加茂さんの焦り
「あれ、光太ちゃんは?」
ジムに入るなり、オーナーが真っ先に俺に声をかけてくる。
「今日は帰った」
「……喧嘩でもした?」
「オーナーに心配されるような事は何もしてねえよ。それより、今日も頼む」
声をかけてくる早さからして、俺が外にいる間ずっと心配をかけてしまっていたのだろう。
あれを喧嘩かと問われると微妙なところだ。だけど、オーナーに迷惑がかかるようなことは何もしていないし、これからもする気はない。
「そういう心配じゃないんだけどなぁ」
オーナーの呟きは俺の耳には入らなかった――。
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帰途につく。やるべき事はやった。言うべき事も全部言った。加茂さんに頼まれた事はどうにか果たせた。
けれど、足取りは重い。
これで良かったのだろうか。そう考えてしまう自分が、室伏に会いたいと言った加茂さんを今も信じ切れていない自分が、嫌になる。
「はー……」
室伏とは今週の日曜日に約束を取り付けた。
できることなら室伏と会う加茂さんを見守っていたい。しかし、日曜日はバイトがある。
仮に予定が空いていたとしても、陰から見守って加茂さんにバレた時、彼女を傷付けてしまうのが怖い。だから、行けない。
不安で不安で仕方なくても、これ以上俺には何もできない。
ここが俺の手助けできるギリギリのライン。これ以上、何もしてはいけない。
「…………(どんっ)」
「――おわっ!? 誰っ……何だ、加茂さんか」
「…………(ぱちくり)」
突然背中を叩かれたかのような衝撃に驚いて振り向けば、そこに居た人物――加茂さんもまた驚いたように目を瞬かせていた。
「あ、ごめん。でかい声出して」
「…………(ふるふる)」
「加茂さんは……おつかい?」
「…………(こくり)」
頷く加茂さんは、それなりに中身が詰まっている袋を両手で持っている。
……てっきり手で叩かれたのかと思っていたが、この様子だともしかして俺は頭突かれたのか?
「…………(じっ)」
「……ああ、その袋貸して。家まで送る」
「…………(ぶんぶんっ)」
加茂さんにとっては重そうに見える袋を持とうと手を出せば、彼女は慌てた様子で首を勢いよく横に振る。
「いいから」
「…………(あっ)」
変に遠慮しているのが見え見えの加茂さんから袋を奪う。
その際、袋の中身をチラ見してみると、その中は予想していた冷凍食品やカップ麺ではなく、主に野菜が多く入っていた。
「また肉じゃが作りたいのか?」
肉じゃがは先週の土曜日、母さんと一緒に加茂さんに教えた料理だ。
といっても、最初に見本を作った後に彼女に一から作らせてみるという形で作らせてみた結果、煮過ぎてジャガイモ等の野菜が粉々に消えてなくなった物が出来上がったのだが。
今週教える料理はまだ決めていない。
今から材料を買うのも少し早い気はするが、それだけリベンジしたいということだろうか。それなら、復習でもう一度作らせてみるというのも良いかもしれない。
「…………(さっ)」
しかし、加茂さんから返ってきた反応は肯定でも否定でもなく、バツが悪そうに目を逸らすという第三の反応だった。
「……加茂さん、正直に答えてほしいんだけど」
「…………(ぎくっ)」
「もしかして、こそ練してる?」
「…………(ぎくぎくっ)」
加茂さんは俺の問いかけに答えずに目を逸らし続けているが、大変分かりやすい反応をしてくれるおかげでバレバレだ。
「あのさぁ」
「…………(ぎゅっ)」
こんな往来で小言を言うのもどうかと思ったが、今回は加茂さんが悪い。以前、俺がOKを出すまで一人で作らないと約束したのにも関わらず、加茂さんは自主練をしようとしていたのだ。いや、この調子ではもしかすると今日が初めてじゃないのかもしれない。
そう思って口を開けば、彼女は身構えるように目をぎゅっと瞑った。前と違って、素直に俺の小言を受け止めようとしていた。
「……何で約束破ってまで一人で練習しようと思った」
そんな彼女の姿に、小言ではない言葉が口から零れる。
すると、彼女は少し驚いたように俺を見上げた後、ブレザーのポケットからスマホを取り出して文字を打つ。
[早く赤宮君にお弁当作って食べてもらえるようになりたかった]
俺もポケットからスマホを取り出してトークを開けば、そこにはそんな文が送られてきていた。
「気持ちは嬉しいけど、前に焦らずゆっくり頑張ろうって言っただろ」
[ゆっくりしてたらお弁当いつ作れるようになるか分からない]
「だから、そんな焦らなくていいって」
[高校ってあと一年ちょっとしかないんだよ]
……そういうことか。だから早く作れるようになりたかったのか。
俺は加茂さんが焦りを感じていた理由をようやく理解して、自身の呑気さを自覚した。
加茂さんからすれば、俺がいつOKを出してくれるのかも分からない。
そんな中、高校生活の終わりは嫌でも近づいてくる。時間は止まらない。
「今までもこそ練してたのか?」
「…………、…………(こくん)」
「……怪我は?」
「…………(きょとん)」
俯いていた加茂さんが顔を上げる。
約束を破ったのは事実だ。しかし、そこには俺にも原因があり、それを聞いた今、怒る気は完全に消え失せていた。
「一人で作って、前みたいに怪我とかしなかったか?」
「…………(はっ)、…………(こくこくっ)」
「そっか」
我に返った彼女は何度も頷く。
あれ以来、加茂さんの指に絆創膏が貼られているところは見ていない。反応的にも嘘は吐いていなさそうだ。きっと、以前のあれを反省して加茂さんなりに気をつけながら練習しているのだと思う。
「これからも気をつけろよ」
「…………(えっ)」
「でも、怪我したら隠さない。こっちの約束破ったら流石に怒るから」
言いながら、驚いている彼女に向けて小指を出す。
「…………(こくっ)」
彼女は頷き、俺の小指に自分の小指を絡めてくる。
「本当に加茂さんだ!」
「ほら! やっぱり合ってたでしょ!?」
――指切りしようと手を下げた時、俺の後ろから聞こえてきたのは知らない声だった。





