加茂さんの寝言
「平等院綺麗だったね」
「綺麗だったなぁ」
「俺、十円玉に描かれてる寺なだけで今日一番見所無いと思って正直舐めてた」
「それ私もー。まさか水に反射しててこんなに写真映えすると思ってなかったよ」
修学旅行二日目、班に分かれての京都観光。俺達が最初に訪れたのは、班計画の時に山田が希望した平等院鳳凰堂。
今はそこを見終わって、近くのお茶屋で小休止を取っていた。
「……ふああ」
喋っていると、桜井さんが口元を押さえながら小さく欠伸する。
「おいおい、まさかもう疲れたのか?」
「ううん、大丈夫。ただ、昨日ちょっと夜更かししちゃって……」
「いつもはできない話とかできて楽しかったよね」
「ね」
「へー」
「男子は夜更かししなかったの?」
「あー……」
西村さんに問い返された俺達は、昨夜のことを思い出しながら顔を見合わせる。
「どしたの?」
「いや……実は消灯時間前に寝ちゃったんだよな」
「そうそう」
「え、赤宮君は分かるけど直人も?」
「凄い健康的じゃん。誰か起きてなかったの?」
「どうなんだろ」
「起きてなかったんじゃね?」
俺は佐久間先生が参戦後に早々に(意識を)落とされてしまったため、消灯時間まで誰も起きていなかったかまでは把握していない。
山田も俺と同じく早々に落とされた勢なのか、よく分かっていないらしい。
「五分保たずに全員落ちたぞ」
すると、秀人が言い切る。
「落ちたって……え、石村もちゃんと寝たの!?」
秀人の言葉に真っ先に反応したのは西村さんだった。
「そんなに驚くことか?」
「だって、石村って率先して夜更かししそうじゃん」
「……まあ、俺も皆巻き込んでするつもりだったんだけどよ」
「石村、昨日最後に起きてたの誰か知ってんの?」
「ああ、俺が最後だった」
俺も少し気になっていたことを山田が訊ねると、秀人はそう言った。
秀人はクラスでトップクラスの運動神経を持っている。だから、あの枕投げで最後に生き残っていたのも順当といえば順当だ。
……でも、クラスの男子半数でも五分保たないって。枕を顔にぶつけられたら襲われる抵抗不可能の睡魔というのも十分に謎だが、佐久間先生、あんた一体何者なんだ。
「今日はリベンジしてーよなぁ」
「え、今日もやんの……?」
「やられっぱなしじゃ悔しいだろ」
「確かに」
「赤宮まで!?」
秀人の言葉に頷くと、何故か山田に驚かれる。
「よし。じゃあ、今日はクラスの男子全員で挑むか。ライナーで連絡しとくわ」
「今日はせめて一矢報いたいな」
「お前ら、たまに変なところで息合うよなぁ……」
「ねえ、夜更かしの話だよね?」
「よく分からないけど……頑張れ?」
「あ、うん」
しまった。昨夜の一件を知らない桜井さんと西村さんを置き去りにして話してしまっていた。
「…………(はふぅ)」
先程から妙に静かな加茂さんにも目を向ければ、一人、呑気に宇治抹茶ラテを満喫している。抹茶ケーキも既に皿から無くなっていた。
文化祭の時の抹茶アイスは口に合わなかったと記憶しているが、流石は抹茶の名所。ここの抹茶は彼女の口にも合ったらしい。
とりあえず、枕投げの話はこれぐらいにしておこう。昨日のことよりも今日のこと、いや、今のことだ。
「加茂さん、口に抹茶付いてる」
「…………(ほわほわ)」
……聞こえてないな。すっかり自分の世界に入り込んでしまっている。ただ、とても幸せそうだ。
「加茂ちゃんは可愛いねぇ」
「もしも妹がいたらこんな感じなのかなぁ……」
「かもなぁ」
「俺の妹も昔はこれぐらい可愛げあったんだよなぁ」
いつの間にか、皆揃って口に抹茶を付けた加茂さんを温かい目で見守っていた。
「…………(きょとん)」
お、やっと気づいた。
「…………(きょろきょろ)」
加茂さんは左右を見回し、俺達に見つめられていることに気づくと、困惑した様子を見せる。そんな彼女に、俺はもう一度伝えた。
「加茂さん、口に抹茶付いてる」
「…………(え?)」
「お髭みたいになってるよね」
桜井さんが言った後、カシャッという音が鳴る。
「こんなになってるよ」
「…………」
西村さんがスマホで撮った写真を見せると、加茂さんの顔はみるみるうちに赤く染まっていく。
「…………(ごしごし)」
そして、紙で口を拭い、ボードに文字を書いて机に置いた。
『トイレ』
「ああ、うん」
「いってらっしゃい」
「…………(がたっ)、…………(ぴゅーっ)」
「速っ」
加茂さんは机の上にボードを残して、逃げ出すように席を離れていった。
「加茂ちゃんは見てて飽きないねぇ」
「分かる」
いつまでも見ていられる。それぐらい、加茂さんには惹かれる魅力がある。よく分かってるな、西村さん。
もしかすると、俺は西村さんと感性が似ているのかもしれない……何かそれ嫌だな。俺は厄介野次馬カプ厨ではない。断じて。絶対。確実に。
「詩穂、赤宮君に話すなら今じゃない?」
脳内から"カプ厨"の文字を懸命に振り払っていると、桜井さんがそんなことを言い出す。
「俺?」
「あ、そうそう……ふふふふふ」
俺に何の用だろう。しかも加茂さんが席を離れたこのタイミングで。
不思議に思いながらも西村さんを見れば、彼女は不気味に笑っていた。俺も加茂さんと同じように逃げてもいいだろうか。聞くの怖くなってきたんだが。
「実は今朝、私達聞いちゃったんだよね」
何を聞かされるのだろうと、身構えていた。
「加茂ちゃんの声!」
「……………………え?」
それでも、何秒か理解が追いつかなかった。
二人から告げられた話はそれ以上の衝撃だった。
「マジか」
「加茂さん喋ったの!?」
「うん、超可愛い声だったよ」
驚いたように声をあげる山田と秀人に、西村さんは「ふふんっ」とドヤ顔で自慢している。
「まあ、寝言なんだけどね」
「……何だ、寝言か」
咳をしたり、酷く驚いたり、加茂さんが不意に声を出してしまうことは今まであった。寝言はまだ聞いたことがないが、今回もそれと同じようなものだろう。
……ただ、それならそれで少し心配なことがある。朝からの加茂さんの様子を見るに、杞憂だとは思う。だけど、念のため。
「それ、加茂さんに言ったか?」
「ううん、言ってないよ」
「そっか」
桜井さんの言葉に、俺は安堵の息を吐いた。
「やっぱり言わなくて正解だった?」
「……うん。できれば、寝言のことは本人には言わないでほしい」
「うん、分かった」
「りょーかい!」
「……ありがとう」
二人は、俺の頼みを快く受け入れてくれた。理由も聞かずに。
「それで、話は変わるんだけどさ」
「ん?」
「加茂ちゃんの首の――」
「ノーコメントで」
「早いよ!」





