加茂さんの下の名前
「…………(もぐもぐ)」
「美味いか?」
「…………(こくこく)」
「ならよかった」
昼休み。加茂さんに弁当の出来を確認すれば、彼女は満足そうに目を細めながら頷く。
それが本心からの反応というのは一目で分かるので、俺は安堵の息を吐いた。
そんな俺達のやり取りを横で見ていた神薙さんが呟く。
「やっぱり、私達邪魔よね?」
「俺も同じこと言ったんだけどなー」
「…………(ふるふる)」
「全然邪魔じゃないむしろ居てくれ頼むから」
「どういうことよ……」
加茂さんが首を横に振って俺も引き止めると、神薙さんは困惑したような言葉を返してくる。
――今日の昼休みはいきなり加茂さんと二人きりで食べるということにはならず、神薙さんと秀人を加えた四人で食べていたのだった。
「相変わらず加茂さんって美味そうに食べるよな」
「…………(もぐもぐ?)」
「実際、赤宮君のお弁当って美味しいものね」
咀嚼中の加茂さんに代わって神薙さんが答えると、秀人は驚いた様子で訊ねる。
「鈴香も食ったことあるんだ」
「赤宮君が九杉に初めてお弁当作ってきた時に一口貰ったのよ」
「そういうことか」
「毎朝自分で作ってるんでしょ? 素直に尊敬してるわ」
「……別にそこまで言われる程のことじゃないから」
「光太って本当に無駄な謙虚多いよな」
神薙さんの賞賛にこそばゆい気持ちになって思わず口を出すと、秀人に呆れられてしまった。
『赤宮君のお弁当
今日もおいしいよ』
「……ありがとう」
「…………(にこっ)」
そして、加茂さんからお弁当の感想を言われた。
何故このタイミングで?という疑問はあるが、今日一番の可愛らしい笑顔が見れたのでよしとしよう。
「加茂さんってさ、光太が作る弁当で一番好きなおかずとかあんの?」
「…………(びしっ)」
秀人の質問に、加茂さんはそのおかずを箸で掴んで持ち上げた。
「玉子焼きかー」
「加茂さんは甘いのが好きなんだよな」
「…………(こくこく)」
加茂さんは頷き、その掴んだ玉子焼きを口に放り込むと、片手を頬に当てて表情を緩ませる。
そんな彼女の反応はとても作り手冥利に尽きるもので、俺も自然と表情が緩む。
すると、神薙さんは「そういえば」と何かを思い出したかのように口を開いた。
「二人ってまだ名字呼びよね。下の名前で呼び合ったりはしないの?」
言われてみれば確かに。そう思って、加茂さんを見る。
彼女は玉子焼きを飲み込んでから俺の方を向いてきて、そこで目が合った。
……恋人という関係になったから、そうするのが義務という訳ではないだろう。
でも、これを機にお互いそう呼び合うのも悪くないと思う。というか、呼び合ってみたい。
――早速、俺から呼んでみることにした。
「九杉」
「…………(へっ)」
俺が呼ぶと、加茂さんは驚いた表情のまま固まる。
そして、彼女の顔は茹で蛸のように赤く染まると、恥じらいを見せるその顔を俯かせた。
……そんな彼女が、少し愛らしく見えてしまって。
「九杉?」
「…………(!?)」
もっと反応が見たい。そんな邪な欲求に逆らえず、俺はもう一度名前を呼んでしまった。
「…………(うー)」
加茂さんはぷるぷると肩を震わせながら、上目遣いで俺を睨んでくる。
「……ふっ」
「…………(むっ)」
そんな彼女を見ていたら、つい笑みを溢してしまった。文句ありげなその顔ですら可愛いと思えてしまって、堪えられなかったのだ。
すると、加茂さんはボードに文字を書き始めた――と思いきや、すぐに動かなくなる。
どうしたのだろうと、俺は横からボードを覗き込んだ。
「…………(ばっ)」
「おわっ」
素早い動きで、彼女はボードに書いたその文字を両手で隠してしまう。
でも、ギリギリ『光』という一文字は見ることができて、恐らく俺の名前を書こうとしたのは分かった。
「……そんなに恥ずかしいか?」
「…………(うー)」
疑問を漏らすと、加茂さんは何も言わずに体を縮こまらせる。
沈黙は肯定……加茂さんの場合は常に沈黙しているが、これは肯定と受け取っていいだろう。
彼女に下の名前で呼ばれたことはなかったので、期待する気持ちはあった。
でも、本人がそこまで恥ずかしいのなら今は諦めよう。
「じゃあ、俺も暫くは今までの呼び方にしとく」
『ごめんね』
「別にいいよ。いつまでも名字呼びって訳にもいかないだろうけど、急ぐ話じゃないし」
いつかは名字も同じになる。つまり、いつかは名前呼びにせざるを得なくなる。
だから、その辺りは加茂さんのペースに合わせてゆっくり前進すればいい。そう思った。
「…………(ぷしゅー)」
加茂さんは机に突っ伏し、自分の顔を腕に埋めた。
「え、加茂さん?」
何故そんな反応をされるのか分からない俺は、思わず困惑の声を漏らしてしまう。そして、軽く混乱したまま秀人と神薙さんを見る。
すると、秀人は心底呆れた表情で、神薙さんは引き攣った笑みを浮かべて俺を見ていた。
「赤宮君、自分が何言ったか自覚ないの……?」
「……?」
神薙さんに言われて、自分の言った言葉を思い返してみる。しかし、特に変な点は思い当たらない。
すると、理解ができない俺に痺れを切らした秀人が言った。
「結婚宣言してることに気づけ」
「…………ぁぁ……」
ようやく全てを理解した俺は、加茂さんと同じように机に突っ伏したのだった。





