日向の思惑
赤宮君にキスをされた。
ベッドに仰向けで寝転がりながら、自分の頰に触れる。
初めての感触ははっきりと残っている。忘れられなくて、顔がまだ熱い。お風呂でのぼせて、体が火照ってしまったような感覚に近い。
「ずるい」
誰も居ない部屋の中で独り言ちる。
いつかは、なんて思っていた。その行為への憧れもあった。
でも、前に私が提案した時は"初めては大事にしたい"って言ってたじゃん。だから、まだまだ先の話だと思ってたのに。
「はぁ」
――顔の緩みが、抑えられない。
せめて一言欲しかった……そんな不満がどうでもよくなる程度には、今の私は幸福感に包まれていた。
「ふふー」
だらしない笑みが溢れる。
赤宮君が私のためにしてくれた。私の不安を上書きしてくれた。それが嬉しかった。
まあ、明日から赤宮君の顔まともに見れるかなっていう別の不安が生まれたけれど。暫くは、顔を見る度に今日のことを思い出しちゃいそう。
……あと、寂しいこともある。それは、詩音ちゃんとあまり会えなくなること。
詩音ちゃんの気持ちはもっともだから、私はそれを受け入れるしかない。私が詩音ちゃんの立場だったら……きっと、何も言わずに逃げ出してる。それだけ辛いことだってことは分かるから、詩音ちゃんは凄いなぁって思う。
「……うー」
複雑な気持ちになってしまった私は、唸りながら枕に顔を埋めた。
幸せと寂しさが私の心の中で同居してるせいなのか、情緒不安定になってる気がする。どうしよう、赤宮君と話したら治るかな。電話かけようかな。迷惑かな。
考えていると、ライナーの通知が鳴った。
[テスト終わったらまた遊びに行きませんか]
「え――わぶっ」
仰向きに戻ってスマホを見れば、そのライナーは詩音ちゃんからだった。
私は驚いて、スマホを鼻に落とした。
「〜〜っ」
鼻先の痛みに涙が出そうになりながらも、ライナーの返信を送る。
[行きたい!]
いいの?
……あ、間違えた。逆だ。
慌てて送信取り消しをしようとしたけれど、すぐに既読がついてしまう。どうしよう、間に合わなかった。今からでも"いいの?"って送るべきかな。
迷っていると、ピコンと再び通知が鳴る。
[じゃあ、神薙先輩にも伝えておいてください]
鈴香ちゃん?
……思い出した。前は鈴香ちゃんだけ予定合わなくて、また別の日に行こうって言ってたね。詩音ちゃん、覚えててくれてたんだ。
私はぽかぽかした気持ちになりながら、"OK!"という犬のスタンプを送った。
……そうだ、今日も忘れないうちにあれやっておかないと。
▼ ▼ ▼ ▼
日向からの着信が入ったのは、寝る前に教科書に目を通している頃だった。
『もしもし先輩? 今暇ですか?』
「勉強してるから暇ではない」
『え、先輩学校でも勉強してるのに家でもやってるんですか』
「……まあ、うん」
明日の授業範囲見てるだけで大した勉強はしてなかったりはするが、それは言わないでおく。
「それで、どうした?」
『あ、その、中間テストが終わったら遊びに行きませんか、なーんて』
「え?」
日向からの要件というのは、遊びの誘いだった。
『勿論、加茂先輩と神薙先輩も含めた四人でですよ? 加茂先輩からはさっき、秒速でOK貰いました』
「ああ、うん。それなら俺もいいけど……日向はいいのか?」
『たまに遊びに行くぐらいなら、私としては全然OKなので』
「そういうもんか」
『そういうもんです』
俺達と一緒だと居た堪れなくなると言っていたから少し心配だったが、それは杞憂に終わった。
まあ、確かに、嫌なら日向から誘うなんてことはしてこないか。
「どこ行きたいとかあるのか?」
『まだ何も。逆に赤宮先輩は希望とかないですか?』
「特にない」
『即答しないでくださいよ』
そう言われても、遊びに行く場所なんてパッと思い浮かばない。
でも、そうだな。加茂さんとデートをするとして、毎回加茂さんに行きたい場所を聞いて彼女に考えさせてしまうのもよろしくない気がする。
「俺も考えてみる」
『お願いします。……そういえば、私が帰ってから加茂先輩どうでした?』
日向は思い出したように今日のことを訊ねてくる。
折角、日向からこうして電話をかけて寄越してくれたんだ。この際、はっきり言っておこう。
「加茂さんにあまり変なこと言うなよ」
『変なことを言ったつもりはないですけど』
「俺を取るとか言っただろ」
『仮にも恋敵だった相手を不用意に近づけさせる加茂先輩が変なんです。因みに聞きますけど、あの後どんな感じでした?』
「いつも以上に引っ付いてきた」
『……それだけですか?』
「それだけって」
『行動が単純な加茂先輩なら、焦ってキスを迫ったり……なんて期待もしてたんですけど』
「…………」
言えない。俺に迫るどころか逆に不意打ちで俺がやりましたなんて、口が裂けても日向には言えない。
というか、日向は何を期待してるんだ。そんな突っ込みを入れようとすると、彼女は気になる言葉を口にした。
『でも、加茂先輩もこれでちょっとは危機感持ってくれたみたいで良かったです』
「……まさかそれ狙って言ったのか?」
『まあ、半分は。加茂先輩が私に気を許してくれてるのは嬉しいんですけどね』
そうだったのか……ん? 半分は?
『私としては、加茂先輩には独占欲をもっと表に出してほしいんですよ』
「どくせんよく」
『はい。じゃないと、私が寝取っても怒られなさそうだなとか考えちゃって、先輩のこと諦めるに諦めきれないといいますか』
「そこは諦めろよ」
『押せばワンチャン……』
「ねえよ。ノーチャンだよ」
言いながら、心に決めた。
俺も日向に気を許しすぎないよう気をつけよう。