加茂さんはご立腹
空は快晴。群青色の中心に輝いている太陽がいやに眩しい。
耳に入ってくるのは歓声だろうか。沢山の人の声が聞こえる。でも、それを気にする余力は残っていなかった。
「…………(ぐいっ)」
「い゛っ!?」
左足が引っ張られ、激痛が走る。飛び起きると、同じく起き上がっている加茂さんと目が合った。
足の方を見ると、彼女が解いたらしいバンダナが地面に落ちている。
「……とりあえず、コースの内側入るか」
「…………(こくん)」
加茂さんは立ち上がろうとして、お尻を浮かせる。そして、浮かせたまま、腕をぷるぷるさせていた。
……どうやらそこから先は無理らしい。立ち上がれないのはよく分かった。
しかし、立ち上がらなければ移動ができない。それに、いつまでもここに座っていたらリレーの邪魔になる。既に邪魔かもしれないが。
「っ……」
俺は痛みを堪えて無理矢理立ち上がる。そして、加茂さんに手を差し伸べた。
「ほら、立て」
「…………(おろおろ)」
加茂さんは俺の手を前に、迷うような素振りを見せる。何を遠慮してるのだろうか。
「おい? 早く掴め」
「…………(そーっ)」
加茂さんは恐る恐る、といったように俺の手を掴む。俺はその手を引っ張って、加茂さんを立ち上がらせた。
「あれ……?」
「…………(びくっ)」
すると、視界が一瞬歪む。思いがけず、立ち上がったばかりの加茂さんの肩を杖代わりにしてしまった。
「……ごめん」
「…………(ふるふる)」
驚かせてしまったことを謝ると、加茂さんは首を振って不安げな顔を覗き込んでくる。
……人の心配ができる立場じゃないだろ。自分だって怪我をしてるんだから。
「移動するけど、歩けるか?」
「…………(こくり)」
「なら、もう少し頑張れ」
加茂さんの膝に目を向けると、それなりに大きい擦り傷ができていた。出血も止まっていない。早めに消毒させてやらないと。
「お疲れ!」
「凄かったな!」
ゆっくり移動していると、こちらに何人からのクラスメイトが近寄ってくる。丁度良かった。
「加茂さんを保健室に連れて行ってくれ」
「…………(ぎょっ)」
「赤宮は?」
「後から自分で行く」
そう言って、俺はその人達に加茂さんを預けた。加茂さんが慌てている気がするが、それだけ元気があるなら大丈夫だろう。
俺は左足を引きずりながら、ゆっくりコース内に歩いて戻る。
「よ、お疲れ」
「ナイスラン」
秀人と山田に声をかけられ、俺は軽く誇るように返した。
「だろ?」
「光太が自分の頑張りを認めた……!?」
「悪いかよ」
「悪くはない!」
秀人は何故か嬉しそうだ。謎である。
そして、話についていけてないらしい山田が秀人に訊ねる。
「そんなに珍しいのか?」
「光太、無駄にストイックだし」
「あー、分かる気がする」
好き勝手言われるので、文句の一つでも返すために口を開こうとした――そんな時だった。
「あれ……」
不意に体の力が抜け、視界が傾く。そして、秀人に寄りかかるように前に倒れる。
「うわっ、いきなりどうしたっ……光太?」
秀人の呼びかけに応答ができない。
さっき以上に、体が言うことを聞かない。というより、体の動かし方が分からなくなった。
「光太!? こ――っ、――――!」
次第に、視界に靄がかかっていく。耳も遠くなって、周りの声が聞き取れなっていく。
俺は薄れゆく意識の中で、"これは熱中症と貧血、どっちだろう"なんて酷く呑気なことを考えていた――。
* * * *
「……んぁ……」
気がついた時には、視界に見慣れない天井と白いカーテンが映っていた。
俺は何をしていたのだろうか。寝起きだからか記憶がふわふわしている。
……寝起き? 俺はどうして寝てたんだ?
「ここ、どこだよ」
体を起こして、呟く。
――そこでようやく気がつく。足の違和感に。
足を見ると、両膝には大きめの絆創膏。左足に湿布と包帯。
細かい擦り傷には何も貼られていないが、消毒済みであることはなんとなく分かった。
「……つまり、保健室か」
ようやく意識が覚醒してきて、倒れる前の記憶が戻ってきた。
そして、思いがけない人物の声がカーテンの向こう側から聞こえる。
「目、覚めたのね」
「神薙さん?」
カーテンが捲られると、神薙さんと――その後ろに、加茂さんが居た。
「起きて早々で悪いけど、いい?」
「ああ」
「何をどうしたらこうなるの?」
「俺が聞きたい」
二人三脚が終わって、気がついたらここにいた。俺自身が分かっていることはそれぐらいだ。
「それで、加茂さんはどうしてご立腹なんでしょうかね」
頰を膨らませて怒り顔の加茂さんを横目に、俺は神薙さんに訊ねる。直接聞くのはなんだか憚られた。
「自分の胸に手を当てて考えなさい」
「何も思い当たらんな」
「考 え ろ」
神薙さんにドスの利いた声で再び圧力をかけられ、俺は仕方なく自分の胸に手を置く。
「……分からん」
「脳みそある?」
「ある」
そこまで言われる筋合いはないのだが、分からないのもまた事実。
俺は観念して、解答を求めるかの如く加茂さんに視線を送る。
「…………(ぷいっ)」
しかし、加茂さんにはそっぽを向かれ、神薙さんには深いため息を吐かれたのだった。