毎週千円弁当問題
「朝、二人でちゃんと話せた?」
「ああ、昨日も今日もありがとう。助かった」
俺と秀人、加茂さんと神薙さんの四人で過ごすのが当たり前となった昼休み。
神薙さんは教室に来て早々に朝のことを訊ねてきて、俺は加茂さんと二人きりにしてくれた彼女に礼を言った。
「昨日は分かるけど、朝も何かあったのか?」
「まあ、ちょっとな」
一方、朝のことを知らない秀人が訪ねてくるが、詳しく話すことも難しいので適当にはぐらかす。
秀人は「ふーん」と不思議そうに俺と加茂さんを見やった後、購買で買ったパンの袋を開け始めた。
深くは聞かれなかったことに内心で安堵しつつ、俺は鞄から弁当を二つ取り出して片方を加茂さんに渡した。
「はい」
「…………(わーい)、…………(はっ)」
加茂さんは嬉しそうな表情で弁当を受け取ると、何かを思い出したように固まる。
「加茂さん?」
俺が声をかけると加茂さんは再起動し、慌てた様子で鞄の中から財布を取り出す……そういえば、昨日貰うの忘れてたな。
「…………(はい)」
「毎度あり」
加茂さんから、一週間のお弁当代である千円を受け取る。
「今更だけど、彼氏彼女の関係で弁当渡して金貰うのも珍しいよな」
そんな俺達のやり取りを横で見ていた秀人の呟く声が聞こえ、俺は受け取った千円を財布にしまう手を止めた。
言われてみれば確かにと思ってしまった。
恋人に弁当を作るのは然程珍しいことではないと思う。でも、そこでお金のやり取りをするのは如何なものなのだろうか。テレビですらそんなやり取りをしているカップルは見たことがない。
「別にいいんじゃない? 元は里子さんから頼まれたことなんだから」
どうするべきか考えていると、神薙さんが言う。
「里子さんって誰だ」
「……九杉のお母さんの名前ぐらい知っておきなさいよ」
「……はい」
神薙さんに呆れが含まれた冷ややかな視線を送られる。弁解の余地もございません。
「……こほん。話戻すけど、食費もタダじゃないし、現実問題、無償で人のお弁当を毎日作るなんて大変なんだから。素直に受け取っておけばいいのよ」
まあ、それも確かに。
俺の家は貧乏という訳ではないが、俺が満足に生活できているのは母さんが働いて稼いでくれるからだ。当然食費も俺の金ではないため、このお金を受け取らなければ負担が増えるのは俺の母さんということになってしまう。
「……いっそのこと、バイトでもするか」
「そっち?」
「光太ってたまに変な方向に振り切れるよな……」
「え、だって」
恋人から弁当渡してお金受け取るって、考えれば考える程に普通じゃない気がするのだ。
それなら、俺が自分で稼いで加茂さんのお弁当代を用意するぐらいしか思い浮かばない。これなら誰の負担にもならないし。
「光太、自分の負担だけ度外視すんなよ?」
「…………そんなことない」
「図星じゃねえか。思いっ切り変な間あったぞ今」
「二人とも、そもそも当の本人が聞いてないわよ」
「…………(ごくん)、…………(うまー)」
加茂さんを見れば、彼女は呑気に俺が作った弁当に舌鼓を打っていた。
いつものことだけど、加茂さんは本当に美味しそうに食べてくれるな。作り手冥利に尽きる。
「…………(きょとん)」
マイペースな彼女に癒されていると、視線に気づいたらしい。彼女は顔を上げ、"どうしたの?"とでも言いたげな表情で俺を見つめてくる。
「九杉、赤宮君がバイト始めるって言ったらどうする?」
「…………(ぱちくり)」
神薙さんの言葉に加茂さんは目を瞬かせた後、弁当を机に置いてペンとボードを手に取る。
『するの?』
「もしもの話よ」
「加茂さんの弁当代、自分で稼ごうかと思って」
「…………(ぎょっ)」
加茂さんは目を見開き、慌てた様子でボードに文字を書き殴る。
『どゆこと
お金足りない?
出すよ』
「ストップ。違うから加茂さん落ち着け」
ボードをこちらに見せながら、鞄からもう一度財布を取り出そうとする加茂さんに待ったをかける。
「今のは俺の言い方が悪かったけど、躊躇なく追加を出そうとするな。お金は大事にしてくれ」
『お弁当代足りて
ないんじゃないの?』
「足りてる足りてる。ただ、俺の気持ちの問題だから」
「…………(こてん)」
加茂さんは小首を傾げた後、ボードにペンを走らせた。
『どゆこと』
「……彼女からお金貰うのって、やっぱり変な気がして。でも、母さんの負担は増やしたくないから、加茂さんの弁当代は俺が自分で稼ごうかと」
「……………………(ぽかん)」
「あれ?」
加茂さんはボードをこちらに向けたまま、思考停止したように口を開けて固まってしまった。
「意味不明だよな。分かるよ加茂さん」
秀人はうんうんと頷きながら加茂さんの反応に理解を示す。まるで俺が素っ頓狂なことを言っているという風に聞こえるのは気のせいか。
「赤宮君、割と変なこと口走ってるからね」
「…………(こくこく)」
気のせいじゃなかった。呆れた様子の神薙さんに続けて、我に返った加茂さんにまで頷かれてしまった。解せぬ。
「逆の立場になって考えなさいよ」
「逆の立場……?」
「恋人に毎日の昼食代を工面させる側の気持ち考えなさいってこと」
「……罪悪感で死ねる」
「でしょ? それに比べたら毎週千円弁当の方が何倍もマシだと思うけど」
「俺もそう思う」
神薙さんの言葉に秀人も同意する。
確かに、罪悪感を味わわせてしまうのは駄目だな。猫探しの時にも恩返しの話で加茂さんに怒られたし、別の方法を考えるとしよう。
「でも、他の方法思いつかないんだよな」
「素直に現状維持しろよ」
「元はといえば、あんたが珍しいなんて言ったからじゃないの」
「……迂闊だったなぁ」
秀人は後悔するように口を零す。本当だよ。秀人が言わなければ俺も気にしなかったよ。今更どうしようもないけど……直近10分前後の記憶飛ばせないだろうか。
――といった感じに頭を悩ませていると、加茂さんがボードをこちらに向けてきた。
『私もお弁当作る』
「……加茂さんが?」
「…………(こくり)」
加茂さんは頷き、ボードにペンを走らせる。
『1日交代とかで
お弁当作ってくれば
お金のやり取りいらない』
それは……そうだな。交代でお互いの弁当を作るなら、お金のやり取りは不要だ。俺が気にしたことも解決する。
……とても魅力的な良案ではあるが、俺は即答できなかった。
『いや?』
加茂さんは不安げな表情で問いかけてくる。
「そんなことない。加茂さんが作ってくれるって言うなら嬉しいし、食べてみたい、けど」
『けど?』
「加茂さん、弁当作ったことは?」
「…………(ふるふる)」
「……そもそも、料理できるか?」
「…………(すーっ)」
詰めるように訊ねると、加茂さんは気まずそうに横に目を逸らす。
「とりあえず、暫くは今のままで」
流石に、料理ができないと宣言する彼女に弁当作りを任せる勇気はなかった。