加茂さんと合流
地震の揺れもすっかり収まり、倒れかけていた棚も戻した後、俺は加茂さんに声をかけた。
「怪我、ないか?」
「…………」
しかし、加茂さんからは返事どころか反応一つ返ってこない。
彼女はこちらを振り向くような体勢で、ぼーっと俺を見つめてきている。放心しているようにも見えた。
「おーい」
「…………(がばっ)」
「ごふっ」
もう一度声をかけてみると、加茂さんがいきなり俺の腹に向かって頭から突っ込んでくる。
身構える暇もなくその突撃を食らった俺は本が散乱している床に彼女と共に倒れ込んでしまった。
「いきなり何……加茂さん?」
助けたのに追撃されて文句を溢しそうになった俺の視界に、加茂さんの顔が再度入ってくる。
俺の胸の上に見える彼女は、今にも泣き出しそうな、そんな表情をしていた。
多分、怖かったのだろう。今のも、俺が間に合わなかったら危なかったと思うし。
――けれど、それだけじゃない。
俺には、泣きそうになっている彼女の表情に"怒り"が混ざっているようにも見えて。
「ごめん、来るの遅れた」
だから、俺は思いつく限りの理由で謝ってみた。
念のために謝るというのも良いことではないのは分かるし、気のせいという可能性もある。それでも、俺にそれをスルーするという選択肢は選べなかった。
「…………」
「……あー、えっと」
しかし、それが逆効果だったことは、彼女の無反応で察した。
「は、腹減ったのか? それとも眠くなったとか」
「……………………」
生理現象が原因のイライラという訳でもないらしい。
……というか、今のは完全に藪蛇だったかもしれない。加茂さんからの視線が若干冷たいものに変わってしまったのだ。
結局、これ以上憶測で動いても全て裏目に出てしまいそうに感じて、俺は加茂さんにストレートな質問を投げかけることにした。
「怒ってる?」
「…………(ぴくっ)」
すると、俺の言葉に対して、加茂さんの目が僅かに見開く。
「…………(こくり)」
それから、すぐに小さく頷いた。
どうやら、彼女が怒っているのは俺の勘違いではなかったらしい。
……さて。となると、次の疑問は加茂さんが怒っている理由だ。
しかし、俺には皆目見当がつかなかった。俺がここに来るのが遅かったことじゃないとするなら、加茂さんは一体何に怒ってるんだ?
「みゃー」
原因に心当たり一つなくてギブアップを考え始めていると、不意に猫の鳴き声が耳に入る。
声の聞こえた方に顔だけ横を向いてみれば、倒れ込んでしまっている俺達の横に例の黒猫が歩いてきた。
「……追いかけっこはもう終わりか」
「みゃあ」
「ふっ……お前、そこは良い返事するのな」
黒猫は俺の言葉に応えるように一鳴きしてきたので、思わず吹き出してしまう。
流石に言葉が通じている訳ではないのだろう。
けれど、猫は良い返事を返してきた後、俺達から逃げるどころか、その場で呑気に毛づくろいを始めた。
本当に逃げる気はないらしい。だったら最初から逃げないでほしかったが。
「…………(くすっ)」
そして、加茂さんに視線を戻せば、彼女もまた猫に目を向けていて。
猫を見ている彼女の表情は、先程より幾分か柔らかいものに変わっていた。
「それで、だ」
彼女のピリピリとした雰囲気が緩和されたところで、俺は話を切り出す。
「何に怒ってるのか教えてくれ」
「…………(ぴくっ)」
加茂さんの和らいでいた表情が再び固まり、今度は俯いた。
俺はそんな彼女からの返答を、無言で待つ。俺にできることなんて、それぐらいしかできなかったから。
「…………(きょろきょろ)」
すると、加茂さんは顔を上げて、きょろきょろと辺りを見回し始める。
恐らく何かを探しているんだと思うが、俺には何を探しているのかは分からなかった。
「加茂さん?」
俺が声をかけると、加茂さんは見回すのをやめて俺に向き直ってくる。
それから、両手を使って四角を作って見せてきた。
「カメラ?」
「…………(ぶんぶん)」
明らかに手の形がそれだったので口に出してみたが、加茂さんは勢いよく首を横に振る。違うらしい。
……まあ、確かにそうだな。こんな時にカメラって、一体何に使うんだという話でもある。
でも、カメラじゃないなら一体何を……もしかして、あれか。
「スマホか」
「…………」
「あれ?」
加茂さんは、今度は首を振ることはなかった。が、正解のジェスチャーもなく、ただただ微妙な表情になってしまう。
間違いじゃないけど正解でもない、ということだろうか。
……ますます分からなくなってきたので、今度は加茂さん視点で考え直してみよう。
彼女が今求めているものと、四角。四角い、加茂さんが必要としているもの……あ、あっちか?
「ホワイトボード?」
「…………(こくこくこくこく)」
俺が口に出した答えに、加茂さんは何度も頷く。
成る程、だからスマホって言った時に微妙な顔したのか。一応、スマホでも会話はできるもんな。
「それなら、この部屋の外に置きっぱなしにしてる」
「…………(こてん)」
加茂さんは小首を傾げる。
恐らく、何で外に?的な意味で首を傾げたのだろう。俺はそんな彼女に、理由を簡潔に説明した。
「下ろさなきゃ間に合わなかったんだよ」
「…………(あっ)」
俺の説明に対して、加茂さんは口を開けた後、悲しげな表情で俯いてしまう。
――その表情は先程の"怒り"を感じ取った表情とは別物であったが、不思議なことに、それと近しい何かを感じた。
けれど、まだ分からない。
……まずは荷物を取りに行こう。加茂さんがホワイトボードを探していたのは、俺の質問に答えようとしているからだ。なら、早く彼女から直接、理由を聞いてしまいたい。
だから俺は、そのためにも言った。
「加茂さん、そろそろ退いてくれ」
「…………(きょとん)」
加茂さんは俺の言葉に目を瞬かせる。
「起き上がれないから」
「…………」
彼女は俯いていた時とはまた違う、今度は視認するつもりで、目をしっかり下に向ける。
そして、俺の体の上に跨る自分を認識した。
「…………(!?)」
すると、彼女は俺から飛び退くように立ち上がる。
「…………(ごんっ)」
――その後すぐに、聞くだけでも痛そうな音が部屋に響いた。