加茂さんと月
俺の宣言に対して、加茂さんからは何も返ってこなかった。
そのまま彼女は俺から手を離して、椅子に座り直して、俯いていた。片手を紙に鉛筆を向けてはいたが、その手はそこで止まったまま。
俺には、彼女が返答の言葉に迷っているように見えた。
だから、俺は彼女の返答を待つ間、床に散らばっていた本を拾って、部屋の隅に寄せていた。
何分かかるか分からない返答を待つ間、何もしないで座っているのも落ち着かなかったから。
「…………(とんとん)」
暫く経って、加茂さんは机の上の用紙を指で叩く。
俺は彼女の指示通り、そこに書かれた文に目を向けた。
『それなら私は何を返せる?』
書かれていたのは、俺に問いかけるような文。
その問いかけに対する答えは、自分でも驚く程スッと出てきた。
「笑ってろ」
「…………(きょとん)」
「迷惑かけたくなかったって思うなら、俺が"迷惑かけられて良かった"って思えるようにさせてくれ」
そもそも俺は"迷惑かけられた"なんて思っていない。
でも、そう言ったところで、加茂さんが納得してくれないのは目に見えている。
だから、俺が出したのは一つの代案。
「加茂さんが笑ってくれれば、きっと俺もそう思えるから」
思い起こされるのは、踏切で子猫を助けた時に見せた加茂さんの眩しい笑顔。
俺はあの時の彼女の行動が正しかったとは思わない。今も、多分これからも。次、同じことをしようとすれば絶対に止める。
けれど、あの行動全てが間違っていると否定する気も、今はない。
彼女が迷いなく動けたから子猫は助かった。最初から諦めていた俺には絶対に助けられなかった。その事実が変わることはないから。
「…………(ぎゅっ)」
加茂さんは顔を俯かせて、俺のワイシャツの袖を掴んでくる。
納得いかない――そんな彼女の気持ちが伝わってきた。
「納得してくれ。ほら、俺に迷惑かけたくないんだろ?」
言いながら、俺は猫を床に降ろす。
それから、彼女の頭に手を乗せてゆっくりと動かした。髪がくしゃくしゃにならない程度に、なるべく優しく。
……いつものことだけど、加茂さんの髪って本当に触り心地良いよな。癖になる。サラサラで気持ちいい。
彼女の髪はその辺の犬猫に負けない毛並み……髪質だと思う。普段の彼女からはあまり想像つかないが、毎日しっかり手入れしていたりするのだろうか。
「…………(むー)」
「……ごめん」
加茂さんのムッとした視線に気づき、俺は彼女の頭から手を離す。
すると、彼女はまた机の上の紙に文字を書き始める。
それから、彼女はその紙と共に不満を示すジト目を俺に向けてきた。
『頭なでればごまかせるとか思ってない?』
「そこ?」
加茂さんの不満は、俺の予想とは違っていた。
てっきり勝手に撫でたことに対する文句でも言われるかと思っていたが、どうやら別の誤解を生んでしまっていたらしい。
「いや、丁度いい位置に頭があったから撫でただけ……なんだけど」
「…………(え?)」
誤解に対する弁解をすると、加茂さんは少し驚いたように口を半開きにする。
そんな彼女に、俺は続けて確認を取ってみた。
「撫でること自体はいいのか?」
「…………(ぴたっ)」
俺の言葉に、加茂さんは固まる。
「…………(ぼっ)」
――数秒後、彼女の頰が朱に染まった。
「えっと、ごめん。今の忘れて――」
「…………(こくり)」
……頷かれてしまった。気恥ずかしそうに、目を逸らしながら。
了承されたらされたで、俺はどう返せばいいんだろう。とりあえず、茶化してみればいいのか。
「本当に気にせず撫でるぞ」
「…………(びくっ)」
俺の言葉に反応するように、加茂さんの肩が震える。
うん、駄目だな。脅かしてどうする。自分の冗談の才能のなさを改めて実感した。
……とりあえず、加茂さんにジョークであることを伝えよう。
「冗談だから」
「…………(えっ)」
「……?」
驚いた表情を見せる加茂さん。彼女の右手に目を向ければ、鉛筆が紙に向かっている。
俺はそこに書かれていた文字を読んでしまった。
『いいよ』
「「…………」」
俺達はお互いに目を合わせた後、お互いに無言で目を逸らした。
気まずい。大変気まずい。ってか、いいのかよ。何でだよ。了承までが短すぎる。もう少し躊躇ってくれ。
「…………(さっ)」
「わっ」
予想外の答えに動揺していた俺の前に、一枚の紙が突き出される。
『きれいなお月様』
そこに書かれていたのは、今していた話とは全く関係がない話だった。
「…………(ぶんぶんっ)」
加茂さんに視線を戻すと、先程までの気まずそうな表情から一転して、目を輝かせながら窓の外を忙しなく指差している。
……本当に加茂さんはマイペースというか、何というか。動揺した俺が馬鹿みたいだ。
俺はため息が漏れそうになりながら、窓の外に目を向けてみる。
「……本当だな」
雲一つない夜空の中に見えたのは、優しい光で夜の住宅街を照らしている半月。
確かに綺麗だ……あ、そういえば。
「もうすぐ十五夜か」
『今年は10月1日』
「へー……何で知ってるんだ?」
十五夜の日付は毎年違う。スマホで調べてしまえば出てくるだろうが、十五夜は特にビッグイベントという訳でもない。
だから、彼女がそれを知っていたのは少し意外だった。
『お月見やるから』
「お月見?」
『私の家は毎年やってる
鈴香ちゃんも来るよ』
成る程。世間一般では大したイベントでなくとも、加茂さんにとっては恒例のイベントだったようだ。
彼女が日付を知っていた理由に納得すると、加茂さんの鉛筆が再び動き始める。
『赤宮君も来る?』
次に書かれたのは、お誘いの言葉だった。
「いいのか?」
『多い方がお母さんも喜ぶ
石村君も呼んだりして
詩音ちゃんも呼んじゃお』
「……ああ、そうだな」
ニコニコ楽しそうに提案してくる加茂さんに、俺の頰も釣られて自然と緩んでしまう。
まだ予定でしかない。それに、10月1日まであと一週間もないし、誘えていない二人の予定が合うかすら分からない。
でも、できたら楽しそうだ。心から、そう思う。
――その瞬間のことだった。
「こんな所で何してんだ不良生徒共」
「えっ」
「…………(ばっ)」
耳に入ってきた声に驚いて、俺達は勢いよく扉の方へ振り向く。
そこに居たのは、俺達が学校で毎日顔を合わせている存在。
「お前ら、明日学校で反省文な」
俺達の担任である佐久間先生、その人だった。





