加茂さんの昨夜の秘密
学校を出て、日が落ちた夜道を歩く。いつものように腕を組んで。
先週と違うところを挙げれば、今週から俺達は冬服への衣替えをしていること。
先週までは肌が直接触れ合い、彼女の体温を感じることができていた。それが冬服の到来によってなくなったからか。肌寒さを感じ始める季節の移り変わりと共に、寂しさを感じてしまう。
……ちょっと気持ち悪いな、俺。
「…………(ぐい)」
どう思考を振り払うべきか考えていると、組んでいた腕が軽く引っ張られる。
『声どうだった
変じゃなかった?』
見下ろせばボードには既に文字が書かれており、加茂さんは不安げな表情で俺を見上げていた。
俺は教室で、敢えてその話に触れなかった。しかし、やはりというか。加茂さんは気になっていたらしい。
……いや、気になるというより、怖いのか。怖いからこそ、確かめて、彼女自身が求める答えを聞いて、心の底から安心したいのだろう。
「変じゃない」
「…………(ほっ)」
「ちょっと声小さくて聞き取りにくかったけど」
「…………(ぴくっ)」
加茂さんの身震いが腕を伝う。
そんな彼女に向けて、俺は正直な感想を続けて吐き出した。
「加茂さんが頑張って出したのは凄く伝わってきた。良い声だと思った」
お世辞じゃない。
変じゃないと思ったことも。
声が聞き取りにくいと思ったことも。
良い声だと思ったことも。
「加茂さんの声、俺は好きだ」
全て本心だ。
「…………(くすっ)」
加茂さんは笑みを溢し、ペンを動かす。
『ありがとう』
ボードにお礼の言葉が書かれた。気を遣われてると思わせてしまっただろうか。
気になったが、確かめることはできなかった。聞いたところで彼女は困るだろうし、俺も気の利いた他の言葉が出てこなかったから。
「俺、加茂さんのために何ができるんだろう」
情けない思いを漏らしてしまう。
加茂さんは俺の母さんに認めてもらうために、彼女なりに頑張りを積み重ねている。自分と向き合おうとしている。
俺はそんな彼女の支えになりたかったが、結局、彼女の頑張りを見ていることしかできていない。
「…………(がさごそ)」
「……加茂さん?」
加茂さんは自分の鞄を漁り始めた。
急にどうしたんだろう。不思議に思いながらも、彼女を見守る。
「…………(むぅ)」
……暗いからか、なかなか探し物が見つからないようだ。
俺はポケットからスマホを取り出し、彼女の鞄の中を照らす。
「…………(ばっ)、…………(ふふっ)」
光に驚いたのか、彼女は俺を見上げる。そして、可笑しそうに笑った。
「何だよ」
「…………(ぱくぱく)」
どうして笑ったのかを訊ねてみれば、加茂さんは口パクで何かを言った後、鞄の中を再び漁り始める。答える気はないらしい。
暫く待っていると、彼女は鞄からスマホを取り出した。
「探してたのってそれか?」
「…………(こくり)」
加茂さんは頷き、スマホを触り始める。程なくして、俺のスマホの通知が鳴った。
[夜更かしした理由、さっきは誤魔化してごめん。話すね]
「……えっ」
ライナーを開けば、そんな文面が加茂さんから送られてきていた。
夜更かしの理由って、あれだよな。テスト勉強始める前に、加茂さんが恥ずかしいからって言いたがらなかったやつだよな。
……これは、どうするべきなんだろう。俺が聞いていいやつなのか……いや止めよう。止めないと。彼女の夜事情とか正直言って気にはなるけど聞いちゃいけないラインだろ普通に考えて。
「あ、あのさ、加茂さん、夜更かし理由は無理して言わなくてもい――」
[一件の音声データを受信しました]
「――から?」
加茂さんから送られてきたのは夜更かしの理由ではなく、一つの音声データだった。
[↑昨日の夜更かしの理由]
[寝る前に一人で聞いて]
続けて、補足説明のような文が送られてくる。
成る程。この音声が加茂さんの夜更かしの理由だと。そして、加茂さんは俺にこの音声を寝る前に聞いてほしいと。
……何故に寝る前を指定する。本当に何の音声なんだ。今聞いちゃ駄目なのか。
[今は聞いちゃ駄目]
訊ねる前に、加茂さんは釘を刺してきた。
「わ、分かった」
「…………(えへへ)」
俺が返事をすると、加茂さんは照れたような笑みを浮かべる。その反応の意味はよく分からなかった。
* * * *
その夜、寝支度を済ませた俺は音声データを確認することにした。ベッドに腰掛け、スマホを手に取る。
「ふぅ」
ライナーを開き、加茂さんから送られてきた音声データを目の前にして、深呼吸。
……少し、緊張してしまう。この音声の内容は知らない。加茂さんは教えてくれなかった。だけど、彼女は聞くタイミングを指定してきた。
「……よし」
意を決して、再生ボタンに触れる。
〔おやすみ〕
加茂さんの声だった。
今日聞いたくぐもった声とは違う。以前聞いた振り絞ったような声でもない。はっきりと四文字を発している、俺にはあまり耳馴染みのない高めの声。
音声データの中身はこれだけだった。
これが夜更かしの理由。加茂さんはこの録音をするために夜更かしをした。
いや、もしかすると、彼女は夜更かしするつもりはなかったのかもしれない。何しろ、たった一言だ。時間はかからない――何度も、録音し直しさえしなければ。
〔おやすみ〕
再生ボタンに触れると、加茂さんの声がスマホのスピーカーから出力される。
俺はその二秒に満たない録音を、何度も、何度も、繰り返し再生し続けた。