秀人の追及
翌日の加茂さんは上機嫌だった。俺と顔を合わせる度にデレデレと表情を緩ませるぐらいには。
そんな彼女を見て、俺はほっとしていた。昨日の不安に満ちた表情は見る影もなくなっていたから。
――ただ、その代わり、別の問題に頭を悩ませていたりはするが。
「顔赤くね?」
体育の授業での外周中、隣を走っていた秀人が話しかけてくる。
秀人の指摘は、俺が頭を悩ませていることでもあった。というのも、俺は今になって、昨日のことを思い出して羞恥心に苛まれていたのだ。
しかし、秀人に本当のことは言えない。
単純に、言いたくない。言ったら揶揄われるのが目に見えているから。
「そりゃ、走ってるからな」
「違えよ、朝からの話だよ。熱でもあんの?」
「あったら体育休んでる」
「まあ、光太ならそうだよなぁ」
どうやら普通に俺の体調の心配してくれているらしい。
誤魔化している理由がしょうもない理由なだけに、俺はなんだか申し訳ない気持ちになってしまう。
「おわっ」
不意に、背中を誰かに小突かれる。
「あ、加茂さん」
「え?」
直後、俺の隣に飛び出してきたのは加茂さんだった。
「…………(にこっ)」
彼女は俺達に向けて笑みを浮かべながら、並走を始める。
この外周、男子と女子でスタート場所が違ったよな。男子は正門で女子は裏門スタートだから、半周ぐらい離れてた筈だよな。
「……飛ばしすぎだろ。体力大丈夫かよ」
「…………(ダブルぐー!)」
訊ねてみると、加茂さんは両手で親指を立ててくる。
彼女の表情にもまだまだ余裕が見えることから、本当に大丈夫なのだろう。凄いな。
「そういや、触れるべきか悩んでたんだけどよ」
改めて加茂さんの身体能力に感心していると、秀人が口を開く。
「ん? 何が?」
「あ、光太じゃなくて加茂さんにな」
「…………(わたし?)」
「良いことでもあった?」
そういえば、今日、加茂さんは上機嫌を一切隠してなかったもんな。気になるのも当たり前か。
「…………(ちらっ)、…………(にへらぁ)」
加茂さんは俺に目を向けた後、両頬を押さえて緩んだ笑みを浮かべた。
「っ……」
誤魔化していた恥ずかしさが再び込み上げてきた俺は、彼女から目を逸らすように前を向く。
「お前ら、何かあったの?」
「何でもない」
「…………(えへへー)」
「隣の説得力がゼロなんだよなぁ」
うん、だろうな。見なくても分かる。
加茂さん、デレデレするなとは言わないけど、もう少し抑えてほしい。余計に恥ずかしいから。
「それで光太、どうしたよ」
「……加茂さんに聞くんじゃなかったのかよ」
「ボードないから会話できないこと思い出した」
まあ、確かに。そもそも走りながら話してる時点で、ボードを持っていたとしても難しいと思う。
「んで?」
「うん?」
「だから何があったって」
「何にもない」
「本当かぁ?」
さて、どうしよう。明らかに信じてもらえていないこの状況から、どうすればこの話を有耶無耶にできるだろう。
……今、適当に誤魔化せたとしても、後でまたしつこく聞かれそうなんだよな。
「んー……」
「それ何の唸り?」
秀人の言葉を無視して、考える。
「……よし」
思いついた。
「勝ったら教えてやるっ」
「は?」
俺は勝手にそう宣言して、走るペースを上げる。
「あ、そういうことかよっ! ずっりいぞ!」
後ろから聞こえた声を無視して、俺は走ることに集中した――。
――負けた。
「げほっ、ごほっ……くそっ……」
地面に足を投げ出し、肩で息をしながら天を仰ぐ。
「体力落ちてんなぁ」
「うっせぇ……」
対して、秀人は俺より少し早くゴールしていたためか、既に息が整っている。
冷静に考えれば分かることだった。帰宅部が現役運動部に勝てる訳がない。どうして挑んでしまったのか。走ってたから、アドレナリン的な何かで思考が麻痺してたのかもしれない。
「…………(大丈夫?)」
加茂さんが心配するように上から顔を覗き込ませてくる。
……それにしても、加茂さんにまで負けるとは思わなかった。フライングまでしたのに。
しかも、俺の見間違いじゃなければ、加茂さん、秀人と並走していたような。
「にしても、加茂さんマジで速いな。最後まで抜かせなかったし」
「…………(ふふー)」
秀人が感心するような声をあげると、加茂さんは誇らしげな笑みを浮かべる。
見間違いじゃなかった上に、秀人の前を走り続けていたらしい。加茂さん、恐るべし。
「それじゃ、約束通りに教えてもらうか」
「ん?」
「ん? じゃねえよ」
これ以上の誤魔化しは難しいか……いや、まだだ。まだ最後の手段が残っている。
「加茂さん、どうする?」
最後の手段、それは加茂さんに許可を得ること。
秀人の遠慮がなくなるのは俺に対してだけだ。つまり、ここで加茂さんが言いたくない、ノーと言えば、秀人は絶対に諦めてくれる。そう踏んでいる。
――まあ、加茂さんがOKサインを出したら意味ないんだけど。
「…………(ぐっ!)」
「あれ?」
俺の最後の手段は呆気ない破綻に終わった。





