加茂さんが喋らない理由
『男の子の部屋に
入ったの初めて』
加茂さんを部屋に入れると、彼女はそんなことをボードに書いてこちらに向けてきた。
「そうなんだ」
「…………(こくり)」
「……初めて入った感想は?」
一応、聞いてみる。
『すごいきれい』
「……ありがとう」
褒め言葉として素直に受け取っておく。
それから、立ちっぱなしで話し続けるのもどうかと思ったので、加茂さんに言った。
「その椅子使っていいから」
言いながら俺が指差したのは、いつも勉強の時に使っている椅子。
俺の部屋に椅子は一つしかない。普段、家に人を呼ぶこと自体あまりないため、座布団のような床に敷くものも置いていない。だから、加茂さんには椅子に座ってもらおうと思った。
しかし、俺がベッドの方に腰掛けると、彼女は椅子ではなく俺の隣に腰掛けてきた。
「えっと……?」
どうして椅子に座らないのかと思えば、加茂さんはボードに文字を書いてこちらに向けてくる。
『こっちがいい』
加茂さんの顔は赤らみ、伏し目がちになっていた。
"離れたくない"という彼女の気持ちが伝わってくる。
そんな彼女が愛らしくて、少しドキッとして。彼女の熱が伝播するように、俺の顔にも熱が集まってくる。
加茂さんはこちらに体を預けるように、身を寄せてきた。
「……加茂さん」
このままの時間をもう少し過ごしていたい。その気持ちを抑えて、俺は彼女に訊ねる。
「踏み込んだ話、聞いてもいいか」
「…………(ぴくっ)」
一瞬、体が揺れる。多分、驚いたのだろう。
そして、感じていた重みがなくなる。目を向けると、彼女の瞳は真っ直ぐに俺を向いている。
「…………(こくり)」
暫くして、彼女は小さく頷いた。
俺は軽く深呼吸をして、話を切り出した。
「加茂さんが喋らない理由を聞かせてほしい」
それは今まで俺が避け続けていた話題。加茂さんが自分から話すまで待つと決めていたもの。それが神薙さんとの約束でもあったし、彼女を傷付けるのが怖かったから避けていたというのもある。
でも、前へ踏み出そうとしている彼女を支えるためには、俺も知っておかなければならないと思ったから。
「話したくなかったら、いいから」
勿論、無理強いはできない。だから、俺はそう言葉を付け足した。
『大丈夫』
けれど、彼女はボードでそう言った。
「……本当に?」
「…………ぅん……」
「――!?」
ギリギリ聞き取れるぐらいの、か細い声。
それでも、普通に声で返事が返ってきたことが俺にとっては衝撃的過ぎて、思わず固まってしまう。どう反応するべきかも分からず、頭の中が真っ白になる。
『変だった?』
「うぇ?」
次に返ってきたのはいつもの文字による言葉。
けれど、俺はプチパニックを起こしていたこともあって、その質問の意味もよく理解できないまま変な声を出してしまった。
「あ、えっと、その、ご、ごめん。何が変なのか、全然分からん」
俺は驚いて、しどろもどろになりながらも正直な気持ちを伝える。
すると、加茂さんは安堵するような表情を見せた後、ボードに文字を書いてこちらに向けてきた。
『歌うのが好きだったんだ』
「……そうなんだ」
話の方向性も、先程の質問との関連性も見えない。それでも、俺は相槌だけに留めて、彼女の言葉を待つ。
『合唱祭って分かる?』
「ああ、うん」
今度は合唱祭の話に飛んだ。
確か、全校生徒の前で一クラスずつ合唱をしていく行事だったよな。中学……小学生の時にもあった。懐かしい。
『合唱祭も好きだった』
彼女は悲しげな笑みを浮かべながら、手を動かす。
『中学生になって
初めての合唱祭の時も』
『張り切って練習してた
でも、男の子はあんまり
練習に協力的じゃなくて』
『それでもお願いしたんだ
一緒に頑張ろうって』
『そしたらしつこい
変な声のくせにって
言われた』
『そんなこと言われたの
初めてだった』
『気になって
友達に聞いてみたの
私の声、変?って』
『正直に言ってくれた
少し変わってるって』
『私の声って
アニメ声なんだって』
『今まで皆にずっと
そう思われてた
なんて知らなかった』
『それが分かってから
会話する人 皆に
変な声って思われてる気がして』
『そんなことないって
気にしないようにしても
気になっちゃって』
『少し疲れちゃって
声出すのも怖くなった』
『それだけ』
最後に、四文字でそう締め括った。
『どう思った?』
彼女は悲しげな笑みを浮かべたまま、今の話の感想を求めてくる。
俺は正直に思ったことを彼女に言った。
「どうも思わない」
「…………(えっ)」
理由を聞いて、驚きはしなかった。
ただ、納得した。そういう理由だったのか、と。
『たったそれだけで
とか思わないの?』
「……別に思わないけど」
ボードに書かれた問いかけに答えると、彼女は困惑したような表情になる。
"弱い自分が悪い"――そんな心の声が透けて見え、彼女に伝えるべき言葉が口から自然と溢れ出た。
「だって、加茂さんにとってはそうじゃなかったんだろ?」
「……っ…………」
彼女の言葉の通り、それは喋らないという選択をするまでもない小さな理由なのかもしれない。
それでも、彼女の心はたったそれだけで済まなかった。だから、喋らなくなった。
「話してくれて、ありがとう」
彼女の肩を掴んで引き寄せる。
すると、彼女は静かに泣き出した。肩を震わせて――以前と変わらず、そこに声はなかった。





