日向と週末の約束
帰りのSHRが終わった瞬間、俺は隣の席の彼女に声をかけた。
「加茂さんっ」
「…………(びくっ)」
――勢い付けすぎた。何してるんだ俺は。
彼女はこちらに目を向けるどころか、顔を俯かせてしまう。
……反省は後回しにしよう。
「今日は一緒に帰れないか?」
俺の言葉に、加茂さんは反応しない。
でも、俺の声を無視して帰り支度を始めないところを見ると、話は聞いてくれているのだと思う。俺を見てくれない理由は謎だが。
……理由、駄目元で聞いてみるか。もしかしたら、意外と素直に答えてくれるかもしれない。
そんな淡い期待を抱いて、俺は彼女に訊ねてみた。
「俺、もしかして何かしたか?」
俯く加茂さんの横顔は、亜麻色髪によって遮られている。
だから、彼女が何を考えているのか、どんな表情なのか、何も分からない。
俺は彼女の返答を、ただ待ち続けた。
「…………(ちらっ)」
暫くして、彼女はようやくこちらを見た。
「…………(さっ)」
しかし、視線を戻してしまう。
やっぱり駄目だったか――半ば諦めかけていると、スマホに一件の通知が入る。
[ごめんね]
それは、目の前に座る加茂さんから送られてきたライナーだった。
彼女の手元を見ると、スマホが両手で握られている。
[赤宮君のせいじゃない]
既読をして間もなく、次の文が送られてくる。
そして、その文を読んで少し安堵した。俺が何かしたという訳ではないらしい。
でも、それなら何で……そんな俺の思考を読んだかのように、次の文が送られてくる。
[私の問題だから]
「それってどういう……」
思わず、直接訊ねた。
もし何かを一人で抱え込んでいるのなら、力になりたかったから。頼ってほしかったから。
[ごめんね。まだ言えない]
でも、加茂さんは打ち明けてはくれなかった。
[もう少しだけ一人で悩ませて]
そして、一人で抱え込んでいるものがあることを、加茂さんは肯定した。
……いつもの彼女なら、きっと見え見えの嘘で誤魔化していただろう。心配かけないように。彼女がそういう人だって、俺はもう知っている。
その彼女が、一人で悩ませてほしいと言った。
「分かった」
なら、悩ませてあげることが、俺にできる唯一の協力なんだと思う。
それなら、彼女を信じて待とう。そう思った。
* * * *
「先輩!」
校舎を出ると、俺を待ち構えていたらしい日向がこちらに駆け寄ってくる。
「今日は部活休みですっ」
「まだ聞いてないけど」
「聞かれる前に言っておこうかと思って」
日向はそう答えた後、辺りをキョロキョロし始める。
「どうした?」
「……今日は加茂先輩と一緒じゃないんですね?」
「いつも一緒に居るみたいな誤解生みそうな言い方すんな」
「違うんですか?」
軽く振り返ってみると、違わないことに気づく。
5月頃、加茂さんと出会ってから、俺は彼女と駅まで一緒に帰るのが日常になっていた。夏休み以外、ほぼ毎日……。
「ああ、そっか」
「せ、先輩?」
だから、余計に寂しく感じてたのか。
ずっと何でだろうと疑問に思ってはいたけれど、こんなに単純な理由だったとは。
頭の中が少しスッキリした俺は、日向に言葉を返す。
「何でもない。じゃあ、二人で帰るか」
「っ! はいっ」
日向があまりに嬉しそうな返事をするので、俺は頰が緩むのと同時に、少し照れ臭い気持ちになった。
「さっきはすみません」
「さっき?」
並んで歩いていると、日向に突然謝られる。
しかし、謝られるようなことをされた心当たりがない。だから、俺には何の話か分からなかった。
「先輩、目立つの苦手ですよね?」
「……好きではないな」
「ですよね。さっきは私のせいで注目集めちゃったので……」
確かに、日向が駆け寄ってきた時は場所が場所だったこともあり、周りの視線を感じていた。
「今度から部活が休みの時はライナーで連絡して、学校の外で待ってますね」
「いや、そこまでしなくていい」
「え?」
「俺は気にしないから、今日と同じでいいってこと」
そもそも、文化祭や先週の帰りで、俺は既にそこそこの人目に付いてしまっている。
その上、今日のように日向と帰る日が増えれば、如何に目立たないよう工夫したところで時間の問題だろう。
つまるところ、俺が気にしなければ済む話だ。というか、そうする他ない。
「ありがとう、ございます」
別に、礼を言われるようなことではない。
そう言おうとしたが、嬉しそうにはにかんでいる彼女を見たら、何も言えなかった。
「それで、どうしたんですか?」
「……何が?」
「加茂先輩ですよ。さっき聞いたのに答えてくれてないじゃないですか」
「ああ、そういえば」
聞かれてたな、そんなこと。すっかり忘れていた。
「喧嘩でもしました?」
「いや、そうじゃない。何か考え事してるらしくて、暫く一人で考えたいんだと」
「……そういうことですか」
まるで納得したかのような日向の反応に、俺は違和感を覚えた。
「もしかして、何か知ってるのか?」
「いえ、何も」
知らないのかよ――ついつい口から出そうになったその言葉を、俺はなんとか飲み込む。
でも、本当に何か知っているのかと思った。そんな口振りだったから。俺の勘違いだったようだが。
「話変わるんですけど、先輩って今週の土日ってどちらか空いてます?」
いきなりだなと思いつつ、俺は日向の質問に答える。
「どっちも空いてる」
「……デート、しませんか?」
「デートて」
予期せぬ単語に、反射的に突っ込んでしまった。
デートは違うだろデートは……いや、合ってるのか? 付き合ってもない男女で遊びに行くのは、デートに入るのか?
「こ、今度は二人きりで遊びに行きたいんです」
大して重要でない思考に陥っていた意識が、日向の言葉によって引き戻される。
彼女は頰をほんのり赤く染めながらも、どこか不安げな表情で俺を見ていた。
「分かった。行くか」
断る理由はない。というより、断る訳にはいかない。
――彼女は、俺に告白してくれたのだから。
俺は告白された側として、その想いにどう答えるのか。"先輩と後輩"としてではなく、"一人の異性"として、いつかはその答えを出さなければならないのだ。
そのためにも、これから、日向のことを少しずつ知っていければと思っている。
「いいんですかっ」
「……ああ」
花が咲いたように明るい表情になる日向に釣られて、俺まで頰が緩む。
「でも、どこ行くんだ?」
「それはこれから決めましょうっ」
「ノープランかよ」
「デートは計画から楽しむものですっ」
「そういうもんか?」
「はいっ」
ふんす!と軽く両手で握り拳を作る日向は、少し気合いが入りすぎている気がする。
……彼女の振る舞いに既視感を覚えたが、俺はそれを頭の隅に追いやった。
そして、二人で週末の予定を立て始めた――。