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【本編完結済】加茂さんは喋らない 〜隣の席の寡黙少女が無茶するから危なっかしくて放っておけない〜  作者: もさ餅
いつまでも、ずっと隣で

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トリート・オア・トリート

 お爺ちゃんが倒れて病院に運ばれた。その話を聞いた私は、お母さんとタクシーでその病院へ向かった。

 お爺ちゃんが住んでいる場所は家から三時間ぐらいかかる。少し遠いけれど、それは行かない理由にはならなかった。


 ――そして、約八時間後。夕方頃に私は家に帰ってきた。

 というのも、病室に居たお爺ちゃんは既に目を覚ましていて、元気だったのだ。


 倒れた原因を病院の人に聞いたら、ただの運動不足とのこと。お爺ちゃんは少し大きな会社の経営をしていて、定年を迎えてもまだ働いている。最近はずっとデスクワークしかしていなくて、それが運動不足に繋がってしまったのだとか。 

 大事を取って暫くは入院するみたいだけど、何はともあれ、元気そうでほっとした。


 ……でも。


「……行けなかった」


 ベッドに寝転がって布団に潜り込みながら、独り()ちる。時計の短い針は既に"6"を通り過ぎていた。


 赤宮君にあれだけ楽しみだって伝えて、絶対に行くとまで言ったのに、行けなかった。今回ばかりは仕方のないことだったのは分かってる。運が悪かったとしか言えない。

 ……分かってはいても、胸が締めつけられる。会えなかったから、ではなくて、振り回してしまったから。


 赤宮君がアルバイトに行く日だと知った上で会いたいなんて我が儘を言ったから、彼はその私の我が儘に精一杯応えようとしてくれた。そんな彼の気持ちを、私は台無しにしたんだ。結果として、私は彼を振り回すだけ振り回して、迷惑をかけただけ。

 ある意味では、ハロウィンパーティーができなかったのは幸運だったのかもしれない。皆に迷惑をかけなくて済んだから。


「……駄目だなぁ」


 本当に私は駄目駄目だ。赤宮君に迷惑をかけてばかりの私のまま、何も変わっていない。変わると決めたのに、一歩も進めずに立ち止まっている。

 赤宮君は、いくらでも我が儘を言っていいと言ってくれた。明日会っても、多分、赤宮君は私を責めたりしない。今日の事は気にしないと思う。


 ……楽しみにしていた筈の修学旅行も、少し怖くなってしまった。赤宮君の顔、ちゃんと見れない気がして。

 顔を見たら、自己嫌悪が止まらなくなりそうだった。どうしよう。


 ――ピンポーン。


 家のインターホンが鳴る音が聞こえてきた。こんな時間に誰だろう。不思議に思っていると、今度は足早に階段を上がってくる音が聞こえてくる。

 私は布団から顔を出して起き上がった。そのタイミングで部屋の扉が開くと、お母さんが顔を覗かせて言ってきた。


「九杉、赤宮君よ」




 ▼ ▼ ▼ ▼




 外で待っていると、家の中からドタバタと慌ただしい音が聞こえてきて、玄関ドアが開いた。


「…………(ぱちくり)」


 出てきたのはインターホンで応答した加茂さん母ではなく、加茂さんの方だった。


 俺を見て驚いたように目を瞬かせる彼女の服装は部屋着ではない。ポンチョのような茶色いシャツに、ゆったりした白のパンツ。秋の装いといったところだろうか。

 そして、髪型も珍しくいつもと違っていて、前髪が編み込まれていた。しかし、髪は少し乱れていて、寝癖らしきもの見える。


「もしかして寝てたか?」

「…………(え?)」

「髪、跳ねてるから」

「…………(ばっ)」


 俺の指摘に、加茂さんは慌てるように片手で自分の髪を押さえる。


「ここだよ、ここ」


 見当違いの場所を押さえていたので、俺は加茂さんの髪の跳ねている部分を代わりに押さえた。

 そのまま頭を撫で始めれば、加茂さんは気持ちよさそうに目を細めて惚ける。


「…………(はっ)」


 しかし、加茂さんはすぐに我に返るとボードに文字を書いてこちらに向けてきた。


『何で来たの?』

「何でって……」


 理由なんて決まっている。


「心配だったから」

「…………(きょとん)」

「足、大丈夫か?」

「…………(こてん)」


 ……あれ。首を傾げられてしまった。


「今日来れなかったのって、店に来れないぐらい昨日転んだ時の怪我が痛い……とかじゃないのか?」

「…………(ふるふる)」

「え、違う?」

「…………(こくり)」


 加茂さんは頷くと、裾を捲って昨日擦りむいていた膝を見せてくれた。そこには既に絆創膏は貼られておらず、傷も殆ど目立たないぐらいに消えている。

 それなら、どうして。それを訊ねる前に、加茂さんは自分から説明してくれた。


『おじいちゃんが

 病院に運ばれたんだ』

「……お爺さんが? だ、大丈夫なのか?」

『うん、元気だったよ

 ただの運動不足だって』

「そっか……」


 驚いた。まさか病院に行っていたとは。だけど良かった。運動不足だけなら、加茂さんもひとまずは安心だろう。

 安堵していると、加茂さんは不思議そうな表情を浮かべながら確認してくる。


『ライナーで言わなかった?』

「……ライナーには今日行けないって話しか書いてなかったけど」

「…………(ぱちくり)」


 加茂さんは目を瞬かせる。俺はポケットからスマホを取り出して、加茂さんから送られてきた文を見せた。


「…………(ぎょっ)」


 加茂さんは目を見開いて驚いていた。どうやら、俺に伝えていたつもりになっていたらしい。

 ……まあ、仕方ないか。身内が病院に運ばれたんだ。恐らく、焦っていたのだと思う。


『心配かけてごめんなさい』

「いいからいいから。気にすんな。お爺さんが無事で良かった」

「…………(こくり)」

「ああ、そうだ。今日は様子見に来たついでに、これ渡しに来たんだよ」


 今日、加茂さんの家に来た第二の目的を果たすために、俺は片手に持っていたケーキの箱を彼女の顔の前まで持ち上げる。


「…………(きょとん)」

「ケーキです」

「…………(ぱあああ)」


 俺が箱の中身を言った瞬間、加茂さんの表情は明るくなり、彼女はケーキの箱に手を伸ばしてくる。


「ストップ」

「…………(すかっ)」


 俺はそんな彼女の手を避けるようにケーキの箱を更に上へと持ち上げると、彼女の手は空振る。


「加茂さん、ハロウィンなら言うことあるだろ」

「…………(はっ)」


 加茂さんは俺が求める言葉を思い出し、素早くボードに書いた。


『トリックオアトリート』

「はい、トリート」

「…………(わーい!)」

「そのケーキ、俺も一個食べたから味は保証できるぞ」

「…………(へー)」


 加茂さんに手渡しながら言うと、加茂さんはケーキの箱を見つめる。早く中を見たくて仕方ない様子だ。

 さて、これで最低限の目的は果たしたが……折角のハロウィンだ。俺もやっておくか。


「それじゃあ、トリック・オア・トリート」

「…………(へ?)」


 加茂さんは顔を上げ、俺を見つめる。その表情はまるで、思いがけない言葉を言われたかのように。


「俺にも言う権利あるだろ」

「…………(えーっと)」


 加茂さんは気まずそうに、左右に視線を彷徨わせる。この様子だと、彼女は何も用意していないようだ。

 まあ、そりゃそうか。今日は会えない筈だったのだから。


「家の中にある菓子とかでもいいぞ」

「…………(ふるふる)」


 加茂さんは控えめに、首を横に振った。


「……飴玉一つもないのか?」


 訊ねてみると、加茂さんは俺にケーキの箱を渡してきた。

 俺が持っていたボードを加茂さんに渡してケーキの箱を受け取ると、彼女はボードにペンを走らせる。


『明日持っていく

 おかしならある』

「まあ、それでもいいけど」

『明日持っていく

 おかし減っちゃう』

「……つまり、あげたくないと?」

「…………(すーっ)」


 目を逸らされた。図星らしい。


「…………(ちらっ)」


 それから、加茂さんはケーキの箱を見やる。何かを考えるように。


「……先に言っておくけど、ケーキの返却は受け付けないからな」

「…………(ぎくっ)」


 ぎくっ、じゃねえよ。当たり前だろ。俺が家に来た意味の半分をなかったことにしないでほしい。


『ちなみにいたずらってどんな?』


 そして、加茂さんは悪戯(いたずら)の内容を訊ねてきた。

 ……どうやら、俺がここまで言っても彼女はお菓子を出せないようだ。


「…………仕方ない、か」

「…………(きょとん)」


 実は、悪戯も一応考えてきていた。実行する気はなかったが。まさか加茂さんの家にお菓子がないと思わなかったから。

 ……本当にやるのか。やっていいのか。いや、やる。やろう。ハロウィンのしきたりに従おう。心を鬼にしよう。


 意を決して、加茂さんに向き直る。俺を真っ直ぐに見つめる彼女と目が合う。


「動くなよ」


 俺は加茂さんの後頭部に手を回しながら、目線を合わせるように屈む。

 そして、加茂さんのの首筋に口を当てる。やり方は昨日、山田から聞いている。




「…………(びくっ)」


 俺の行為に対して、加茂さんの驚きが伝わってきた。


「…………」


 首筋から離れると、加茂さんは呆然としたまま動かない。

 彼女の首の根本には、蚊に刺されたような赤い点が残っている。初めてにしては上手くできた……と思う。


「…………」


 加茂さんは未だ微動だにしない。


「……えっと、まあ、これがイタズラってことで」

「…………」

「……じゃあ、俺は帰るから。あ、ケーキ返す」

「…………」

「また明日」


 固まったままの加茂さんにケーキの箱の持ち手を握らせて、俺は彼女の家を後にする。


「……あっつ」


 今日の夜風は、もう少し強くていいと思った。




 ▼ ▼ ▼ ▼




 赤宮君が帰った後、私はぼーっとした頭のまま家の中へと戻った。


「九杉、赤宮君来てくれて良か……あら、顔真っ赤」


 お母さんが私の顔を見て、そんなことを言う。でも、その言葉に反応できる余裕はなかった。

 ふらふらと洗面所の方へと歩いていき、赤宮君の口が触れた部分……首元を鏡で見る。そこには、赤い点がぽつんと一つ。


 赤宮君と顔を合わせる前に抱いていたネガティブな感情は全て、吹き飛んでいた。いや、上書きされたと言った方が正しいかもしれない。

 だって、今、私の頭の中は赤宮君でいっぱいになってしまっているから。


 ――その夜、私は貰ったケーキを食べ忘れてしまった。

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