している。
「二人は平気だったか……あ、いや、何でもない」
「どうして男子って嬉々としてあんなの観れるのよ……」
げっそりとした表情の神薙さんに苦笑する。どうやら、彼女もこういう映画は苦手だったようだ。
「鈴香ってこういうの苦手だったっけ? 小学生の頃とか、夏によく怪談聞いてたじゃん」
「中学で色々あったの」
秀人が不思議そうに訊ねると、神薙さんはそう答えて自分の体を抱くように手を回す。
……中学で何があったのだろう。地味に気になる台詞だったが、今は深く聞かないことにした。説明してくれるような気力も残ってないだろうし。
そうして話している間に、駅に着いた。駅近くの映画館だったので当たり前だが、着くのがとても早く感じる。
「それじゃ、ここで解散するか」
「そうね」
「じゃあ、明日学校でなー」
俺と秀人は二人に手を振ってから、改札に向かって歩き出す。
――そして、改札手前で、いきなり腕を後ろに引っ張られた。
「…………(ぎゅー)」
「……加茂さん?」
振り向けば、加茂さんが俺の腕を両手で掴んでいたのだった。