加茂さんの励まし
「赤宮君?」
「……お、おはよう」
翌朝、いつもより早めに家を出た俺が加茂さんの家に行くと、彼女の家の玄関先に神薙さんが居た。
「おはよう。九杉ならもうすぐ出てくると思うわ」
「ああ、うん……神薙さんって加茂さんといつも登校してるのか?」
「朝練ない日は大体そうよ。九杉から聞いてなかったけど、今日は赤宮君も一緒なのね」
神薙さんは俺の存在に驚いてはいるが、それをあまり気にした様子はない。
「じゃあ、俺は先に行くから」
「ちょっと待ちなさい」
「はい」
俺が回れ右をして学校に向かおうとすれば、神薙さんに引き止められてしまう。
「何で逃げるのよ」
「逃げた訳じゃないけど……」
「そう。で? 何で?」
再度問われる。誤魔化しは全く通用しなかった。
「俺、加茂さんと話したいことあったんだけど、加茂さんに何も言わずに来ちゃったから」
「……それにしたって逃げる必要はなくない?」
「二人が元々約束してるなら邪魔するのも悪いかと思って」
「はぁ」
俺が観念して白状すれば、神薙さんにため息を吐かれてしまう。
「九杉も喜ぶだろうし、折角来たんだから居なさいよ」
「そ、そうか?」
「何ちょっと照れてんの」
神薙さんにジト目を向けられると共に突っ込まれる。
俺の存在に加茂さんが喜んでくれるということで、加茂さんの事をよく知る神薙さんに言われたということもあり、俺は素直に嬉しい気持ちが抑えられなかった。恐らく顔にも出てしまっていると思う。
変になったと思われる顔を両手で元に戻していると、玄関の扉が開いた音が聞こえた。
「あ、おはよう九杉」
『おはよう!
(๑╹▽╹๑ )』
神薙さんの挨拶に対し、加茂さんは既に書いて準備していたらしいボードで返答している。
それから、彼女は俺の存在に気づいたようだ。
「…………(きょとん)」
「……えっと、おはよう」
『おはよう!
(๑╹▽╹๑ )』
加茂さんは驚き固まった後、挨拶が書かれたボードを使い回すように俺に向けてくる。
「急に来てごめん」
「…………(ふるふる)」
「……話したかったことあるけど、また今度にしとく」
「…………(あー)」
加茂さんは俺が何の話をしたかったのか察したようだ。神薙さんを横目で見ながら、口を半開きにして苦笑する。
そんな彼女の反応に、神薙さんも察してしまったらしい。
「私が居たら話しにくい?」
「……ちょっとな」
「なら、私は先に行くから、二人でゆっくり話してなさい」
「それは流石に悪いって。それに、急ぎの話でもないから」
先に約束していたのは神薙さんだ。対する俺は、連絡も入れずに突然来てしまった。
それに、昨日も加茂さんと二人きりにしてもらったのだ。立て続けに加茂さんと一緒に居る時間を彼女から奪ってしまうのは、俺としても気が引けてしまう。
「変な気遣わなくていいわよ。それじゃ」
「え、ちょっ」
しかし、そんな俺の気持ちなんて知ったことかとでも言うように、神薙さんは学校方面へスタスタと歩き去って行ってしまった。
「…………(えーっと)」
加茂さんの方に目を向ければ、困惑した様子の彼女と目が合う。
「……とりあえず、歩きながら話すか」
神薙さんが折角二人きりにしてくれたこの機会は、ありがたく使わせてもらうことにした。
* * * *
「録音、聞いた」
『どうだった?』
昨夜の報告をすれば、加茂さんは俺に感想を求めてくる。
「正直に言う」
「…………」
「超嬉しかった」
「…………(ずるっ)」
加茂さんは前のめりに転びかけたが、なんとか堪えてボードに素早くペンを走らせた。
『そういうのじゃなくて!
変な声だったとかあるでしょ』
「良い声だった」
「…………(えっ)」
「俺は良い声だと思った。それに、加茂さんが頑張って録音したのを想像したら……可愛いなぁと」
「…………(ぼすっ)」
「いてっ」
加茂さんは俺の腕を弱い力で叩いてくる。
『ありがと』
そして、俯きながら文字を書いたボードを俺の方に差し出してきた。
俯く彼女の顔を前から軽く覗けば、頰が仄かに赤らんでいる。どうやら照れているらしい。
「何度でも言うけど、俺は加茂さんの声が好きだから」
「…………」
昨日も伝えた思いをもう一度伝えると、加茂さんのペンを持つ手が動いた。
『昨日、言ってくれたよね』
ボードに書かれた文を読んで、少し考える。
「ああ、昨日も言ったな」
「…………(ふるふる)」
「違う? ……何か言ったっけ」
加茂さんの声が好きという話とは別の話らしい。となると、何の話だろう。考えてみるが、パッと浮かばない。
すると、加茂さんは再びペンを動かして教えてくれた。
『私のために何が
できるんだろうって』
「……忘れてくれ」
加茂さんが覚えていたのは、弱気になった俺が零してしまった言葉だった。
忘れたかったものを思い出してしまった。少し恥ずかしくなって、隣を歩く彼女から顔を背ける。
すぐに制服の袖を引っ張られ、視線を戻させられてしまう。
『大丈夫』
ボードに書かれた文字を見てから加茂さんに目を移せば、彼女は俺を見つめて目を細める。
そして、ボードに視線を戻してペンを動かした。
『赤宮君はもう
私の力になってる』
「俺、何もできてないけど」
「…………(ふるふる)」
加茂さんは首を横に振って俺の言葉を否定すると、再びペンを動かす。
『赤宮君がいるから
頑張れるんだよ』
「もしかして、励ましてくれてる?」
先程から俺をフォローするような言葉ばかり書くので、訊ねてみた。
『もっと頑張るから
待ってて』
加茂さんは俺の言葉に答えず、代わりに返ってきたのはささやかなお願い事だった。
……もっと頑張るからって、加茂さんはもう十分に頑張ってるだろうに。まるで、まだ足りないとか思っていそうな口振りだ。
「いくらでも待つから、あんまり頑張り過ぎるなよ」
「…………(こくっ)」
俺の小言に加茂さんは頷く。
「……ありがとうな」
励ましの礼も、伝えておく。
『いつもありがとう』
彼女もまた、お礼の言葉で返してきた。
いつものあどけない、愛らしい笑みと共に。