加茂さんに失言
加茂さん母が一階に戻ったところで、俺に引っ付いて離れない加茂さんに声をかける。
「なあ、そろそろ離してくれ」
「…………(むぅ)」
ようやく離れてくれた加茂さんに目を向ければ、彼女は俺に疑いの目を向けてきている。
そんな彼女は、そのまま後退すると――。
「…………(つるっ)」
――床に落ちていたボードを踏んで、足を滑らせた。
「おい!?」
思わず突っ込みを入れるのと同時に、俺の体は反射的に加茂さんの方へ飛び出した。
そして、彼女が尻餅をつく寸前のところで背中側に手を潜り込ませて、彼女の体を支えることに成功する。
「はぁ……はぁ……危ねえ……」
本当に危なかった。タンコブに続いて目の前で怪我を増やされるとか、勘弁してほしい。
……あと、俺もよく反応できたな。本当に。
心の中で自画自賛しつつ、一応、確認のために彼女に声をかける。
「加茂さん、怪我はない……か?」
そこで、俺はようやく気がついた。加茂さんの顔が目の前にあることに。
不意に近づいてしまった距離に頭が追いつかず、口が固まってしまう。そして、彼女もまた、驚いた表情で固まっている。
それでも、俺の声は聞こえていたらしい。
「…………(こ、くり)」
「……な、なら、よかった」
ぎこちない頷きに、俺もぎこちない返事を返してしまった。
とりあえず、加茂さんの無事を確認できたところで、安堵と共に気持ちの切り替えという意味で一息吐く。
そして、俺は次の行動に迷った。
俺は今、現在進行形で加茂さんの体を支えている(顔の近さはこの際置いておく。というか、気にしたら俺が保たない)。
咄嗟のことで彼女の体を片手で抱き抱えている俺だが、このまま彼女を床に下ろしてしまっていいのだろうか。
それとも、両手で抱えてベッドに運んでしまうべきなのだろうか。
前者は、なんとなく駄目な気がした。地べたに下ろすのはちょっと、という俺の気持ち的な問題が大きいが。
後者は……駄目じゃないけど、両手で抱えるとなると、方法は一つしかない。
……恥ずかしがってる場合じゃないか。
「加茂さん、じっとしてろよ」
「…………(ほぇ?)」
俺は加茂さんの首元と足の方にそれぞれ手を回し、持ち上げる。
――お姫様抱っこという形になってしまったことには目を瞑って。
「…………(あばばばっ)」
「暴れるな」
加茂さんも自分が何をされてるのか把握したらしい。恥ずかしいのか、手足をジタバタと動かしてくる。
俺はそんな彼女を意識しないように、可能な限り迅速にベッドに運んだ。
ベッドに下ろすと、加茂さんすぐに体を起こしてボードとペンを拾い、文字を書く。
そして、ジト目と共にボードをこちらに向けてきた。
『急に運ぶから
びっくりした』
「文句言うな。他に方法なかったんだよ」
『下におろしてくれれば
よかったのでは』
「……今度からそうする」
床に下ろさなかったのは、俺自身の気持ちの問題だった。
けれど、加茂さん的には床に下ろしてくれればよかったらしい。
……冷静になってもう一度考えてみると、確かに。地べたって言っても、家の中だし、床だし、自分の部屋だ。
少し考えすぎていた……というより、加茂さんとの距離が近すぎて、正常な思考回路じゃなかったのかもしれない。
自分の思っている以上に取り乱してしまったことに対して、小さくため息を吐く。
「なんか、ごめんな」
「…………(ぱちくり)、…………(ぶんぶんっ)」
加茂さんは一時呆然とした後、首を勢いよく横に振る。
「…………(うっ)」
そして、再び表情を歪めて、頭を押さえた。
「あんまり首振るなよ……あれ?」
俺は部屋を見回す。
濡れタオルは、さっき加茂さんが転びかけた時に床に落としてしまった。折角持ってきてくれた加茂さん母に悪いことしたな。
……んで、あれはどこに……あった。
「加茂さん」
「…………(きょとん)、…………(あっ)」
加茂さんは俺が指差した方向を徐に見ると、引き攣った笑みを浮かべた。
――彼女が頭に乗せていた氷袋は、床に散乱していたボードの一つの上に乗っていたのだ。多分、さっき俺に飛びついて来た時に落としたのだと思う。
一応、袋は破れておらず、水も漏れていない。二つ目を作りに行かずに済んだのは幸いだったが。
「今度は落とすなよ」
「…………(えへへ)」
氷袋を拾い上げて小言と共に加茂さんにそれを渡すと、彼女は誤魔化すような苦い笑みを浮かべる。
それから、加茂さんはその氷袋を頭の上に乗せて、ボードに文字を書き始めた。
暫くして、加茂さんがボードをこちらに向けた。
『やっぱり帰ってもいいよ
ムリ言ってごめんね』
彼女の中で心変わりがあったのだろうか。急に先程と正反対のことを言ってきた。
……というか、それはズルいだろ。
加茂さんのことだから全く意識してないんだろうけど、そんな言い方されたら、素直に帰れる訳がない。
「寝るまで一緒に居てやるから。さっさと横になって目瞑れ」
「…………(ぱちくり)、…………(ごそごそ)」
気づけば、俺はそう口に出していた。
加茂さんは少し驚いた様子を見せながらも、俺の言葉に素直に従って横になる。
そして、寝転びながらボードに文字を書いて、俺に向けてきた。
『ねなければ
ずっといてくれる?』
「いや寝ろよ。それとも、そんなに俺と居たいのか?」
「…………(きょとん)」
……待て。俺は今、何を失言った?
………………消えたい。
何だよ、"俺と居たいのか?"って。自意識過剰か。俺はいつからそんなキャラになった。控えめに言って大馬鹿か。
「…………(がばっ)」
自分の言ったことを自覚して羞恥心が極まってしまっている俺をよそに、加茂さんは寝返りを打って俺に背を向けてしまう。
超帰りたい。あと今日の記憶消したい。自分の記憶も、可能なら加茂さんの記憶も。
多分、引かれた。そんな気がする。
――それでも、彼女の寝息が聞こえてくるまでの約一時間、俺はベットの横で座って待った。
寝るまでは一緒に居ると、約束してしまっていたから。
【おまけ:その頃、神薙さんは】
「……んぅ……ふああ……ん、あれ、家? 私、いつの間に帰ってきて……?」
「あら、鈴香、起きましたか」
「……お母さん、おはよう」
「おはようございます。秀人君、すっかり大きくなって、美丈夫に育っていましたね」
「え? お母さん、何であいつのこと……」
「何故って、秀人君、お姫様抱っこで寝ている鈴香を家まで運んできましたから。若いっていいですねぇ……」
「………………はぁ!?」





