頑張り過ぎな彼女に
放課後、今日も今日とて教室でテスト勉強に励む。
始める前は勉強に対して気怠げな素振りを見せる加茂さんも、一度始めれば基本的に最後まで勉強への集中力が持続している。
分からない部分を聞かれた時は俺が教えているが、そんなやり取りもここ最近は少なくなった。着実に加茂さんの学力が向上している良い証拠だろう。
この調子で頑張れば、加茂さんが前回達成できなかった200位以内という目標も達成できそうだ。
そして、実は今回、俺にも目標がある。それは秀人に総合点数で勝つことだ。
前回、俺は秀人に負けてしまった。元々競っていた訳ではないが、いきなり真面目に取り組んで一発目で点数を上回られたのはかなり悔しかった。だから、今回は勝つ。
これは秀人には話していない。俺が個人的に、勝手に立てた目標である。更に言えば、この目標は秀人が真面目にテストに臨まなければ意味がなくなってしまうのだが……最近、授業で居眠りが少なくなっているのを見るに、その心配も要らないだろう。
「――加茂さん、つかぬ事を聞いてもいいでしょうか」
帰り道、駅を通り過ぎていつもの如く抱きつかれながら、俺は口を開いた。
「……? …………(こくり)」
加茂さんは俺から体を離し、不思議そうな表情をしながら頷く。そんな彼女に、俺はある確認を取った。
「加茂さんって、一人の時間が欲しいタイプ?」
「…………(ぱちくり)」
加茂さんは目を瞬かせる。質問の意図が分からず戸惑っている……そんな反応に見えた。
俺は続けて、返答を待たずに更に追加で確認を取る。
「今日の夕飯、俺が作りに行くって言ったら?」
「…………(ぱちくり)、…………(ぱくぱく)」
今度は目を瞬かせつつ、口までぱくぱくと動かしている。俺の確認にかなりの驚きを示しているのが見て取れた。
「加茂さん?」
「…………(はっ)」
いつまでも驚愕の反応から変化しない加茂さんに返答を貰うべく声をかけると、彼女は我に返って素早くボードに殴り書いた。
『ほんとに!?
今日来るの!?』
「……嬉しい?」
「…………(こくこくこくこく)」
加茂さんは"勿論"とでも言うように何度も頷いてくれた。その返事が嘘じゃないのは確認するまでもない。
「今日、泊まるって言ったら?」
俺は続けざまに、新たな爆弾を投下した。
「里子さんには先にもう話してあるんだけどさ」
「…………(ぽかーん)」
「……あれ、加茂さーん」
加茂さんは口を大きく開いて固まってしまった。
彼女の顔の前で軽く手を振るも、反応がない。よっぽど衝撃だったのか、完全にフリーズしている。
「いきなり泊まるは流石に迷惑か?」
「…………! …………(ぶんぶんっ)」
『うれしい!』
加茂さんは首を横に勢いよく振った後、ボードに文字を大きく書き殴ってこちらに勢いよく向けてきた。その際にボードから生じた風が俺の顔に吹きつける。
彼女は目を輝かせて、口を半開きにしながらも笑っていた。その表情が本心から嬉しく思っていることを教えてくれて、俺はほっと一息吐く。
「よかった。じゃあ、今日はそういうことだから、一晩お世話になります」
『こちらこそお世話になります』
でも何で急に?』
「……頑張ってる加茂さんへの労い的な?」
『労らい?』
「送り仮名間違ってる」
ボードに書かれた"ら"の文字を消してから、加茂さんに泊まりの理由を話した。
「加茂さん、最近頑張ってるだろ」
「…………(ぽりぽり)」
俺の言葉に対し、加茂さんは頰を掻く。"そうかな?"と自分の頑張りを疑うかのように。
「加茂さんは凄い頑張ってるんだよ」
彼女の目を真っ直ぐに見ながら、改めて断言する。
加茂さんは先週から、スマホの録音機能を使って自分の声を会話に使うようになった。そのレパートリーは〔おはよう〕〔また明日〕〔ありがとう〕の三種類から増えてはいないが、以前に比べれば大幅な進歩であるのは確かだ。
ただ、加茂さんが自分の声に苦手意識が無くなった訳じゃない。今もそれは残っていて、残ったまま勇気を振り絞って自分の声の録音を使っている。平気な振りをして、毎日、精神を擦り減らしている。
それに気づいているのは俺だけじゃない。神薙さんも気づいていた。他にも、身近な人――桜井さんや山田、秀人ですら気づいている。加茂さんのいない場所で、皆、突然の変化に心配していた。
だけど、進み始めた足を止めたくないという加茂さん自身の気持ちも尊重したい。だから、俺は止めていない。
一応、加茂さんの希望で、放課後に彼女の気が済むまで抱きつくことを許している。それでも、これだけで完全回復なんてできないと思っている。
今週の彼女を見て、少しずつ蓄積してしまっているのがはっきり分かった。この先を考えると、現状維持ですら不安になる状態なのだ。
「そんな頑張ってる加茂さんのために、俺にできることがないか考えてみた」
真っ先に思いついたのはご褒美として物をあげるという案だが、違うと思った。それで済むのならとっくの昔にどうにかなっている。
あと、もうすぐ加茂さんは誕生日を迎える。加えて、クリスマスだって控えている。このタイミングで物をあげたら、それらのプレゼントの特別感が薄れさせてしまいそうで怖い。
「で、思いついたのが一緒に居られる時間を増やすことだった訳で」
加茂さんは俺に抱きつくことで気を休めている。そこから思いついた他の案というのがこれだ。
だけど、加茂さんも一人の時間が欲しいかもしれない。却って負担になる可能性もある。そうなっては元も子もない。だから先程、加茂さんが求める度合いを確認した。まあ、これに関しては杞憂に終わったのだが。
加茂さんはスマホを取り出す。
俺はそんな彼女のスマホに手を伸ばし、操作を止めさせた。
「どういたしまして」
「…………(ばっ)」
加茂さんが〔ありがとう〕の録音を使おうとしていたのは読めていたから、先に言う。
俺を見上げた彼女の瞳が"何故"と問いかけてくる。俺は彼女のスマホから手を離して、俺個人の希望を伝える。
「加茂さんはずっと頑張ってる。だから、休みを増やそう。例えば、俺の前でだけは文字しか使わないとか」
「…………」
「俺の前でだけでも、頑張らない時間を作ろう」
加茂さんの負担を俺に分けられないのなら、少しでも負担を小さくするために。
加茂さんは今、俺以外の前で頑張っている。他にも、勉強や料理も頑張っている。部活の件については、まだ思い悩んでいる。だから、俺の前で気楽でいられるというのなら、この二人きりの時間ぐらいは休んでほしい。
全部、同時に頑張らなくたっていい――そう、伝えたかった。





