加茂さんと猫探し三日目の延長戦
――何十分、経っただろうか。
公園を突き抜けたり、狭い路地裏に入ったり、急に猫が走り出して俺達も走る羽目になったり。振り回されながら、俺達はなんとか猫を見失わないように追いかけ続けた。
その結果、猫は今も俺達に気づく様子はなく、呑気に前を歩いている。
「はぁ……」
俺は疲労を隠すのが段々辛くなってきて、口で深く息を吐く。
そして、隣を歩く彼女のことが心配になって、目を向けてみた。
『大丈夫?』
加茂さんは俺が疲れていることに気づいていたらしい。
彼女は逆に、心配そうな表情と共に俺にボードを向けてきていた。俺と違って、息切れ一つなく、疲労も全く見せずに。
……もしかして俺、加茂さんに体力負けてる?
「……大丈夫だから」
その事実に気づいてしまった俺は、軽く息を整えてから強がった。
別に、悔しかったからという訳ではない。加茂さんの運動神経についてはよく知っている。女子に負けているということに対しても、抵抗はない。
「加茂さんも疲れたら言ってくれ」
相手が加茂さんだから、なのだろう。
彼女に情けないところを見せたくない。俺はそれだけの理由で、彼女に見栄を張ってしまった。
「…………(こくり)、…………(あっ)」
彼女は頷いた後、前を見て口を開ける。それから、真っ直ぐ前を指差す。
俺もそちらに目を向けると、追いかけていた猫がこちらを振り返ってしまっていた。
不味い――そう思ったのは一瞬で、むしろ逆だった。
「チャンスだな」
「…………(こくこく)」
猫の後ろには、高さ2メートルは超えていると思われる金網。左右には、その金網より少し低くなっている、民家を囲むブロック塀。
そう、そこは行き止まりだった。
「加茂さん」
「…………(こくっ)」
俺と加茂さんは顔を見合わせて、アイコンタクトを取る。
そして、猫の方に体を向けて、二人で来た道を塞ぐように両手を広げた。
同時に、じわじわと猫に近づいていく。一切油断はせずに、慎重に、ゆっくりと。
これならいける。そう思った矢先のことだった。
「みゃあ」
「えっ」
「…………(ぱちくり)」
猫はマタタビの枝を口から離すと、一鳴きと共に後ろの金網の方を向く。
――すると、猫が突然のハイジャンプを見せた。
そのジャンプで器用にも金網の上部に前足をかけた猫は、転げ落ちるように金網の向こう側の草むらに落下する。
「お、おい!?」
「…………(あわわっ)」
俺達は焦った。それは金網の向こう側に行ってしまったことに対してではない。
その転げ落ち方が軽やかの欠片もなかったのだ。だから、怪我を負ってしまったのではないかと、心配になった。
しかし、そんな心配も杞憂に終わる。
「みゃあ♪」
草の上に転げ落ちた猫は何事もなかったかのように起き上がり、俺達の方に向き直って元気そうに鳴いた。
そして、奥に歩いて行ってしまう。
……ひとまず、猫が怪我を負っている様子も見られなくて安心した。
ほっと一息吐いた後、俺は加茂さんに提案する。
「今日は諦めるか」
「…………(ぱちくり)」
加茂さんは俺の提案に驚いた様子を見せた後、慌ててボードにペンを走らせてこちらに向けてくる。
『ここまで
来たのに』
「って言っても、この金網越えるのは無理だろ」
俺達と猫の間には、俺達の身長を越える高さの金網がある。
俺が諦めようと提案したのは、単純に、これ以上追うことができないからという現実的な理由だった。
『まって』
けれど、加茂さんはまだ諦めていないらしい。
「何か案でもあるのか?」
「…………(こくっ)」
加茂さんは真剣な表情で頷くと、自分の制服のスカートの腰の辺りのホックを外して、ファスナーに手を…………は!?
「何してんだ馬鹿っ!?」
俺は慌てて加茂さんに背を向ける。
危なかった。あと少しで見えてしまうところだった……って、そうじゃない!
「こんな所で脱ぐなっ! 着ろっ……じゃなくて履け!」
いきなりスカートを脱ぐような仕草を見せてきた彼女に背を向けながら、俺は言った。というか、頼んだ。
――すると、加茂さんからの返答は、思っていたよりも早く返ってきた。
『下はいてる』
そんなことが書かれたボードが、横からスライドするように現れる。
そして、そのボードの後に俺の前に出てきた加茂さんは、上は制服のままで、下には体操着を履いていた。
……紛らわしいわ!
そう思わず叫びそうになって、堪える。
ここは住宅街の一角である。大きな声は近所迷惑になりかねない。
「はぁぁぁぁぁ……」
その代わりに、深いため息は吐かせてもらった。
すると、加茂さんが少し頰を赤らめながら、ボードをこちらに向けてくる。
『はいてなかったら
流石に脱げない』
「……まあ、そりゃそうだ」
常識的に考えれば当然の話だった。
……かといって、十割俺が悪いかと言われるとそれも違うと思う。
けれど、正直この手の話をこれ以上広げたくもない。言葉に困る。だから、俺は加茂さんへの小言は自重して、理由を訊ねた。
「何で制服脱いだ?」
『動きにくいから』
「動きにくいって、何するつもりだよ」
『とびこえる』
……………………は?
「何を?」
「…………(びしっ)」
加茂さんは、先程猫が飛び越えた金網を指差す。
俺はその金網を見た後、加茂さんに視線を戻して、再度確認した。
「マジで言ってんのか」
「…………(こくり)」
加茂さんは即答するように真顔で頷きつつ、片側のブロック塀に寄る。そこに鞄やホワイトボードをまとめて置くと、準備運動を始めた。
どうやら、加茂さんは本気でこの金網を超えるつもりらしい。
こんな金網、どうやって越えるんだ。
加茂さんの運動神経が良いのは知っている。しかし、こんな高いものを越えられるとは思えない。何事にも限界というものがある。
「…………」
だからこそ、俺はあえて、加茂さんの挑戦に口出ししないことを選んだ。
もしも目の前であまりに変な無茶をしようものなら、その時は俺が止めればいい。それに、一度挑戦させて、失敗すれば、勝手に懲りるだろうと思ったから。
――しかし、その予想は大きく裏切られることになる。





