加茂さんと猫探し延長戦の延長戦
2メートル超えの金網を飛び越えるという加茂さんの挑戦が、今、唐突に始まった。
「…………(ばっ)」
準備運動を終えた加茂さんは、俺を見ると、その場で片手を上にピンと伸ばす。
まるで、これから種目に挑む体操選手のようだ。上だけ制服のままという、少々滑稽にも見える格好に目を瞑れば。
加茂さんは目線を前に戻すと、挙げていた手を下げる。
「…………(だっ)」
そして、駆け出した。
金網に向かってではなく、反対側のブロック塀に向かって。
――この時点で、加茂さんが何をしようとしているのか予想はできた。
恐らく彼女は、金網より低い、道の両側にあったブロック塀を利用するつもりなのだろう。
確かに、そこに目を付けたのは良いと思う。
しかし、いくらブロック塀が金網より低いと言っても、俺の身長以上はある。俺でもよじ登れるか分からないのに、加茂さんが登れる筈がない。
「…………(ぴょんっ)」
そう、思っていた。
「…………(たたっ)」
「は?」
加茂さんはブロック塀の側面に向かって跳んだ後、その側面を駆け上がるかのように、二回足で蹴る。
そして、塀の上端を両手で掴むと、一気に上に片足を上に振り上げ、跨ぐようにそこに座った。
「…………(よいしょ)」
それからすぐに、加茂さんはその塀の上に立ち上がると、今度は金網の方へ向かって助走をつけて――。
「…………(ぴょんっ)」
――跳んだ。
「…………(すたっ)」
「マジか」
金網の向こう側で軽やかな着地を見せた加茂さんに対して、俺は声を漏らしてしまう。
「…………(ぶいっ)」
すると、加茂さんはこちらに向かってピースサインを向けてくる。
加茂さんが有言実行をしてみせた今、未だに目の前で起きたことを信じられない自分がいた。
まず、ブロック塀駆け上がるって何だよ。斜面じゃないんだぞ。
それに、空中であんなに足って上がるものなのか? 俺が同じことをやろうとしてもできる気がしない。
しかし、彼女にはそれができてしまった。
「…………(ふりふり)」
「はっ」
放心してしまっていた俺は、加茂さんが手を振ってきていることに気づいて我に返る。
「…………(びしっ)」
すると、加茂さんは俺に向かって敬礼のポーズを取る。
「…………(だっ)」
その後、金網の向こう側。猫が行ってしまった方向に向かって駆け出した。
……駆け出した!?
「おいっ!?」
俺はここが住宅街の一角ということも忘れて、彼女に向かって叫ぶ。
しかし、彼女は俺の方を振り返ることなく、奥に進んでいってしまった。
「くそっ」
加茂さんが金網の向こうに行った時のことなんて、俺は何一つ考えていなかった。
そもそも、成功するなんて思っていなかったのだ。こうなるなら最初からやらせなければよかった。今になって後悔している。
……そう考えたってもう遅い。今はとにかく、俺も加茂さんの後を追わないと。
とりあえず、俺も鞄を加茂さんの荷物の隣に置いて、加茂さんを真似て金網を越えようと試みる。
「ふっ――うぉあ!?」
しかし、当然、ブロック塀を垂直に駆け上がるなんて神技が俺にできる筈もなかった。
俺の体は重力に従うように落下して、背中を地面に打ち付ける。
「いってぇ……」
背中の痛みに呻きながら、思った。
これ、どうやって追えばいいんだよ。
▼ ▼ ▼ ▼
猫が歩いていってしまった方向を小走りで進みながら、私は考えていた。
この建物、何の建物なんだろう、と。
外から見た壁はペンキが剥がれていたりしてボロボロだけど、中は見えない。
それと、人が居る気配もしない。人の声も、物音も、何も聞こえてこない。
……あ、そうだ。スマホで調べればいいんだ。
そう思って、私は自分の鞄からそれを取り出そうとして、足を止める。
けれど、そこで気づいた。鞄もホワイトボードも何もかも、私は置いてきてしまっていたことに。
だから、調べるのは諦めて、私は建物の周りに沿って歩いた。
日が落ち始めていて、空は薄暗い。
猫の鳴き声も、聞こえない。建物の周りに生い茂っている草木の、風になびく音だけが耳に入ってくる。
そんな場所を暫く歩き進むと、開きっぱなしになっている扉を見つけた。
ここから入れそうだけど、この中に居るかな? どうしよう。入ってみるべき?
――カラン。
「……?」
悩んでいる最中に、不意に聞こえてきた全く別の音。
私は、その扉の先の音を聞くように耳を澄ませてみた。
――ぁ。
「っ!」
本当に微かにしか聞こえなかったけれど。これ、猫の鳴き声だ。
私は心の中でお邪魔しますと言って建物の中に足を踏み入れて、止まる。
扉、最初から開いてたけど、開けっぱなしは駄目だよね。泥棒とか入っちゃうかもしれないし。
そう考えて、私は中に入った後、少し重い扉を閉めた。
建物の中は電気一つ点いていなくて、外よりも暗い。
……だからかな。雰囲気が不気味で、ちょっと怖く感じる。できれば、早く外に出たい。赤宮君を置いて一人で来ちゃったこと、今になって後悔してる。
でも、駄目。猫、探さなきゃ。ここに居るのは確かなんだから。これは、捕まえるチャンスなんだから。
私は、すくんでいる自分の足を叩いて、歩き始めた。





