加茂さんと後輩とジェットコースター
「それにしても、平日なのに意外と人いるな」
園内に入って一番最初に思ったことがそれだった。
「私達と同じ学生じゃないですか? 文化祭ってどこもこの時期でしょうし」
「そういうことか」
文化祭が同じ時期なら、振替休日が被るのも珍しくないか。
「…………(ちょんちょん)」
「ん?」
「…………(びしっ)」
加茂さんに腕を突かれそちらを見れば、彼女はとある方向を指差す。
その方向はアトラクション……ではなく、子供に風船を手渡している一匹の着ぐるみだった。
「あ、兎丸ですね」
「……そういえば居たな、そんなの」
"兎丸"――それは忍者の格好をした兎の着ぐるみで、この遊園地のマスコットキャラクターである。
何故忍者の格好なのかは知らない。このキャラクターの説明はパンフレットにも書かれていない。
「加茂さん、風船欲しいのか?」
『そこまで子供じゃない』
冗談半分で訊ねてみれば、加茂さんはジト目で俺を見てくる。
それから、素早くボードの文字を消しては書き直してこちらに向けてきた。
『一緒に写真とりたい』
"写真は撮るんかい"という突っ込みは心の中に留めておいた。
* * * *
最初に訪れたのは遊園地の定番、ジェットコースター。これは加茂さんの希望である。
係員の指示に従って荷物を預け、座席に座る。そして、隣の様子を窺う。
「大丈夫か……?」
「は、いっ」
返事を返しながらも、日向はガチゴチに固まっていた。
安全バーに片手でしがみつき、もう片手で俺の手を握り締めてくる。余程怖いらしい。
「…………(ちらちら)」
加茂さんも日向のことが心配なのか、前の座席からこちらを何度も見てくる。
そうしている間に、係員の合図と共にジェットコースターが動き出した。
しかし、動き出しても尚、加茂さんはこちらの様子を窺ってくる。
……流石に、動いている時まで後ろを見てくるのはどうなんだろう。怖くないのだろうか。
それにいくら安全バーが下りていても、少し危ない気がする。だから、俺は彼女に言った。
「こっちは大丈夫だから、前向いとけ」
「…………、…………(こくん)」
加茂さんは少しだけ間を置き、頷いてから前を向く。
それを確認した俺は、日向に再び声をかける。
「無理して乗らなくてもよかったんだぞ?」
現在、ジェットコースターは坂を登り始めていた。
「だ、だって、いきなり私だけ見学なんて嫌ですしっ」
「だから、他のアトラクションでもいいって話もしただろ」
「それは加茂先輩に悪いですっ。それに、赤宮先輩が隣に乗ってくれるって言ったので……」
「もう落ちるぞ」
「え――ギャァァァァアアアア!!?!」
甲高い悲鳴とも取れる絶叫は、俺の鼓膜に容赦なく襲いかかってきた。
* * * *
『楽しかった!』
「はぁ……はぁ……私も……です……」
「無理すんな」
心から喜んでいるのが分かる加茂さんに対し、日向はベンチに座って未だに呼吸を整えている。
――ジェットコースターに久々に乗った俺の感想としては、まあ、普通に楽しめた。
隣に居た音響兵器に鼓膜はやられたものの、必要な犠牲だったと考えている。破れてないけど、ダメージはなかなかのものだった。ぶっちゃけると今もまだ少し痛い。
「日向、本当に駄目な時は遠慮しなくていいんだからな?」
「ご迷惑お掛けしました……」
アトラクション一つ目にして疲れ切っている日向は、暫くベンチから動けそうになさそうだった。
『ごめんね
無理させちゃって』
「私が勝手にしただけですから……加茂先輩はジェットコースター平気なんですね」
『絶叫系は
大好物!』
「……そうですか」
加茂さんのボードに書かれた文字から目を逸らした日向は、死んだ目で虚空を見つめ始める。
そんな彼女を見て、加茂さんは慌ててボードに文字を書き殴ってこちらに見せてきた。
『私、飲み物
買ってくるね!』
「あ、おい」
そして、俺が返事を返す前に駆け足で行ってしまう。
「はぁ」
俺は軽くため息を吐いた後、日向の隣に腰掛けた――。
▼ ▼ ▼ ▼
ジェットコースターは、私の目論見通りとはいかなかった。
隣に座ってくれるって赤宮先輩が言った時は、ラッキーって思ってた。先輩にアピールできるチャンスだって。
……でも、ギャーって何。可愛げの欠片もないじゃん。私の事前のイメージでは、もっと可愛い悲鳴をあげるつもりだったのに。
折角、先輩が隣に乗ってくれたのに。手だって握らせてくれたのに。
こんなことなら、一緒に乗らなきゃよかったかも……なんて、今になってちょっと後悔してる。
「なあ、日向」
「は、はい」
急に先輩に話しかけられたから、声が上擦る。
「飲み物、何がいい?」
「……え? 飲み物なら加茂先輩が買いに行きましたよね?」
「何がいいか聞くの忘れたんだと」
そう言って、赤宮先輩は加茂先輩とのライナーのやり取りを私に見せてくる。
そういえば、確かに聞かれてない。苦手な飲み物はないから正直何でもよかったけど、一応、少し考える。
そして、一番無難なものを頼んだ。
「お茶でお願いします」
「分かった」
私が答えると、赤宮先輩は文字を打ち始める。
「加茂さんってさ、いつもこうなんだよ」
文字を打ちながら、先輩は話し始めた。
「勢いで動くことが多くてさ。だから大抵何か忘れてたり、抜けてたり。今みたいにな」
「は、はぁ」
どうして、急に加茂先輩のことを話し始めたんだろう。私にはその理由がよく分からなかった。
でも、その話を止めることもできなかった。加茂先輩のことを話す赤宮先輩は、どこか楽しそうに見えたから。
「まあ、それでも加茂さんは……あれ? んー……なんかおかしいな」
そんな先輩の声が、段々と小さくなっていく。
「先輩?」
「話切り出すのってむずいな」
「……?」
「……ああ、何の話か分からないよな。ごめん」
「い、いえ、大丈夫です」
謝られたけど、未だに全く話が見えていない私はそう答えるしかできなかった。
その後、お互いに沈黙してしまう。
「あのさ」
でも、その沈黙も長くは続かなかった。
「さっきの遠慮すんなって言ったの覚えてるか?」
さっきの……本当に駄目な時は言えって話かな。
私は頷くと、赤宮先輩は続けて言った。
「二回目になるけど、本当に無理な時は無理って遠慮なく言ってくれ」
私は頷く。でも、何でわざわざ二回もそんなこと言うんだろう。
――疑問も、私が訊ねる前に解消された。
「先輩だからとか、変な気遣いも要らない。むしろ、されると困る。俺もだけど、きっと加茂さんも」
先輩は、少し心配そうな目を私に向けてきた。
多分、先輩は私が二人に合わせて、苦手な絶叫系に付き合ってくれたなんて思ってるのかもしれない。
……違うんだけどなぁ。ジェットコースターに乗ったのは私の意思だし、下心もあった分、ちょっと申し訳ない気持ちになる。
けど、その本心は口には出せなかった。先輩が私を心配してくれていること……私を見てくれていることが、嬉しかったから。もう少しだけ、心配してほしいって思ってしまったから。
「俺も加茂さんも、今日は三人で楽しく過ごしたいって思ってる。だから――」
「大丈夫です」
だから、本心を言えない分、私は私の気持ちを正直に先輩に伝える。
「私、ちゃんと楽しいです」
「……そっか」
「そうです」
私の言葉に対して、赤宮先輩はそれ以上何も言わなかった。
ただ、先輩の横顔はどこか安心しているように見えて――本当に心配してくれてたんだって、私は嬉しかった。
でも、"加茂さんも"……赤宮先輩の口から何度か、恐らく自然と出てきた言葉。
その言葉が、親しい間柄だからこそ出てくる言葉だってことは分かる。分かってしまう。
……私はそんな加茂先輩が羨ましく思った。