加茂さんの勘違い
奈良観光が終わり、場所は修学旅行中に宿泊するホテル。
「よっ」
そのホテルの夕食後。風呂も済んで、消灯までの自由時間。
ロビーの長椅子に腰掛けていると、後ろから肩を掴まれて体重をかけられた。
「重い」
「貧弱だなー」
後ろから体重をかけてきたの秀人は俺から手を離すと、隣に腰を下ろして訊ねてくる。
「それで? こんな所で何してんだ」
「待ち合わせ」
「加茂さんと?」
「うん」
「お熱いこった」
「うるせえよ」
けらけら笑いながら茶化してくる秀人を肘で軽く小突く。
「でも、彼女との待ち合わせなのに楽しみじゃねーの?」
「え? 楽しみだけど」
「にしては浮かない顔してたろ」
「……そんな顔してたか?」
「思いっきりしてた」
秀人に断言されてしまう。俺は自分の両頬を手で挟んで、顔をほぐすようにぐりぐりと動かす。
浮かない顔――そんな顔になってしまっている原因には、自分でも心当たりがある。
「ちょっと、待ってる間に一人反省会してた」
「反省? 光太、今日何かやらかしたっけ」
「加茂さんに情けない姿見せたから」
「あー、新幹線の」
俺は頷き、昔の傷が残っている部分を軽く触れる。
「トンネル、トラウマになってんの?」
秀人は友人の中では唯一、俺の事情を知っている。
近くに他に人が居ないことを確認してから、俺は秀人の問いかけに答えた。
「かもしれない」
曖昧な答え方になってしまったのは、分からなかったから。
昔の事を思い返したって、どうも思わな……くもないが、体調を崩しかけることはなかったのだ。だから、自分でも驚いている。トンネルに入っただけで、トンネルを認識しただけで、あんな風になるなんて。
「でも、トラウマなら仕方ねーだろ。それに、加茂さんは事情知ってるんだろ?」
「……加茂さんにあんまり俺の弱い所、見せたくなかったなぁと」
「そういうもんか?」
「秀人だって神薙さんにはそういうの見せたくないだろ」
「そういうもんか」
神薙さんを例に挙げれば、秀人はすぐに納得した。相変わらずのブレなさは素直に尊敬する。
「秀人は何しに来たんだ?」
「ああ、そうだ。部屋で持ってきたお菓子賭けた大富豪始まったから、光太も呼びに来たんだけどよ」
「……さっき歯磨きしなかったか? あとこの時間にお菓子食うのか?」
「いーじゃん今日ぐらい」
「まあ、いいけど……あとでまたちゃんと歯磨きしろよ?」
「分かったよおかん」
「おかんじゃねえ」
「いや、今のは完璧におかんだったろ……おっ」
秀人はある方向を見て手を振り始める。
その方向に俺も目を向ければ、ボードとペンを持った加茂さんがこちらに歩いて来ていた。
「んじゃ、俺は戻るわ。こっちは気にしないで先約大事にしろよ」
「ああ」
秀人は立ち上がり、加茂さんとすれ違い様に一言交わして部屋へと戻っていった。
『お待たせ』
加茂さんはボードにそう書いて、俺の隣に座った。
お風呂上がりなのだろうか。ジャージ姿で小さいタオルを首に下げている彼女の髪はしっとり湿り気があり、顔は少し火照っている。そして、シャンプーの匂いか、鼻孔がくすぐられる。
いつもの快活な雰囲気とは違い、色っぽさのようなものを感じる。見慣れない彼女に、俺は目を奪われて――。
『見すぎ』
「……ご、ごめん」
加茂さんはボードで顔半分を隠しながら訴えてきて、ボードに書かれた言葉で我に返った俺は目を逸らす。
そして、気持ちを少し落ち着かせるために軽く深呼吸をしていると、加茂さんはボードを俺の目の前に持ってきた。
『疲れてる?』
「まあ、多少は疲れてるかもな」
修学旅行もまだ一日目とはいえ、充実した一日だった。楽しかった。
しかし、楽しかった分、疲れも当然ある。そういう意味で俺は答えたのだが……。
『ごめんね』
何故か、加茂さんに謝られてしまう。
「……えっと、何で?」
謝られる理由に心当たりもなく、俺は困惑しながら聞き返すと、加茂さんはボードにペンを走らせる。
『昨日は家に来てくれてありがとう』
「う、うん。どういたしまして」
『心配かけて疲れさせて
ごめんなさい』
「……うーん?」
聞いても、よく分からなかった。
恐らく昨日の事を言っているのだろうが……心配はまだ分かる。でも、疲れさせてっていうのは何だ?
『昨日、バイト終わった後に
赤宮君が家に来てくれて
うれしかった』
首を傾げていると、加茂さんは続きの文を書く。
「それなら良かった」
突然訪問してしまったから迷惑だったかとしれないと思ったが、嬉しかったと言われてこちらも嬉しい気持ちになる。
『でも、そのせいで疲れさせちゃったよね
新幹線でもぐっすりだったし』
「ええ……?」
しかし、次にボードに書いた加茂さんの文を見て、俺は再び困惑してしまう。ただ、今度は加茂さんの謝罪の意味をはっきり理解した上で。
「…………(あれ?)」
俺の反応に加茂さんも何かおかしいことに気づいたのか、小首を傾げる。
そんな彼女の大きな勘違いを、俺は半ば呆れながらも正すことにした。
「確かに、昨日は凄い疲れた」
「…………(しゅん)」
「でも、その疲れは加茂さん一切関係ないからな?」
「…………(え?)」
加茂さんは俺の言葉に驚くように顔を上げるが、驚きたいのは俺の方だ。
まさか、俺が新幹線で寝過ぎたばっかりにそんな勘違いをされているとは、思いもしていなかったから。
『気つかってる?』
「いや全く」
おずおずと訊ねてくる加茂さんに即答する。
『本当?』
「本当だよ。疲れたのはバイトのせい。ただでさえ忙しいのに作らされたメニューがとにかく量多くて大変でさ」
「…………(ぱちくり)」
「だから、昨日は加茂さんに会えて俺も嬉しかった」
「…………(あうっ)」
「加茂さんの顔見たら、今日頑張って良かったなぁって思えたし」
「…………(あううう)」
照れた様子の加茂さんが愛らしくて、自然と頰が緩む。
「あと、イタズラもできたし……」
――これは余計な一言だったかもしれない。
「…………(ぼふっ)」
それに気づいた時には既に遅く、案の定とでも言うべきか。
昨日の事を思い出した加茂さんは、沸騰したように顔を真っ赤に染めてフリーズしてしまった。





