加茂さんの不安
『――変な声の癖に――』
『――うん、正直に言えばね? 加茂さんの声、少し変わってると思う――』
『――それ作ってる声じゃなかったの?――』
『――加茂さんの隣で歌ってるとさ、変に声高いから釣られて調子狂っちゃうんだよね――』
『――分かるー。何か狂うよね――』
『――大して上手くもねえのに声でかいんだよ――』
『――やめなよ男子! 加茂さんだって頑張ってるんだから――』
* * * *
「…………(むくり)」
……懐かしい夢を見た。
胸に手を当てると、激しくなってしまっている動悸が手に伝わる。ただの夢なのに、夢の中で言われた言葉が今もまだ耳に残っている。
「すぅ……はぁ」
息を吸って、吐く。それを繰り返して呼吸が落ち着いた頃、時計を見ると短針は5の方向を指している。
起きるにはまだ少し早い時間。だけど、目はすっかり覚めてしまって二度寝する気にはなれない。
こんな夢を見てしまうのは、日曜日が近づいているからなのか。
ずっと考えていた。室伏君に会って、何を話せばいいのかを。
今週、久しぶりに中学の頃の友達に会って、迷いが生まれた。彼に会ったとして、何かを話したとして、私は変われるのか。私は、彼に会って何がしたいのか。また、私は彼を傷付けてしまうんじゃないか。
前に進むと決めたのに、弱気な心がどんどん大きくなる。日曜日を迎えることに対して怖さを感じてしまっている自分がいる。
――自分の両頬をパシンッと叩く。
こんな弱気じゃ駄目だ。向き合うって決めたんだ。逃げないって決めたんだ。
「大丈夫……分かってる。ちゃんと、分かってる」
私は自分に言い聞かせるように、独り言を繰り返し続けた。
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* * * *
「よし。じゃあ、今日は肉じゃがの復習しよう」
「…………(らじゃー!)」
土曜日。恒例の加茂さん専用料理教室が始まると、加茂さんは敬礼ポーズを取る。
その指には絆創膏が一枚貼られていた。今週、自主練をしている時に少し切ってしまったらしい。
しかし、加茂さんは約束通り正直に怪我のことを打ち明けてくれた。怪我がその一箇所のみということもあり、今後の自主練も制限を掛けないつもりだ。
「…………(ふわぁ)」
「……慣れてきても気は抜くなよ」
「…………(はっ)、…………(ぶんぶんっ)」
俺の釘刺しに対し、加茂さんは慌てた様子で首を横に振る。気を抜いているつもりはないらしいが、本当だろうか。
『今日もよろしくお願いします!』
疑いの目を向けていると、加茂さんはボードに文字を書き殴って気は抜いていないと訴えかけてくる。目も本気だ。
とはいえ、学校の授業中でもないのに加茂さんにしては珍しく欠伸をしていた。欠伸をするなとは言わないが、これから刃物を扱うため気になるものは気になる。
「寝不足?」
「…………(えっと)」
夜更かしでもしたのかと思ったが、加茂さんの反応はどうも煮え切らない。表情は心なしか少し困っているように見えるが、俺にはそれが何を示しているのか読み取り切れない。
すると、加茂さんはボードに文字を書いてこちらに向けてきた。
『最近眠り浅くて』
――夜更かしではなく、眠りが浅い。
「加茂さん、今日何時に起きた?」
『2時』
「……寝た時間は?」
『2時
11時』
「分かった、今日は中止。昼は俺が作るから少し寝てろ」
「…………(えっ)」
就寝時間は至って普通だったが、起床時間が明らかにおかしい。眠りが浅いってレベルじゃない。
しかも、この言い方だと二度寝もしていないのだろう。眠くて当然である。俺だって三時間しか寝てなかったら眠くなる。
しかも、加茂さんは"最近"と言った。つまり、ここ何日かそんな調子が続いていたということ。俺は、全く気づけなかった。
「よいしょっ」
「…………(わわっ)」
反省も小言も全部後回しにして、有無を言わさずに加茂さんを抱きかかえる。
加茂さんは急に俺に抱えられて驚きながらも、大丈夫とでも言うように首を横に振っている。が、こういう時の加茂さんは大丈夫ではない。俺は彼女を無視してソファへと運んだ。
「昼できたら起こすから」
「…………(がしっ)」
「……あのなぁ」
ソファの上に降ろして離れようとすると、加茂さんは服の裾を掴んで引き止めてくる。
「明日は大事な日なんだから、今日はしっかり体休めてくれ」
加茂さんの手が俺の服から離れる。そして、彼女の表情は曇った。
「明日が不安か?」
「…………(びくっ)」
俺の言葉に、加茂さんは図星を突かれたかのように一瞬体を震わせる。
いくら加茂さん自身が希望したこととはいえど、不安な気持ちは無くせないのだと思う。
明日、加茂さんが室伏と何を話すつもりなのかは分からないが、何を不安に思っているのかぐらい想像がつく。
言いたい。言ってしまいたい。怖かったら、辛かったら、苦しかったら、好きなだけ逃げていいと。加茂さんにはその権利があるんだと。
――そんな甘い蜜のような言葉は全部飲み込み、ソファの横で膝をつく。
「加茂さんはもっと自分に自信を持っていい」
代わりに吐き出した言葉は、励ましにしては月並みな言葉。
加茂さん自身が一番よく分かっていると思うし、それが難しいのは知っている。
「俺は、加茂さんの声が好きだ」
加茂さんが自分の声を嫌っているのも知っている。
「自信が持てないなら、俺を信じてほしい」
それも難しいのかもしれない。だとしても、言わない理由にはならない。
加茂さんは俺に止めてほしい訳じゃない。彼女は俺の背中を押してくれた。だから、今度は俺の番。
「明日頑張ったら、ご褒美に何でもしてやる」
「…………(ぱちくり)」
――言ってから、これは違うだろと後悔した。
本当に俺は何言ってるんだろう。今はそういう雰囲気の話ではない。勢いで言い過ぎた。
「ふふっ」
すると、加茂さんは吹き出すように笑う。硬くなっていた表情が和らいで見えた。
「ごめん、何でもって言ったけど俺にできる範囲でな?」
「…………(こくり)」
俺が後付けすると、加茂さんは微笑みながら頷く。
なんとも情けない姿を見せてしまった気がするが、加茂さんが笑ってくれたから結果オーライか……?
「…………(じー)」
「……ほら、目瞑ってもう寝ろ」
「…………(にまにま)」
「寝なさい」
「…………(あうっ)」
微笑を浮かべたまま見つめられ、居た堪れなくなった俺は加茂さんの目元に手を被せる。
……子守唄でも歌うか。
「〜♪」
それは幼い頃、母さんからよく聞かされていたカラスの子守唄。いくつか聞かされていたが、これが一番記憶として残っていた。
短い歌だから一回では眠ってくれないだろう。だから、歌い終わったら初めからを繰り返す。
それから、十分ぐらい経った頃だろうか。
寝息が聞こえて被せていた手を外してみると、加茂さんはスヤスヤと眠りに落ちていた。
「……さて、と。昼飯どうしよ」
元々作る予定だったのは肉じゃがだが、この材料だと他のメニューにすることもできそうなんだよな。まあ、普通にこのまま肉じゃが作ってもいいんだけど。
献立を何にするか考えながら立ち上が――。
「……えぇ……?」
――ることは、いつの間にか俺の服を掴んでいる加茂さんによって阻まれてしまい、結局、俺は加茂さんが起きるまでその場から離れられなかった。
「あら、光太君どうしたの? 九杉は?」
「……ここです」
「? ……あらあら」
「最近、寝不足だったみたいで」
「……そうだったの」
「キッチンの方、材料とっ散らかしたままですみません。あと、昼ご飯少し遅くなってもいいですか?」
「分かった。いつもありがとう……これからも九杉をよろしくね」
「……はい。こちらこそ、よろしくお願いします」





