加茂さんとローラースケート
次に訪れたローラースケート場で、俺は加茂さんに手を引かれながら滑っていた。
「…………(ぴゅー!)」
「はー……」
そこそこスピードがあるからか、風を感じて気持ちいい。つい、だらしない声が口から漏れる。
一人では絶対にこんなに気持ちよく滑ることはできない。俺はローラースケートが得意ではなく、滑るにしてもゆっくりとしか滑れないから。
しかし、加茂さんが手を引いてくれるため、そこそこの速さで滑ることができている。彼女のスケーティング技術のおかげで、誰かとぶつかってしまうということもない。安心もできて、結構楽しい。
「はー…………はぁ」
……楽しいけど、何だかなぁと思わなくもない。
「…………(くるっ)」
「ん?」
すると、加茂さんがスピードを落とし、その場でターンして俺の方を振り返る。
そして、俺の胸元を指でなぞり始めた。
「っ……」
彼女の指が、少しくすぐったい。
それでも、俺は声に出さないように堪えながら、彼女の指の動きに集中する。
――彼女の指は"たのしくない?"と動いていた。
「楽しいけど、どうした?」
「…………(びしっ、きゅっ、ぱっ)」
加茂さんが空いている片手で指を差した後、手を自分の口の前に持っていく。
その手は指をつぼみのようにすぼめていて、次にその手を前に出すと同時に開く。
「もしかして、口に出てた?」
「…………(こくこく)」
「マジか」
加茂さんは頷き、俺は空いていた方の片手で顔を覆う。
「…………(かきかき)」
今度は"どうしたの"と書かれる。
「大したことじゃないから」
「…………(じー)」
加茂さんは俺の誤魔化しに聞く耳を持たず、じっと見つめてくる。まさか、素直に白状するまで続くのだろうか。
「……俺が手を引いて滑れたらなって思っただけだから」
「…………(ぱちくり)」
観念して白状すれば、加茂さんは目を瞬かせる。
ひとまわり小さい彼女に手を引かれて滑る男なんて、傍目からは滑稽に映るだろう。俺はそれが、単純に恥ずかしかった。
「言っただろ、大したことじゃないって」
俺のちっぽけな自尊心を笑うなら笑ってほしい。
「…………(すっ)」
彼女は柔らかい笑みを浮かべ――俺の横に回って俺の片手を両手で掴んでくる。
「え?」
「…………(ぶんぶん)」
そして、"早く滑ろう"とでも言いたげに、加茂さんは俺の手を上下に揺らし始める。
「いや、俺、加茂さん程上手くは滑れないって」
「…………(かきかき)」
加茂さんは片手を離して俺の背中に文字を書いた。"いいから"という四文字を。
「…………(にこっ)」
「……分かったよ」
加茂さんの手を引きながら、やっぱり敵わないなと思った。
▼ ▼ ▼ ▼
日向詩音さん。学年は一個下。軽音楽部で、学校では知らない人が居る方が珍しいと言われる程の有名人。
学外でも人目を惹くその容姿から、知らない男に絡まれたこともあるらしい。だから、その対策としてなのか、今日はパーカーのフードを被った上でサングラスまで付けている。ここに入るまではマスクまで付けていた。
「ほわっ……とぁっ……!」
そんな彼女は、今、私の目の前で生まれたての子鹿と化している。
手は取っているけれど、バランスを取るのが精一杯みたい。私が引っ張らないとその場から全く動かない。
「大丈夫?」
「これが大丈夫に見えますかっ」
「見えないけど」
私に手を引かれながらぷるぷるしている日向さんの横を、小学生ぐらいの子供達がきゃっきゃとはしゃぎながら通り過ぎていく……あ、九杉達も通り過ぎた。
「わわっ、神薙先輩っ、いきなり離さないで!?」
「あ、ごめんなさい」
九杉がすれ違いざまに手を振ってきたから思わず振り返してしまった。
離してしまった方の手をもう一度取ると、日向さんは安堵するように息を吐く。
「ねえ、ちょっと聞いてもいい?」
「な、何ですか……」
丁度二人きりになっているところで、私は気になっていたことを聞いてみることにした。
「日向さんって赤宮君のこと好きなの?」
「へ!?」
「ああ、うん、今ので大体分かったわ」
やっぱりそうだったのね。驚きはあるけど、それ以上に納得の気持ちが大きい。
不思議だった。日向さんが二人をここまで慕う理由が分からなかったから。
九杉だけなら分かる。あの子は人に好かれやすいタイプだ。でも、苦手な異性である赤宮君のことまで慕うのはどうしてだろうと思っていた。
まあ、でも、その理由も今、はっきりしたけど。
「あの二人、付き合ってるの」
二人のためにも、日向さん自身のためにも。これだけは明言しておかないといけないと思った。
「知ってます。そもそも私、先輩に振られてますから」
――知らなかった。
私は初めて聞いたその話に驚いて、日向さんは寂しそうに笑う。
「まだ、好きなの?」
どうして自分でもこんなことを聞いたのか分からない。
これ以上踏み込んでも、誰も得をしない。日向さんの傷を抉るだけ。それが分かっていて、聞かずにはいられなかった。
「好きですよ。振られてキッパリ諦められたらよかったんですけどね」
そんな私の言葉に日向さんは答えた後、「安心してください」と続けて言った。
「私は先輩達が好きです。お二人を引き裂こうなんて考えてませんし、できませんよ」
「辛くない?」
「振られた時は、まあ。でも、今は"私をこんなに辛くさせたんだから幸せにならなきゃ許さない"って気持ちが大きいですね」
「……優しいのね」
「優しくはないですよ」
日向さんは私の感想に対して、おかしそうに笑う。
「私、もしも先輩達が別れたらまたアタックしようとか考えてますからね?」
「それって、逆に別れなかったら絶対邪魔しないってことじゃない?」
「……解釈はお好きにどうぞ」
日向さんはそう言って目を逸らした。図星みたい。
「何笑ってるんですか」
「笑ってない笑ってない」
「……神薙先輩は好きな人とかいないんですか」
「へ?」
逆に聞かれるなんて思っていなくて、変な声を出してしまった。
「あ、その反応はいますね?」
「っ……い、いないからっ」
「えー、ズルいですよ。私は話したのに」
「…………」
「ほわ!? ちょ、手離さないでくださいよ!」
私は日向さんの手を離して後退する。けれど、日向さんはこちらに手を伸ばしながらじわじわ距離を詰めてくる。
おかしい。さっきまで一人じゃ一ミリも進めなかったのに、普通に滑れてるじゃない。不味い、このままじゃ捕まる。
「…………(がしっ)」
「「え?」」
――一周して戻ってきた九杉が、日向さんの腰を前から抱えるようにして掴んだ。
「…………(ごー!)」
「うひゃあああああああああああ!?」
そんな驚きも束の間、九杉に連れ去られる形で日向さんは私から一気に引き離されて行ってしまった。
「ええ……」
「おー、速いな……」
突然のローラースケート誘拐に困惑する私の元に、少し遅れて赤宮君が戻ってくる。
「赤宮君……九杉、どうしたの?」
「多分、日向とも滑りたくなったんだろ。まあ、あの速さならすぐに戻ってくると思うぞ」
「…………(ぴゅー!)」
「いやああああああああああ」
「一周で終わらないだろうけどな」
……うん。日向さんのことはともかく、九杉が楽しそうだからいっか。
ということで、私は考えることをやめた。





