加茂さんのおねだり
公園からの帰りに立ち寄った自販機で勝者の証を奢った。
「…………(ごくごく)、…………(ぷはー)」
運動後ということもあり、相当喉が渇いていたのだろう。買ったばかりの500mlのジュースがもう半分減ってしまっている。
財布、持ってきておいてよかった。
「…………(はい)」
「ん?」
加茂さんがジュースを差し出してきた……ああ、そういうことか。
「俺は自分の買うから」
「…………(むぅ)」
俺がやんわりと拒否すれば、加茂さんはポケットからスマホを取り出していじり始める。
程なくして、俺のポケットに入っていたスマホが鳴った。
[もったいない]
[飲み切れないからこれ飲んで]
ライナーを見ると、加茂さんから二文が送られてきている。
「……間接キスになるけど」
「…………(こくり)」
俺がやんわり拒否した理由を言えば、加茂さんは"分かってる"と言うように頷き、再び俺にジュースを差し出してくる。
真っ直ぐに俺を見つめる彼女の瞳は微かに潤み、頰は仄かに赤らんでいた。
「……ありがとう」
そんな彼女の厚意を、俺はありがたく受け取った。
* * * *
「――さそり」
[理科室]
「綴り」
[理科の教科書]
「……仕切り」
[理科のノート]
「……そのシリーズセコくないか」
[だって、り攻めしてくるから!]
ジュースで喉を潤した後、俺達は歩きながらしりとりをやっていた。
「一文字で攻めるのはしりとりの基本戦術だぞ」
[ずるい]
「ズルくない。ズルいって言うならスマホ使う方がズルだろ。文字打つ時に予測変換に単語出てくるし、俺の勝ち目ないと思うんだけど」
「…………(ぎくっ)」
加茂さんは図星を突かれたかのような反応を見せる。バレないと思っていたのだろうか。
……俺も始めた後に気づいた上でそのまま続行してたから、今更な話なんだけど。
[赤宮君もスマホ使っていいよ]
「却下。永久に終わらないだろ」
[終わるまでやってみない?]
「家に着いたら強制終了な」
「…………(えー)」
「……なあ、加茂さん」
加茂さんがさりげなくテスト勉強から逃れようとしていて、ふと思った。
「ちょっとしりとり中断して、聞いてもいいか」
「…………(きょとん)、…………(こくり)」
加茂さんは不思議そうな顔で俺を見ながら、ゆっくりと頷く。
「勉強しようって言ってる俺が言うのも変な話だけど、加茂さんってどうして勉強頑張るんだ?」
「…………(ぱちくり)」
訊ねると、彼女は目を瞬かせる。それから、すぐにライナーで返事が返ってきた。
[本当に変だね?]
その文からは明らかな困惑が伝わる。
加茂さんに目を向けると、彼女も困惑した様子で小首を傾げていた。
「加茂さんって勉強嫌いだよな」
「…………(こくこく)」
確認を取ると、加茂さんは"当然"と言うように何度も頷く。そして、ライナーで文字を打って送ってきた。
[どうしたの?]
「……嫌いなのに、頑張ってるのは何でかなぁと思って」
加茂さんは勉強を嫌がってはいるものの、なんだかんだでサボったことは一度もない。
勿論、赤点を回避したいからという理由はあるのだろう。でも、それだけの理由ならここまで頑張る必要はなかったりする。
確かに、加茂さんの成績はお世辞にも良いとは言えないが、彼女の成績が伸び悩むのは覚えたことを忘れることが多いから。
彼女は決して物覚えが悪い方ではない。暗記が苦手なだけで、勉強ができない訳ではないのだ。
だからこそ、不思議に思った。
「もう少しサボりたいとか思ったりは」
[思う]
「返信早いなおい」
見間違いじゃなければ、"〜とか〜"の時点で文字打ち始めていたような。そこまで思ってるなら、本当に何で……?
そんな疑問を口に出す前に、彼女からライナーが連投されてきた。
[勉強できるに越したことはないでしょ]
「……まあ、そうだな」
勉強ができれば、大学とか、将来の幅も広がる。やっておいて損なことは殆どないと思う。加茂さん、意外としっかり考えてるんだな。
……と、恋人相手に失礼なことを考えていると、続けてライナーが送られてきた。
[あと、赤宮君が教えるって言ってくれたから]
「俺?」
「…………(こくり)」
加茂さんは頷き、文字を打つ。
[まだ出会ったばかりの時、赤宮君から言ってくれたの覚えてる?]
「えっと、うん。覚えてはいるけど」
あれはまだ、加茂さんを"放っておいたら危ない要注意人物"と認識していた頃。勉強が苦手だと言っていたから、俺が教えようかと聞いたのだ。
断ることもできた筈の加茂さんだが、彼女は迷わず『お願いします』とボードに文字を書いて俺に言った。俺を頼ってくれた。
[嬉しかったんだよ]
[頑張ってみようって思えた]
そこで彼女から送られてくるライナーがぴたりと止まる。
「…………(えへへ)」
スマホから隣へと視線を移せば、彼女は照れ笑いを浮かべていた。
……理由はそれだけ、ということなのだろう。
「じゃあ、もしも今回のテストで200位以内に入れたら何か奢るよ」
「…………(ぱちくり)」
「ご褒美にな。その方がモチベも上がるだろ」
飴と鞭、じゃないけれど。
彼女の頑張る理由を作っていたのは俺だった。それが少し申し訳なくて、正直、嬉しくもあって。だから、これぐらいのことはしてあげたいと思った。
[ご褒美、物じゃなくてもいい?]
すると、加茂さんはそんなことを訊ねてくる。
「俺にできることなら何でもいいけど」
[何でもいいの?]
「俺にできることで、な?」
[本当に?]
「……お、おう」
"何でもいい"は失言だったかもしれない。一体、何を強請られるのか。二回も行われた確認が余計に怖く感じて、身構えてしまう。
加茂さんは文字を打ち始め、俺は彼女のライナーを大人しく待つ。隣を見れば何を打っているのか覗けてしまうけれど、それはしないでおく。
暫く待つと、ライナーが送られてきた。
[またキスして]
え。
「口に?」
書かれていたご褒美の内容に驚いて、俺はつい、そんなことを口から溢してしまう。
「…………(えっ)」
今度は加茂さんが驚き、固まってしまう。
――それでも彼女はすぐに我に返り、慌てた様子でスマホに文字を打ち始める。
[口はまだこころのじゅんびできてなあ]
[心の準備でできてなあです]
「ぷふっ」
「…………(むっ)」
打ち直してなお正確に打てていないその文を見て、吹き出してしまった。
「ごめん」
「…………(むー)」
「前と同じ場所にしとく」
「…………(むぅぅぅ)、…………(こくり)」
加茂さんはフグのように頬を膨らませながら、頷く。
怒っていても返事はしっかり返してくれる彼女がちょっと面白くて、可愛くて。俺は彼女を衝動的に抱き締めた。
――ぷすぅ。
「ぶふっ」
膨らんでいた彼女の頰が潰れて空気が抜けた音に、俺はまた吹き出し笑いをしてしまった。
この後、加茂さんは暫くご機嫌斜めだったとか。





