加茂さんからのご褒美
放課後、俺は加茂さん宅にお呼ばれされた。
『部屋で待ってて』
家に着くなり加茂さんにそう言われ、俺は一人先に部屋に通された。
しかし、部屋に入ったのはいいものの、どうにも気持ちが落ち着かなくて。正座をして彼女を待つことにした。
『学校だとはずかしいから
私の家でもいいですか』
待つ間、学校で加茂さんに言われた言葉を思い返す。
学校でするのが恥ずかしい。だから、加茂さんは俺を家に呼んだ。
気持ちは分かる。される側の俺もそれは恥ずかしい。帰り道にするというのも、タイミングとか、なかなか難しいものがあるだろう。だから家でというのは、妥当な判断だ。
……結果として、俺は"キスをされるため"という不純な目的で彼女の家に来てしまった。その事実が頭から離れず、落ち着かない。
――扉が開く音が聞こえた。
『お待たせしました』
「お、おかえり」
見れば、加茂さんは学校の制服のまま、口元をボードで隠しながら部屋に入ってくる。
彼女は俺に向かい合う形で正座をすると、ボードを自分の膝の上に置く。
彼女の表情からは、確かな緊張が伝わってきた。
「……えっと、その、じゃあ、お願い、します」
「…………(こくっ)」
俺のぎこちないお願いに加茂さんは頷き、ボードに文字を書く。
『目つむって』
「……わ、分かった」
俺は加茂さんの指示通り、目を瞑った。
「…………」
待つ。
「…………」
まだ待つ。
「…………」
部屋が静かだからだろうか。自身の鼓動の騒がしさが、いやにはっきり伝わってくる。
「…………(だんっ)、〜〜〜〜っ!?」
……何だ?
何かを叩くような音の後に聞こえてきたのは、声だった。といっても、聞こえたのは"声にならない声"という部類のもので、言った言葉は全く分からない。
「ふーっ、ふーっ」
目を開けるべきか迷っていると、彼女の荒い息遣いが聞こえてくる。
俺は状況を把握するために目を開けた。
「…………(ぴくぴく)」
「……加茂さん?」
目を開けると、加茂さんの位置は目を瞑る前から全く変わっていなかった。
強いて変わっているところを挙げれば、体勢だろうか。正座のままではあるが、前のめりで片手に床に手を着き、もう片手は自分の足を掴んでいる。顔は俯いている。
「どうした?」
「…………(ぷるぷる)」
「え」
俺の声に応えようとしてくれたのか、加茂さんは顔を上げてくれた。
ただ、俺はそんな彼女の顔を見て驚いてしまった。彼女は涙目でこちらに助けを求めるような目をしていたのだ。
「――っ、〜〜〜〜!(だんっ、だんっ)」
「お、おい!?」
加茂さんは再び、声にならない声を出しながら絨毯を叩き始めた。先程の謎の音の正体はこれだったらしい。
俺は慌てて正座を崩して彼女に近寄り、床を叩く手を掴んで止める。すると、彼女は俺の服の袖を握り締めてくる。
彼女に何が起きているかは不明だが、彼女から声が漏れてしまっている時点でただならぬ事態が起きているのは間違いない。とにかく、原因を……。
「ん?」
「…………(ぴくぴく)」
加茂さんの手の片方は、足……ふくらはぎを掴んだままということに気づいた。これは、もしかして……。
「足攣った?」
「…………(こくこくこくこく)」
俺の確認に、加茂さんは激しく頷いた。そういうことか。そりゃ悶えるよな。
えっと、攣った時は確か、足を真っ直ぐ伸ばして爪先を手で引っ張るんだったか。
「加茂さん、足伸ばせる?」
「…………(ふるふるふるふる)」
加茂さんは激しく首を横に振った。
「……動けるか?」
「…………(ふるふるふるふる)」
「一歩も?」
「…………(こくこくこくこく)」
駄目か。別の処置としてはふくらはぎを揉むという方法もあるが、加茂さんに袖を掴まれているこの体勢じゃそれもできそうにない。
なら、仕方ない。無理に動かして足に変な癖が残るのも怖いので、痛みが治まるまでこのままでいよう。
「……ってか、このタイミングで攣るって」
タイミングの悪さに苦笑してしまう。
……思い出したけど、加茂さんって前に正座苦手だって言ってたっけ。攣った原因多分それでは?
「…………(ふぅ)」
「あ、落ち着いたか?」
「…………(こくり)」
ふくらはぎから手を離した加茂さんは頷き、ボードに手を伸ばす。
「…………(ずるっ)」
「ちょっ」
そして、彼女はバランスを崩した。
俺はクッションになろうと、倒れる彼女の下に滑り込むように転がる。
「ぐえっ」
勢いよく背中を絨毯に着いた直後、少し勢いがついた重みに襲われて呻き声を漏らす。
その重みがクッションとして間に合ったことを教えてくれて、俺は安堵の息を吐いた。
――そんな安堵も束の間、加茂さんの顔が真横にあることに気づく。
気づいた瞬間、鼓動が騒がしくなった。先程の比にならないぐらい。
同時に、加茂さんの鼓動も伝わってくる。俺と同じぐらい騒がしい。彼女も今の状況に気づいたらしい。
「…………(がばっ)」
「待って」
「…………(ぴたっ)」
「まだ貰ってない」
起き上がろうとした彼女の背中に手を回して、俺は催促した。
今離れたら、ご褒美とか、そんな空気じゃなくなりそうだったから。
「…………(もぞもぞ)」
顔の横で加茂さんの頭が動き、彼女のさらさらの髪が耳に当たる。
動きが止まると、彼女の息が俺の頰に当たる。
そして、柔らかい感触が頰に押し付けられた。
「……ありがとう」
彼女から初めてされたキスに不器用さを感じて、笑みが零れる。
その不器用さが愛らしかった。彼女なりの頑張りを感じた。
――とても、心地良かった。





