加茂さんの遠慮
――9月23日、水曜日。
『おはよう
\(๑╹▽╹๑ )/』
朝、教室に入ると、俺に気づいた加茂さんがボードで挨拶してきた。
「おはよう」
「…………(にこっ)」
俺が挨拶を返すと、加茂さんは笑みを浮かべる。
もう、加茂さんに昨日までのような会話の固さも感じない。きっと、考え事とやらが解決したのだろう。
結局、加茂さんがどんな考え事をしていたのか。そして、その考え事に俺がどう関わっていたのか。全て謎のままだ。
……謎のままだが、それは聞かないでおこうと思った。既に解決したことを俺がわざわざ掘り返して、また変に話せなくなるのも嫌だし。
俺はバッグを自分の席に置くと、彼女がとんとんと机を指で叩いてくる。
『昨日 ねこ
見つけた!』
「猫?」
「…………(こくこく)」
ボードでそんな報告をしてきた加茂さんの表情は明るく、少し自慢げに見える。
しかし、俺にはその表情の意味を理解しきることができなかった。
「拾ったのか?」
「…………(ふるふる)」
半分推測しながら訊ねてみるが、加茂さんは首を横に振る。どうやら猫を拾ったという話ではないらしい。
話が見えなくて首を傾げると、彼女はそんな俺を見て何かに気づいたのか、少し慌てた様子でボードにペンを走らせた。
『ねこの迷子
覚えてる?』
「ああ、あの貼り紙の……あ、分かった」
ようやく加茂さんの報告を理解した俺は、確認のために訊ねる。
「加茂さんがその猫を見つけたって話で合ってる?」
「…………(こくり)」
加茂さんは頷く。
彼女の話す内容に頭が追いついたところで、俺は彼女にもう一つ訊ねた。
「その猫、もう返したのか?」
「…………(ふるふる)」
「じゃあ、今日返しに行くのか」
「…………(ぽりぽり)」
俺の言葉に、加茂さんは困ったような笑みを浮かべて頬を掻く。
またもや会話が噛み合わなくなってきたところで、加茂さんがボードに文字を書いてこちらに向けてきた。
『見つけただけ』
「え?」
『逃げられちゃった』
「あー、それじゃあ返せないな」
「…………(こくこく)」
思い返せば、加茂さんの報告文には、迷い猫を保護したとは書いていなかった。俺の早とちりだったらしい。
「……ん?」
心の中で少し反省していると、加茂さんが再びボードをこちらに向けていることに気がつく。
『今日こそつかまえる』
「……今日、わざわざ探す気か?」
「…………(ふんすっ)」
俺が訊ねると、加茂さんは自分の胸の前で握り拳を作り、気合い十分な様子だった。
……気合いがあるのは結構なことだが、気になることがある。
「探す当ては?」
「…………(ふるふる)」
「即答かよ」
加茂さんのことだから予想はしていたが、特に当てもなく探すつもりらしい。
「闇雲に探したって見つからないだろ。普通に考えて」
「…………(うっ)」
「それに、加茂さんが昨日見つけたなら、加茂さんが無理に探さなくても。多分、他の人がすぐに見つけると思うぞ?」
「…………(ううっ)」
俺が現実的な話をすると、加茂さんは自分の耳を押さえて渋い顔になる。
そんな顔するなら、最初から無謀なことを言い出さないでほしい。
……って、俺がこれ以上小言を言ったところで、加茂さんは探すのをやめようとはしないのだろう。
反応を見る限り、彼女が素直に俺の言うことを大人しく聞くとは思えなかった。
だから、俺は言った。
「それでも探すって言うなら、俺も手伝う」
「…………(きょとん)」
俺の申し出に、加茂さんは驚いたように目を瞬かせた後、固まる。
――その数秒後、再起動した彼女は、極めて落ち着いた様子でボードに文字を書く。
そして、柔らかい笑みと共に、そのボードをこちらに向けてきた。
『ありがとう
でも大丈夫』
「……その大丈夫って、俺の手伝いは要らないって意味か?」
「…………(こくり)」
俺の確認に、加茂さんは笑みを崩さないまま頷く。
そんな彼女に、俺は声のトーンを落としてもう一つ訊ねた。
「俺は邪魔か?」
「…………(えっ)」
加茂さんの表情は、狼狽えたようなものに変わる。
それから、迷うように目線を左右に彷徨わせながら、黙り込んでしまう。言葉に詰まってしまったのだろう。
普段、加茂さんは人に"邪魔"なんて言葉どころか、強い言葉を使うことはない。多分、言いにくいのだろう。優しいから。
俺はそれが分かっていて、わざわざこんな意地の悪い聞き方をした。俺の手伝いを拒むことができないように。
そして、俺は加茂さんの返事を待たずに続けて言う。
「そもそも、今日、一緒に帰る約束してたよな?」
「…………(はっ)」
「おい」
忘れてたのかよ。
俺は呆れの意味で加茂さんに視線を送りながら、もう一度言わせてもらった。
「加茂さん、俺にも手伝わせてほしい」
今度は、手伝うことが俺の願望であることを示した言葉に変えて。
「……………………(こくり)」
長い間の後、加茂さんは頷き、ボードにペンを走らせる。
『いつも
ありがとう』
――ボードをこちらに向ける加茂さんは、心なしか、少しばかり元気がないように見えた。
「……俺こそ、ありがとな。手伝わせてくれて」
「…………(ふるふる)」
彼女の様子が少し気にかかるものの、俺はそれには触れずに礼を返すと、加茂さんは首を横に振る。
「じゃあ、まずは策でも考え――」
俺の言葉に被さるように、朝のSHRの始まりを告げるチャイムが鳴る。
「……また後でな」
「…………(こくっ)」
先生が朝の出席を取り始める声が聞こえて、俺達の会話もそこで中断したのだった。
……それにしても、だ。
どうして今更、加茂さんは俺に遠慮なんてしたのか。
別に、加茂さんが常に配慮に欠けていると言いたい訳ではない。むしろ、人のことばかり考えていると言ってもいい。
猫探しだって、顔も知らない、困っているだろう赤の他人のためだろう。俺なんて、彼女が探すなんて言い出さなければ猫のこと自体忘れていた。
……そして、彼女は逆に人に頼ることも多い。
定期テストの勉強だって、ホラーゲームだって、遠慮なんて見せずに俺を頼ってきた。
だからだと思う。今日、そんな彼女が見せた遠慮が不思議で仕方なくて、俺の胸の中で引っかかってしまったのは。





