加茂さんと自覚
「そういうことだから。時間はかかるかもしれないけど、大人しく待ってれば助けは来ると思う」
このGPSアプリは、俺がスマホを買ったばかりの頃に心配性な母さんが勝手に入れたアプリだ。別に現在地を知られる程度ならと思って、俺も容認していた。
でも、まさかこれが役に立つ日が来るとは……。
「……うん?」
足元に目を向ければ、猫が足に擦り寄ってきていた。
急に人懐っこい仕草を見せてきたな。今はマタタビも持ってないのに。
「よいしょっと」
抱き上げてみると、その猫は抵抗もせずに俺の腕に収まる。
挙げ句、目を細めて喉をゴロゴロと鳴らし始めた。
「呑気なやつだな……」
俺達から逃げた猫と同じ猫とは思えない懐きようだ。
軽く体に触れると、ゴワゴワした毛の感触。ここから出たら、飼い主に返す前に体を洗ってやろうか……あ、動物病院にも連れて行くべきか?
――そんなことを考えていると、リラックス状態の猫の横から紙を差し出される。
『さっき痛くなかった?』
「さっき?」
『本 落ちてきた
棚 支えてくれた』
その文で、"さっき"がいつを示しているのか理解する。間一髪、加茂さんを庇った時のことだ。
棚は倒れかけだったからそこまで重くはなかった。けれど、やけに重い本が体にいくつか降ってきて、外れた棚板はおでこにぶつかって。正直言えば痛かった。
「平気」
でも、痛いと言っても我慢できる程度の痛みだ。
馬鹿正直に報告して、彼女に無駄な心配をかけたくなかったので、俺はそう答えた。
「…………(つん)」
「痛っ」
直後、加茂さんにおでこを指で突かれる。
未だヒリヒリした感覚があるおでこを不意に突かれたため、思わず声を漏らしてしまった。
「っ……くない」
「…………(じとー)」
「……そこそこ痛かったけど、大したことないから」
咄嗟の誤魔化しも無意味に終わり、結局、俺は目を逸らしつつ白状してしまう。
「…………(ぐいぐい)」
「悪かったな……え?」
『ウソつき』
服を引っ張られ、俺は軽く謝りながら加茂さんに視線を戻して、混乱した。
それは『ウソつき』という文字が書かれた紙に対してじゃない。俺が嘘をついたのは事実だし、弁解のしようもないのは分かってる。
――混乱してしまったのは、目の前の彼女が静かに涙を流していたから。
「加茂さん……?」
どうしてそこで泣く? 分からない。今、彼女が何を思って涙を流しているのか、全く分からない。
声をかけるべきなのかすら迷っていると、加茂さんはまた、紙に書き始める。
『だから嫌だった』
そして、最初に書かれた文は、その一言だった。
続けて、彼女は隣に書き連ねる。
『迷惑かけたくなかったのに』
『また』
そこで加茂さんの手は止まった。
顔を上げると、彼女と目が合う。
まだ、彼女は泣いている。
「迷惑だなんて思ってたら、最初から手伝ったりしねえよ」
気づけば、俺はそう口に出していた。
「…………(ふるふる)」
しかし、加茂さんは首を横に振る。
それから、鉛筆を動かす。
『私 赤宮君にもらってばかり』
「……そんなに何かあげたっけ。文化祭の時のミサンガ以外記憶にないんだけど」
『いっぱいもらってる』
加茂さんはその一文を書いた後、続けてもう一文書いた。
『いっぱい助けてくれた』
――その文を見て何の話かを察せない程、俺は鈍感ではない。
そして、ようやく歯車が噛み合った。
俺が手伝うと言った時、加茂さんがそれを拒んでいた理由。
先刻、加茂さんの泣き出しそうな表情の中に怒りが混ざっていた理由。
全部、全部、同じ理由だったのだ。
『恩返ししたいのに助けられてばかり』
「してほしいなんて頼んでないだろ」
『やだ』
「っ……」
"やだ"という二文字を見て、俺は言葉を詰まらせる。
『返したい』
その気持ちは、痛い程分かるから。
『返したいのにどんどん増えてく』
彼女が書く文に、言葉に、文字に、俺は何も言えなかった。
貰った恩は返したい。
誰だって……は言い過ぎかもしれない。が、少なくとも俺はそう思う。
もし俺が恩を受けたとして、その恩を返す機会もなかったら。それどころか、逆に増えていってしまったら、加茂さんと全く同じ気持ちになっていた。そんな確信がある。
「加茂さんが俺に迷惑をかけたくなかったのは分かった」
俺はたった今、彼女が隠し、思い悩んできたものを理解した。
「でも」
加茂さん、それは無理だ。
「俺はこれからも関わり続ける。加茂さんが困ってるなら、助けになりたいから」
「…………(ぐいっ)」
加茂さんが、泣きながら俺の襟元を掴む。まるで"どうして"と言わんばかりに。
……まあ、実際、言っているのだろう。心の中で。
それでも、俺の気持ちは変わらない。
「いくらやめてって言われても、俺はやめられないと思う」
どうしても、俺は加茂さんのことが放っておけない。
彼女が猫を助けた、電車に轢かれかけたあの日から。
最近、気づいたことがある。
重なるんだ。
あの日、最期までヒーローとして生きた父さんと。
……俺は、あの人の歩みを止められなかった。
どんなに手を伸ばしても、叫んでも、届かなかった。
その結果、母さんを不幸にした。
もしも、加茂さんが父さんと同じような目に遭ったら?
誰が悲しむ?
誰が不幸になる?
加茂さん母、神薙さん、クラスメイト……加茂さんだし、他にも大勢居るだろう。
――違う。
誰かが悲しむからとか、そんな理由じゃない。
俺だ。
俺なんだ。
喜怒哀楽。
彼女はいつも、言葉の代わりに感情豊かな表情を見せてくれる。
その中でも俺が好きなのは、やっぱり笑ってる時の顔で。
本当に嬉しそうに、楽しそうに、無邪気な笑みを見せてくれる彼女。
見てると、こっちも嬉しくなる。
安心する。
温かい気持ちにしてくれる。
そんな彼女の笑顔が二度と見れなくなると思うと、堪らなく怖いんだ。
もう、あんな思い、したくないんだ。
これ以上、大事な人を失うのはごめんなんだよ。
……ああ、そっか。やっぱり、これ、そうなんだな。
親友だから。今の関係が壊れるのが怖いから。
そう思って、今まで自分の気持ちと正面から向き合えていなかった。
だけど、ようやく向き合えた。
自覚した。
――俺、加茂さんのことが好きだ。





